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古本夜話1043 春山行夫訳、レヂス・ミシヨオ『フランス現代文学の思想的対立』

 少しばかり飛んでしまったけれど、春山行夫に関して続けてみる。彼は第一書房からレヂス・ミシヨオ『フランス現代文学の思想的対立』を翻訳刊行している。同署と春山について、小島輝正は『春山行夫ノート 』(蜘蛛出版社)で、次のように述べている。

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 春山行夫の仕事に接したのは、まずは昭和12年8月に出た訳書『フランス現代文学の思想的対立』(Régis Michaud :Modern Thought and Literature in France ,1934)であった。そのころ私は旧制高校生で、大学の仏文学を志望していたので、フランス文学関係の本を手当たり次第に読みあさっていたのである。この本は、その後四十年以上たったいまでも私の書棚に残っている。敗戦後の窮乏生活で眼ぼしい本をはじから売り払ったあげくのことだから、どこか手放しがたい思いがこの本には残っていたのであろう。
 当時の春山行夫の存在意義は、むろんこれだけに止まらない。私のみならず、私の年代で西欧文学を志したものは、当時の欧米の新しい文学の紹介者として、またそれを兼ねた編集者、出版人としての彼に絶大な恩恵を蒙っているはずである。昭和10年から15年にかけて、当時の第一書房の編集局長であり、かつ雑誌「セルパン」の編集長春山行夫が残した業績はきわめて大きい。

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 さらに小島は続けている。春山の本領は「昭和初期のモダニズム詩の理論家ならびに実作者」、「同世代あるいは直後世代に及ぼした影響力の点では最も強力なイデオローグであった」と。

 小島は大正九年生まれだが、春山の影響は昭和三年生まれの澁澤龍彦たちの世代まで続いていたようだ。澁澤の「アンドレ・ブルトン『黒ユーモア選集』について」(『澁澤龍彦集成』Ⅶ、桃源社)によれば、戦後を迎えても、『フランス現代文学の思想的対立』はフランスの新文学の恰好な手引きで、春山の編集になる『セルパン』ならぬ、戦後創刊の『雄鶏通信』等を通じて、海外文学情報を得ていたとされる。
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 あらためて『フランス現代文学の思想的対立』を読んでみると、この全十四章からなる一冊が驚くほどのフランスの新しい文学者と作品を含んでいることに気づく。例えば、第六章の「冒険家、世界旅行家」において、フランス伝統のコスモポリタニズムの復活者として、ヴアレリィ・ラルボオの名前を挙げ、まだ翻訳されていない『A・O・バルナボオト』や『罰せられない悪徳、読書』に言及している。これは戦後になって翻訳され、いずれも岩崎力訳で、前者は『A・O・バルナブース全集』(河出書房新社)、後者は『罰せられざる悪徳・読書』(みすず書房)として出された。又彼がジョイスの『ユリシーズ』の仏訳者であることも。
f:id:OdaMitsuo:20200622100937j:plain:h110 (『A・O・バルナブース全集』) 罰せられざる悪徳・読書(『罰せられざる悪徳・読書』)

 澁澤との関連でいえば、第九章は「ダダの叛逆とシュルレアリストの実験」を挙げるべきだろう。まずそこではフランスにおける十九世紀半ばからの詩の革命がたどられ、ロマン主義時代の異端者やボヘミアンの一人として、ネルヴァルが語られている。「『夢は第二の人生である』といったネルヴァルは、ただ一度しかあったことのない不思議な女の幻を追ひつつその生涯を終へた。彼はファウストを翻訳し、東洋へ旅立ち、イジスの神秘的な面衣(ブエイル)を取り去ることに失敗し、パリの最も陰惨な区域に属する街の街燈で首を縊つた。彼はその死後に、亡霊が牧歌的な光景の中から出てくる散文や詩の魔術的エッセイを残した」と。ネルヴァルの初めての翻訳刊行は昭和十二年五月の『夢と人生』(佐藤正彰訳、岩波文庫)だから、この紹介とほぼ同時に出されていたことになる。だが主要な著作の翻訳は、こちらも戦後を待たなければならかなかったのである。
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 そしてボードレール、ランボー、マラルメに言及した後で、ミシヨオは二十世紀の新しい反逆者の詩人、詩として、イジドール・デュカス=ロオトレアモン伯『マルドロオルの歌』、また笑劇(フアース)として、アルフレッド・ジャリィ『ユビュ王』『フォストロル博士の身振りと意見』を上げている。これらも戦後の出版となるのはいうまでもあるまい。

 それからダダイズムを経て、シュルレアリスムが出現するのである。それをミシヨオは次のように書いている。

 シュルレアリスムは、一九二四年アンドレ・ブルトンによつて編輯された『シュルレアリスト革命』La Révolution Surréaliste といふ雑誌によつて出現した。(中略)この名称はギヨオム・アポリネエルから借用したものであつた。また最初のシュルレアリストの作品として、同時に自働的記述(オートマテイク・ライテング)の実験としてフイリップ・スウポオとアンドレ・ブルトンによつて『磁場』(一九二一年)が書かれた。ダダと同じく、シュルレアリストの主張(プログラム)も革命的且つ破壊的であつた。それは従来行はれてきたもの、即ち、イメヂ、言語、感情、論理などの一切に背向したものであつた。それはまた伝統的な言語の破壊を主張し、ダダの挑戦を取りあげ、〈言語の革命〉と呼ばれたものを支持した。「未成年時代(インフアンシイ)から俗語(スラング)を通つて精神錯乱へ」、あらゆる方法が現実から脱出し、その向ふ側の物を見出すために役立つた。それをこの主義の支持者達は〈超現実性〉と呼び、純粋の想像、夢、直観、空想などの領域と考へた。

 『フランス現代文学の思想的対立』のわずかな部分しか紹介できなかったけれど、それらだけでも、この一冊が多くの新しいフランス文学情報の宝庫であったことを了解して頂けただろう。しかもミシヨオはフランス生まれだが、アメリカのイリノイ大学のフランス文学教授を務め、小島が示していたように、同書を英語で書き、それは直訳すれば、『フランスの現代思想と文学』である。それゆえに必然的に啓蒙的紹介の色彩も伴うことによって、パノラマ的な同書が仕上げられたと推測できる。それに着目した春山は慧眼というしかないし、大げさなことをいえば、この一冊は連載1017のアーサー・シモンズ『表象派の文学運動 』の昭和十年代版だったようにも思える。それに春山の著作と同様に、この訳書にも二〇ページの原語も伴う著者、事項の「索引」もあり、これが小島や澁澤たちにとって、必携の一冊となっていたとも考えられる。

 またさらに同書の後半には「付録」として、春山によってそれ以後の一九三四年から三六年にかけての「人民戦線以後の文学」が九〇ページにわたって加えられ、春山の翻訳だけで終ったのではない現代フランス文学への持続する注視を示していよう。

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