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古本夜話1037 田部隆次、『小泉八雲全集』、戸川明三訳『神国日本』

 これは前回ふれなかったが、福田清人は東京帝大国文科を卒業後、昭和四年から六年にかけて、第一書房に勤め、戦後になって、それを「長谷川さんと第一書房の思い出」(『第一書房長谷川巳之吉』所収)で回想している。
第一書房長谷川巳之吉

 それによれば、当時は「宵闇せまれば悩みは果てなし」という歌がはやり出した頃で、不景気な暗い世相の中にあった。文筆の道を志していたので都落ちは考えたくなく、本郷の同級で学習院講師だった入江相政に相談したところ、その同僚の国文学の先輩山岸徳平を通じて、第一書房を紹介され、長谷川巳之吉に面会し、入社が決まったのである。少し遅れて入ったのは本連載1034の三浦逸雄だった。

 福田の第一書房での仕事は『近代劇全集』 の手伝いと、その前に出ていた『小泉八雲全集』 の学生版の校正であった。それから昭和六年五月に創刊された『セルパン』の編集に携わった。この雑誌は第一書房のPR誌というべき『伴侶』を引き継ぐものだった。前回の福田の「文学仲間」で、田口=福田の前身が雑誌記者とあるのはそれによっているのだろう。

 さらに福田の回想は『セルパン』の編集と内容、長谷川との関係、第一書房からの最初の長編『若草』の刊行とその映画化、第一書房の廃業と戦後の長谷川の動向と死などにも及んでいる。だがそれらのことよりも、福田が入社して校正を担当した『小泉八雲全集』学生版にふれてみたい。同じ『近代劇全集』のほうは拙稿「第一書房『近代劇全集』のパトロン」(『古本屋散策』 所収)、本連載889などでもすでに取り上げているからだ。
古本屋散策

 第一書房の『小泉八雲全集』 は大正十五年から全十八巻が出され、昭和五年からは同巻数で「学生版」、十一年からは「家庭版」として全十二巻と三回にわたって刊行されている。「家庭版」の明細は」(『第一書房長谷川巳之吉』に見ることができるけれど、参考するふたつの版は内容が若干異なっているはずだが、それは確認できていない。これらの三次にわたる『小泉八雲全集』は、「学生版」別冊の田部隆次の評伝『小泉八雲』の奥付表記からわかるように、田部自身が「小泉八雲全集刊行会代表」及び、『東の国から」や『心』などの訳者も兼ねることで実現したと思われる。またその「月報」に無署名の「田部氏の小泉八雲伝を讃ふ」という寄稿があり、次のような記述がなされている。
f:id:OdaMitsuo:20200529100958j:plain:h110 (『小泉八雲全集』、「家庭版」)f:id:OdaMitsuo:20200529133723j:plain:h110(「学生版」)

 本篇の筆者田部隆次氏には、蓋し我国に於ける最も適当なる小泉の評伝記者として自他共に許す人である。
 氏は当時東京帝国大学の学生として親しく小泉先生に接し得たる一人であつて、今日尚ほ斯道の権威として英学界に重きをなして居る人である。その筆になるところの小泉八雲の評伝は、その初発の刊行当時に於てもすでにユニツクの位置を占めてゐたが、小泉八雲全集の世に出るに際して、旧稿に大斧鉞を加えて更に面目を一新し得たのである。田部氏が日頃小泉先生を最敬するその情念の発願がかくも情理を尽くし、かくも整然たる内容を備へた一巻となつて八雲先生の珠玉の大全集と共に我等に与へられたことは、我が読書界にとり一大欣快事であらねばならぬ。

 田部は『日本近代文学大事典』には英文学者、随筆家の田部重治の兄として挙がっているだけだが、昭和六年の神谷敏夫『最新日本著作者辞典』(大同館)において、やはり英文学者で、東京帝大英文科卒、明治末から昭和四年にかけて学習院教授、小泉八雲の研究家として知られているとある。こうした事実はこの時代に学習院と第一書房がリンクし、それゆえに学習院を通じての福田の第一書房への入社が可能になったことを伝えていよう。

 それらはさておき、ここでは「学生版」の第八巻所収の『神国日本』にふれてみたい。最近別のところで、平井呈一訳『小泉八雲作品集』(恒文社)に言及しているが、それは『日本―一つの試論』というタイトルである。しかしその口絵写真には八雲の死後の一九〇四年にロンドンのマクミラン社から刊行された原書Japan:an Attempt at Interpretation の表紙や扉―中扉が使われ、扉などには「神国」なる漢字が用いられている。
小泉八雲作品集 (『小泉八雲作品集』)

 『神国日本』という邦訳名が採用されたのは、そのことに起因しているはずだし、訳者が戸川明三=秋骨であることも作用しているだろう。戸川秋骨は島崎藤村たちと同様に、『文学界』の創刊同人で、そのロマン主義の一面を代表していたし、「小泉先生の旧居にて」(坪内祐三編『戸川秋骨人文肖像集』所収、みすず書房)を残している。それによれば、秋骨は八雲の東京帝大英文科時代の教え子であり、「君達は西洋の書物から只その思想を採れば良いのだ」との言を紹介し、多大の美化を伴っていたけれど、「先生はよく日本の思想を摑まれた」と語っている。秋骨が戸川明三の名前で『神国日本』を翻訳したのは、そこに「先生は普通の人の気のつかない日本の特徴を見抜かれた」と思ったからで、それゆえに教え子だったことを記念すべしごとく、本名で翻訳にのぞんだのではないだろうか。
戸川秋骨人文肖像集

 しかしその一方で、この「神国日本」というタイトルには多様な波紋を生じさせたはずだし、さらに英文学者の柏倉俊三訳注『神国日本』 (平凡社東洋文庫、昭和五十一年)として刊行されたことは、その呪縛力の持続を物語っているのだろう。 
神国日本


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