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古本夜話1049 中村武羅夫『明治大正の文学者』と生田春月

 中村武羅夫のことは『近代出版史探索』178などで、また春山行夫との関係については本連載1027などでも言及してきたけれど、楢崎勤の慫慂によって昭和十七、十八年の二年間『新潮』に連載し、戦後に単行本化された中村の一冊がある。それは昭和二十四年に留女書店から刊行された『明治大正の文学者』で、中村の「序」によれば、『近代出版史探索Ⅱ』351の島村利正の友誼と留女書店の加納正吉の厚意に基づく勧めによるとされている。確か留女書店は志賀直哉の作品からとられた命名で、巻末には既刊として林芙美子『放浪記第三部』、尾崎一雄『虫のいろいろ』、近刊として太田静子『あはれわが歌』が挙がっている。

f:id:OdaMitsuo:20200701150938j:plain:h110 近代出版史探索 近代出版史探索Ⅱ f:id:OdaMitsuo:20200703172455j:plain:h110(『虫のいろいろ』)

 その帯にはやはり新潮社に在籍していた河盛好蔵の推薦文が寄せられているので、それを示す。「これは多年『新潮』を主宰していた剛直にして人情に篤い著者が親しく接触した明治大正の文学者たちの風貌と生活を活けるが如くに描いた興味津々たる文壇裏面史であるとともに明治大正文学研究の貴重な文献である」。確かに中村は明治四十年に北海道から上京し、『新潮』の記者となり、「序」で自らいうように、「終戦直前まで凡そ四十余年間の長きに亙つて、一貫して文学雑誌記者としての仕事に従事して来た」。それゆえに『日本近代文学大事典』において、この徳田秋声に捧げられた『明治大正の文学者』は書影も示され、「後世に残る傑れた回想録の一つ」と評されている。

 『明治大正の文学者』は全二十四章からなり、いずれも編集者兼作家としての証言であるだけに、河盛がいうところの「興味津々たる文壇裏面史」を形成している。しかしここではその最後の二章を占める「生田春月のこと」を取り上げてみたい。生田が自死したのは昭和五年で、中村の回想はその二十年後の昭和二十四年に出され、もはや生田は忘れられた詩人だと思われるのだが、「最後に是非もう一人、生田春月のことを書いておきたい。―春月は私のためには最も親しい友人の一人でもあつた」と述べているからだ。

 だがそれは『明治大正の文学者』の中でも、ほとんど「興味津々たる」ものではない。その理由として、生田への「文学者」としての言及ではなく、「余談」に多くが費やされていることによっていよう。中村は生田長江の家で、そこに身を寄せていた春月を紹介された。長江と同郷の山陰の伯耆出身の「田舎者まる出しの青年」だったが、長江によれば、「天才青年」というふれこみだった。春月は長江の世話で新潮社の「文書講義録」の添削の仕事を長く続けていたので、中村とよく顔を合わせていた。しかし中村は詩が好きでなかったこともあり、献本されていたけれど、春月の作品はほとんど読んでいなかった。

 春月のほうは長江の病気もあって、感染させられたという観念に取り憑かれ、中村は春月の後年の自殺がそれに基づいているのではないかとも推測している。このような「余談」がずっと続き、ようやく二人が親しくなった事情が語られるのである。

 私と春月とが、「ツマらない、偶然の機会から」「一瞬にして忽ち肝膽相照らす」ことになつた偶然の機会といふのは、ちやうど晩秋のころだつたと思ふ。夕方のことで、私が新潮社から帰らうとして、二階の編輯室から降りて玄関に出ると、そこでバツタリと、春月に出逢つたのである。ちようど春月も、これから帰るので、玄関まで出たところであつた。そのころ流行つた、羅紗の釣鐘マントを着て、右の片羽根を撥ね上げてゐたのだが、小脇には例の文章講義録の会員から来た添削原稿とハトロン紙に包んだのを、一拘へほども抱へてゐるのが、チラと見えてゐた。
 「いつしよに出ませうか。」
 いつもは顔を合わせても、めつた(傍点)に口を利くことのない、オドオドした眼を反らすやうにして、コソコソ帰ってゆく春月が、その時は何んと思つたのかニコニコと自分の方から、僕を誘ふのであつた。

 それで中村は春月と一緒に出た。すると春月は長江のところを出て、今日部屋を借りたので、中村に寄ってくれという。「つまり春月は、長江の家庭を離れ、嬉しくて堪らなかつたのだらう」。二人はその部屋に一時間余りしゃべり合い、近くのヤマニバーで蟹を食い、酒をしたたか飲んで酔っ払い、「それを機会にして私と春月とは、俄然『肝膽相照らす』仲になつたわけである」。

それから春月は下宿を変えたりしたが、新潮社の近くの中村の家から遠く離れることなく、ずっと牛込に住み、そこで初めて会う花世を花嫁とし、中村、『近代出版史探索Ⅲ』541の水守亀之助、『近代出版史探索』181の加藤武雄が新婚の酒盛に招かれた。その光景を描いて、中村は「生田春月のこと」、すなわち『明治大正の文学者』を閉じているので、やはりそれを引いておくべきだろう。
近代出版史探索Ⅲ

 机のそばの畳の上に、赤土の焜爐を据ゑて、小さな、新しいフライ鍋を掛け、すき焼きした。西洋皿に葱、肉などを盛り、これも畳の上に置いた。一升徳利を持ちだして、我れ我れは淋しい木枯の音を聞きながら肉を煮て、春月の新婚を祝して、大いに酒宴を開いたのであつたが……。(完)

今回は中村の生田春月に終始してしまったので、もう少し春月に関して続けなければならない。 


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