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古本夜話1039 外語研究社「英文訳註叢書」と『宝島』

 これは本連載1013「『英文世界名著全集』とスティーヴンソン」に続いて書くつもりだったのだが、本が出てこなくて、見送ってしまったのである。しかし二回にわたって英文学者の戸川秋骨や田部隆次、重治兄弟を取り上げてきたので、ここにその一編を挿入しておきたい。

 それは外語研究社発行の「英文訳註叢書」で、やはり同1013で研究社の同じシリーズ名の「英文訳註叢書」にふれているけれど、こちらとはまったく異なるものだ。後者の「英文訳註叢書」は『研究社八十五年の歩み』を確認してみると、その口絵写真の書影、及び「出版物年譜」からしても、並製新書版、二百ページ前後、定価五十銭で、昭和四年から刊行され始め、同十三年に全四十巻で完結している。またそれらのうちのオスカー・ワイルド、佐伯有三訳註『漁夫とその魂』、ルイス・キャロル、岩崎民平訳註『不思議国のアリス』などは戦後になって、これも口絵写真などに見えているように、補註が加えられ、「新英文訳註叢書」として再刊に至っている。

 しかし『研究社八十五年の歩み』では多くの寄稿者もふれておらず、ただ「昭和4年にはまた2種類の叢書が発刊された。一つは『研究社小英文学叢書』、もう一つは『研究社英文訳註叢書』で、ともに研究者の学習用テキストとしてロングセラーとなっていく」とあるだけだ。それでもこの記述はその体裁や定価ともに、研究社版がサブリーダー的テキストとして販売されていたことを伝えていよう。

 この研究社の「英文訳註叢書」に対して、外語研究社の「英文訳註叢書」も、やはり昭和初年から競合するようなかたちで出され始めたのではないだろうか。私が入手しているのはその58に当たるスチヴンスン『宝島』である。何の表記も見られない機械函から取り出すと、いきなり赤、白、黒による表紙が目に入る。赤地に白抜きで、大きくTREASURE ISLANDというタイトルが入り、その下に黒でBY R.L.STEVENSON と著者名が記されている。続けて黒地に赤で小さく「WITH THE JAPANESE VERSIONS AND NOTES BY TAKAOKI KATTA」とあり、同じくしたに『宝島』の船を想起させる赤のイラストが「SEIICHI」名で付され、さらに下の白い帯状のところに「CELEBRATED WORKS IN ENGLISH 」が置かれている。

 カバー表紙を外すと、天金、四六判の青と紺のクロス装の洋書仕立ての本体造本が姿を見せる。表裏見返しには「英文訳註叢書」の「全百巻中既刊書目」が示され、1のThe Vicar of Wakefield(Goldsmith)から66のThe Private Papers of Henry Ryecroft(Gissing)までが並び、チェーホフ、ユゴー、イプセン、ダンテなどの英訳も含まれているけれど、壮観といっていい。そういえば、私もかつて拙著『ヨーロッパ本と書店の物語』(平凡社新書)において、ギッシングの『ヘンリ・ライクロフトの手記』に言及していることを思い出した次第である。またその中にはスチヴンスンの巻として、2のTravels with Donkey、26のYoshida-Torajiro ,Two Japanese Romances ; Health and Moutains が挙がり、前者は本連載1013の『驢馬紀行』、後者は不明だが、異例の三冊に及び、彼が英文界で昭和戦前に人気、知名度がともに高かったことを物語っていよう。
f:id:OdaMitsuo:20200605134632j:plain:h120 (「英文訳註叢書」、Travels with Donkeyヨーロッパ本と書店の物語

 TREASURE ISLAND を開くと、スチヴンスンの口絵写真に続いて、原書の挿絵も収録され、そして本扉に至り、『宝島』/勝田孝興訳註と初めて表記される。次に「CONTENTS」として、十七ページに及ぶ「Introduction」と『宝島』英語目次が示され、前者はスチヴンスンの伝記などに加え、これも英語表記の「BIBLIOGRAPHY」が添えられている。それから左ページが『宝島』原文、右ページが日本語、両ページ下が訳註となり、対訳本形式の六百六十ページが続いていく。

 これまで示してきたように、研究社版「英文訳註叢書」が並製新書版、二百ページ前後、定価五十銭に対し、外語研究社のほうは四六判クロス装の上製、天金、ページ数は定価二円五十銭の『宝島』ほどではないにしても、大半が三百ページを超えているはずだ。定価にしても一円以上で、研究社版の倍の価格となっている。しかも巻数は昭和十一年の時点で上回っていたことになる。

 奥付にある発行所の外語研究社の住所は東京市下谷区上野桜木町で、刊行者は藤本謹也、印刷者は本所区厩橋、井口信一とされている。だがこれらの三つはここで初めて目にするものである。発行と刊行者の住所からして、譲受出版の上野畑の関係版元とも考えられたが、検印紙には著者印税が発生する勝田の押印があるので、そうではないとわかる。

 だが全百巻予定で、66までは既刊であることが確認できるのに、『全集叢書総覧新訂版』には見当たらない。しかも研究社版はあっても、それ以上に本格的な外語研究社版は収録されていないのである。百巻の完結を見たかどうかは不明であるけれど、これほどの長尺の「叢書」が見えないのはどうしてなのだろうか。何らかの事情が潜んでいるのではないかと考えるしかない。


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