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古本夜話1044 杉浦盛雄『名古屋地方詩史』、馬場伸彦『周縁のモダニズム』、井口蕉花

 春山行夫は名古屋の詩誌『青騎士』を揺籃の地とし、モダニズム詩人としての始まりを告げたといっていいだろう。

 実は古田一晴『名古屋とちくさ正文館』(「出版人に聞く」シリーズ14)のインタビューに際し、参考文献として杉浦盛雄『名古屋地方詩史 』(同刊行会、昭和四十三年)、及び「モダン都市名古屋のコラージュ」というサブタイトルが付された『周縁のモダニズム 』(人間社、平成九年)を名古屋の古本屋で入手している。前者には春山が「序」を寄せ、後者は最初の「都市とモダニスト」の章が「産業都市とレスプリヌーヴォー 春山行夫」から始まり、春山の若き日の写真の掲載と先の「序」の引用もあるので、ここでもそれを引いてみる。

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 名古屋市地方の詩史は、その黎明期がわが国の新しい詩の黎明期とほとんど時期がおなじだった。私自身の歩みからふりかえっても、私は『青騎士』の運動から出発し、大正十三年(〈1924〉二十二才)に上京して四年後に『詩と詩論』の運動をおこした。『青騎士』から『詩と詩論』への道は一筋であった。東京にはすぐれた先輩詩人たちがたくさんいたが、新しい詩ないし新しい詩のエスプリという点では、私は最尖端の一人であった。つまり私をおくりだした『青騎士』は、名古屋地方にはじめて詩の運動をおこした雑誌だったというだけでなく、日本の新しい詩のエスプリと理論を予見した先駆的な雑誌の一つでもあった。

 そして春山はその出現が「カボチャの種から突然にユリが咲いたというような奇蹟」ではなく、当時の名古屋には若々しい詩や芸術のエネルギーが渦巻き、「名古屋の青春が自ら生みだしたオリジナルな時代感覚」に基づき、「若い詩人や画家がいっぺンにたくさん現われた地方都市はほかになかった」とされている、つまりこの春山の「序」は『名古屋地方詩史 』がその事実を明らかにする記録であり、「詩史としてのレーゾン・デトール」に他ならないことを浮かび上がらせている。

 それを体現するかのように、『名古屋地方詩史 』の第一編「明治・大正期」は序説「現代詩の黎明」に続いて、第一章「芸術詩派」の「モダニズム詩派の発生」において、シュルレアリスムの源流と『青騎士』が、その創刊号の書影も示され、論じられていく。『青騎士』は大正十一年九月創刊、十三年六月通巻十五号の「井口蕉花追悼号」で終刊となるが、「この地方における芸術派大正詩の最も重要な詩誌で、中央や地域の詩人の作品をのせ、日本超現実主義詩の種苗圃ともなった多彩な詩活動を展開した」とまずは紹介される。創刊したのは井口蕉花、春山行夫、斎藤光次郎、岡山草三(東)、高木斐瑳雄の五人で、名古屋詩話会と緊密な関係を通じて、同人を増やし、作品の掲載を拡大していった。創刊の提案は斎藤からなされ、このタイトルは岡山によるものだったが、その「編輯後記」は春山が書き、「斯く、青騎士の現われたことに拠つて所謂中京詩壇の一大転機を促さなければならない」と宣言している。

 残念なことに『青騎士』は『日本近代文学大事典』に立項されていないけれど、拙稿「南天堂と詩人たち」(『書店の近代』所収)で示しておいたように、大正時代は詩のリトルマガジンも多く出され、大正十二年には岡本潤や萩原恭次郎たちの『赤と黒』、翌年には小野十三郎たちの『ダムダム』も創刊されていたことからすれば、『青騎士』も新しい詩の時代のトレンドに呼応していたのである。
書店の近代

 その特色はシュルレアリスムと連動していたことで、春山を始めとして、井口、棚夏針手、山中散生、佐藤一英が『青騎士』同人として、日本の超現実主義の源流をなす詩を書き続け、それらは全国各地の詩活動に大きな刺激をもたらしたのである。これらの五人の詩にふれるのは無理なので、ここではやはり『日本近代文学大事典』に立項されていないが、春山に大きな影響をもたらしたと思われる井口を取り上げてみたい。

 井口は明治二十九年名古屋市に生まれ、前述したように、大正十三年に二十七歳で亡くなり、没後に春山たちの編集により、『井口蕉花詩集』(名古屋東文堂書店、昭和四年)が刊行されているようだが、もちろん未見である。彼は小学校卒業後、転写紙製造に携わりながら、独学で英仏露語に通じ、短歌、詩作、評論に筆をとり、『文章世界』の投書家で、本間五丈原の筆名を用い、十二秀才といわれるほど有名であったという。春山も同じように正規の学歴を有さず、独学で英仏語を取得していたが、それは彼が年少の頃から知っていた井口を範としていたからではないだろうか。

 それはともかく、「鋭い心象を持った天才的な視覚型の人」の作品を見てみよう。『青騎士』大正十三年三月号掲載の「落葉を焚く」の前半の部分である。

  晩秋の落葉を溜(た)めてある朝ひそひそと焼けり
  静かに火を挙げればわが賢明(はしこさ)と怜悧なる手温みより
  すべて飽くなき初冬の感情(こゝろ)は素朴の匂ひにうち霑(ぬ)れ
  宿世さびしい庭の大気に音なく鎧ふ風に流れて
  いみじい思念の中に花くづおれるかとも見え
  或は尼僧の影の忍びかに行過ぎるかの様(よう)に白く烟り靆(なび)きぬ

 これだけでは井口の詩の在り処を充全に示せないと思うけれど、そのイメージの一端を伝えられればと願う。『名古屋地方詩史 』にはこの「落葉を焚く」の他に、「編物をする少女よ」と「嬌春譜」の二編の詩、及び『青騎士』総目次も収録されていることを付記しておこう。

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