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古本夜話1042 桜井書店とJ・A・シモンズ『ダンテ』

 ダンテといえば、本連載1032でふれたばかりだし、『近代出版史探索』71などのJ・A・シモンズの『ダンテ研究入門』(Introduction to the Study of Dante)が著名な研究書として知られている。この対になるとされるのが、やはりシモンズの『文芸復興』(第一書房、昭和九年)で、これは本連載1038の田部重治による翻訳がある。ただ前者は十年ほど前に信州の古本屋で見つけるまで、翻訳刊行されているとは思っていなかったのである。しかも版元は拙稿「桜井均『奈落の作者』」(『古本屋散策』所収)などの桜井書店で、初版刊行は昭和十九年で、私が購入したのは二十一年八月の再販である。
近代出版史探索 古本屋散策

 もちろん初版は未見だし、造本などが戦後の重版とは異なっているかもしれないけれど、後者によってそれらを見てみる。A5判上製、白地の表紙にはシモンヅ『ダンテ』、橘忠衛訳、櫻井書店とあり、索引も含め、四六〇ページに及ぶ浩瀚な一冊といってい。またさらなる特色は原書にしたがって、ダンテの引用はすべてイタリア語原文が掲げられていることで、これは初版も同様だったと思われる。訳者の橘は、この『ダンテ』を恩師で「教育学者としての阿部次郎」に捧げるとあることからすれば、時代的にいっても、阿部の東北帝大就任中の教え子ということになろう。また謝辞として、東北帝大哲学科出身で、後の教育哲学者林竹二の名前が挙げられていることも、それを伝えていよう。
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 だがこの『ダンテ』がどのようにして、この時期に「好意ある出版者とその熱心な編輯部の手」に届いたのかは明らかでない。それに昭和二十一年の「訳者再版序」によれば、「戦災によって失はれた紙型の半ばが諸種の困難な事情にも拘らず出版者の甚大な努力によつて回復され」とある。確かに敗戦下の出版状況の中で出版社の桜井均と編輯者が傾けた「甚大な努力」は何に基づいているのか、それも気になるところだ。

 桜井の娘である山口邦子の『戦中戦後の出版と桜井書店』(慧文社)収録の「桜井書店出版目録」を見てみると、昭和十八年からグンドルフ『英雄と詩人』(橘忠衛訳)、『往復書簡ゲーテとシルレル』(菊池栄一訳)、ジムメル『ゲーテ』(木村謹治訳)、シュペングラー『西洋の没落』(村松正俊訳)などの翻訳書が多く出されている。その翻訳者や編集者の延長線上に『ダンテ』の出版もあったと推測できる。また山口の同書には桜井と林がとても親しく、やはり『ダンテ』と同年に林訳のテイラー『ソクラテス』を出版したこともふれられている。ただ桜井のプロパーは文芸書だったことから考えると、これらの翻訳書企画は戦時中の企業整備によるスメル書房や日比谷出版社や大同出版社に起因しているのであろう。
戦中戦後の出版と桜井書店 f:id:OdaMitsuo:20200621102028j:plain:h112(『往復書簡ゲーテとシルレル』)f:id:OdaMitsuo:20200621102841j:plain:h117(『ゲーテ』)

 また『戦中戦後の出版と桜井書店』には聞書「桜井均の思い出ばなし」も収録され、唯一の著書『奈落の作者』(文治堂書店)と異なる桜井書店史が語られ、興味深いけれど、『ダンテ』に関することを引けば、戦後を迎え、『ダンテ』や『ソクラテス』などが思いもかけずに売れたと回想している。それが戦後の出版の始まりの一端でもあった。

 さて前置きが長くなってしまったが、『ダンテ』の内容にも言及しなければならない。シモンズはダンテを論じるにあたって、まずイタリアの初期の歴史を概観することから始めている。それを抜きにして、ダンテの著作は語れないからだ。

 ダンテの著作が始まつたのは、このやうな完全な国内の分裂と外国の干渉に対する服従との時期であつた。如何にも最悪のものはまだ来てはゐなかつたが、併し軋轢と分裂の全要素は活動の原点にあつた。これがダンテやペトラルカのやうな、輝かしい過去の伝統に育てられ、自分たちの国を至高の帝国の王座であると考へ、後にロオマの偉大なる時代を顧み、前に政治的再建の諸可能性を臨む人々が、始末に負へない大衆を制し、暴悪なる簒奪者を抑へ、党争のために支離滅裂になつて疲れ果てたイタリアを再び単一の壮麗な国家にしてくれる救済者の、政治的メシアの出現をあのやうに情熱的に叫び求めた理由である。ダンテがその旅の始めに当つて自分がその真中にゐたことに気が附いたところの「荒森(Selva Selvaggia)」―その巖烈さが死にも劣らぬほどに恐ろしい繁蕪、荒牧、強頑なる森―は、全くただこの詩人の魂の難澁を表はす比喩であるばかりでなくて、また彼の国の社会的政治的な混乱を表はす比喩でもあつたのである。

 このようなイタリアの社会状況を背景にして、ダンテは一二六五年にフィレンツェに生まれ、後の『新生』につながるベアトリーチェと恋愛し、ボローニャ大学に学んだ。しかし政治闘争に巻きこまれ、ローマに使節として赴いたが、そこでフィレンツェから永久追放の宣告を受け、流亡生活が始まっていく。そしてシモンズのいうところの「最高の三大叙事詩人の一人、混沌たる中世の解釈者、未開の暗黒と混乱せる諸方言の騒音とのなかからの出現者、新しき秘義を伝へる聖職者」としてのダンテは「彼の時代の政治的、宗教的、道徳的、哲学的経験を壓縮して一つの芸術作品を作ること」に集中していくのである。それが他ならぬ『神曲』であり、シモンズはその主題と計画、そこにおける人間的関心、作者の崇高性と騎士道的ロマンスにも側鉛を降ろしていく。まさしく日本の戦後の始まりにふさわしい一冊として読まれたと想像したくなる。


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