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古本夜話1041 朝日新聞社『朝日住宅図案集』

 戸川秋骨の『自然・気まぐれ・紀行』の記述からすれば、彼が住んでいた郊外は中野あたりだと推測していた。だが神谷敏夫『最新日本著作者辞典』を確認してみると、東京市外井荻とあった。そこで「郊外生活」を営み、「文化住宅」に住んでいたとされるが、彼はどのような「文化住宅」に住んでいたのだろうか。
f:id:OdaMitsuo:20200608162927j:plain:h110(『自然・気まぐれ・紀行』)

 そのことを考える上で、絶好の資料がある。それは四六倍判の『朝日住宅図案集』で、昭和四年に朝日新聞社から刊行されている。この一冊は「懸賞中小住宅八十五案」が付され、「凡例」にも示されているように、「昭和四年二月、東京朝日新聞社が賞金二千三百円を懸けて、保健、衛生、防寒の近代的設備と、震災、火災、盗難などに関する最新式設備を考慮した、新時代の中小住宅案を募集し、応募五百案中より厳選した八十五案をまとめたもの」である。
f:id:OdaMitsuo:20200609115816j:plain:h110(『朝日住宅図案集』)

 またその「序」を引けば、「入選図案の大部分は外観が様式であり、内部に和洋の趣味と便利を蔵し」、「大正大震災前後に流行した所謂文化住宅に比すると、全く面目を一新し、現代生活の表現として渾然たる調和を示し、昭和の一型式を創造したもの」「昭和新時代の新様式を見出さんとするもの」として提出されている。それに加えて、本連載1007などの説教強盗横行のための対策としての洋式住宅の戸締も取り入れられている。これらの「八十五案」は「朝日住宅…型」と名称され、それぞれパース、設計説明、設計図などが六ページから四ページに及び、その特色として次の事項が挙げられている。それは「入賞十六案、即ち『朝日住宅』一号型から十六号型までの図案は、そのまゝこれを何れの地に建設しても差し支えありません」とあることだ。また実際に小田急沿線の成城学園前に、入賞図案を建設した「住宅展覧会」を開くとも謳われている。

 これらの郊外を立地とする八十五に及ぶ「住宅図案」を見ていくと、九十人近い建築家たちの中で知っているのは谷口吉郎だけだが、関東大震災後の昭和初期における復興と建築ルネサンスの息吹のようなものが感じられる。何よりもこの一冊はすべてが民間の中小住宅であるし、建築家たちも大半が個人として応募しているからだ。審査委員の一人である朝日新聞社の村山長擧は「新生活者への参考に」と題する評で、次のように記している。「若き昭和は建築界にもエポックを生み、様式が謂所(ママ)新独逸式とでも総称し得る形式に傾き、東京朝日の復興が其皮切りとなつて、すばらしい流行を見るに至つた。住宅も亦同じ影響を受け、今回の答案にも著しく現れ、金銀賞の殆ど総てが此の傾向の表現であつたと云ひ得る程に変化して来た」と。

 つまりこのような指摘は秋骨たちの初期郊外の「文化住宅」に、異なる建築様式が生じ始めたことを告げているのだろう。それは拙稿「マゾヒストと郊外の『お伽噺の家』」(『郊外の果てへの旅/混住社会論』所収)で言及した谷崎潤一郎の『痴人の愛』のような文化住宅からのテイクオフを意味していたのではないだろうか。南博編『大正文化』(勁草書房)は初期郊外と文化住宅に関して、次のように述べている。
郊外の果てへの旅(『郊外の果てへの旅/混住社会論』) f:id:OdaMitsuo:20200610114246j:plain:h120

 文化住宅は、新中間層文化のシンボルであり、この段階になると洋化も、単に表面的なものではなく、住生活全体の合理化が、かなり考慮されるようになる。この文化住宅の発生には近郊の私鉄沿線が「大都市の市内の住宅難を緩和するということで、土地を分譲しはじめたことが前提になった。それは、また、この時期に交通が急速に発達したことと対応している。八年には東京市内に乗合自動車が走るようになり、銀座通りにはじめて交通整理のための交通巡査が立つようになる。(中略)九年には東京地下鉄会社ができ、(中略)そうして十一年には、西武鉄道、日蒲鉄道、翌十二年には、小田原急行電鉄が創立され、このような東京近郊の私鉄の進出が前記のように、その沿線の土地開発に大きな役割を演じたのである。
 郊外の土地に住居を持つということは、生産や労働の場所と、個人的な生活の場所とが、はっきり地理的に分離することであり、この事情からも、前にいったような、生産者意識と生活者意識の分離が促されるようになる。

 この記述は初期郊外、文化住宅、私鉄沿線の開通と土地分譲、モータリゼーションの発達が連鎖していることを浮かび上がらせ、それが戦後の郊外の祖型となったことをも伝えている。しかし『朝日住宅図案集』は関東大震災以後の昭和戦前だけでなく、戦後の文化住宅の祖型となったのだろうか。これらに示されている建築コストは三千円から五千円で、それに土地代を加えれば、都市生活者の限られた一部の層しか実現は難しかったように思われる。この時代だけに夢見られたブルジョワユートピアとしての表象だったというイメージが拭い切れない。

 『朝日新聞社図書総目録』をたどってみると、『朝日住宅図案集』は昭和四年に一冊だけ出され、それに類するものとして、五年に『朝日住宅写真集』、七年に『五室以内の新住宅設計』、十年に『今日の住宅』と、同じ判型で出されていくが、『朝日住宅図案集』は続刊を見ていない。それは賞金付きの『朝日住宅図案集』、及びそれに基づく朝日新聞社の「住宅展覧会」プロジェクトが思うように成功しなかったことを意味しているのではないだだろうか。
f:id:OdaMitsuo:20200610140937j:plain:h115 f:id:OdaMitsuo:20200610141158j:plain:h115(『朝日住宅写真集』)


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