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古本夜話1050 生田春月『真実に生きる悩み』

 生田春月の感想集『真実に生きる悩み』が手元にある。これは小B6判、並製三一五ページ、大正十二年初版発行、十三年十一版の一冊で、新潮社から出されている。
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 その巻末広告を見ると、春月の「文壇嘱目の中心となれる一大長篇小説」として、二千有余枚の『相ひ寄る魂』上中下巻、詩集として『霊魂の秋』『感傷の春』『慰めの国』『私の花環』の四冊が並び、大正末期が春月の時代であったことを伝えていよう。
f:id:OdaMitsuo:20200704143647j:plain:h110 (『感傷の春』)

 『日本近代文学大事典』で春月を引いてみると、ほぼ一ページの立項があるので、その軌跡をたどるために要約してみる。彼は明治十五年米子市に生まれ、高等小学校中退後、各地を流浪する中で詩作を続け、十七歳で上京し、生田長江の玄関番兼書生となる。前回記述したように、この時期に中村武羅夫と知り合っている。長江の紹介で新潮社の「講義録」の添削の仕事に携わり、そのかたわらで、ドイツ語を独学で修める。『帝国文学』などに詩作品が掲載され、詩人として立つ決意を固める。大正三年に『青踏』同人の西崎花世と結婚し、六年二十六歳で第一詩集『霊魂の秋』、七年には『感傷の春』をいずれも新潮社から刊行し、詩人としての地位を確立する。これらの詩集の成功は、新潮社に詩話会の運営や詩誌『日本詩集』の刊行を促すことになった。その一方で、春月は翻訳家としても活躍し、ハイネ研究にも励み、詩雑誌『詩と人生』も主宰した。しかし次第にニヒリズムに陥り、昭和五年三十八歳で播磨灘に身を投じ、その生涯に自ら終止符を打った。
 
 『新潮社四十年』所収の「新潮社刊行図書年表」を見てみると、本連載833でもふれたように、明治四十年代から新潮社と生田長江の関係は深く、ニーチェなどの翻訳も出し始めていたので、長江を通じて春月も新潮社から著書や翻訳を刊行していくのは当然の成り行きであった。大正四年には『修養語録』とゴーリキイ『強き恋』が出され、それらが詩集の出版とリンクしていったのであろう。また大正時代の新潮社の出版を追っていくと、大正五年の江馬修『受難者』、八年の島田清次郎『地上』のベストセラー化によって、出版活動が隆盛となっていくのがわかるし、春月の大長編小説『相ひ寄る魂』にしても、これらの長編のベストセラー化を意識して書かれたはずだ。
f:id:OdaMitsuo:20200704151657j:plain:h110 地上

 さらに大正十年代には春月の『漂泊と夢想』を始めとする「感想集」シリーズが、吉田絃二郎『小鳥の来る日』『草光る』、江馬修『心の窓』、島崎藤村『仏蘭西だより 戦時に際会して』として続刊され、それに『真実に生きる悩み』も加えられていくことになる。同書の巻頭に置かれた同タイトルの一編を読むことで、春月の「感想集」の一端を覗いてみたい。まず春月は自分のポルトレを提出している。
f:id:OdaMitsuo:20200704164449j:plain:h110(『草光る』) f:id:OdaMitsuo:20200312175535p:plain:h110

 私は孤独な人間であつて、あまり賑やかな人中に出て行くのは好ましくないので、大抵家に引籠つて、丁度屋根裏のやうな感じのする狭い書斎で、静かに好きな本を読むとか、自分の書きたい事を書くとか、又は、いろゝゝな小さな計画を立てゝ見るとか、さうした事で、毎日の日を送つている。

 それから続けて、「私は大体系統立つた学問をして来なかつた人間」で、「しつかりした学問のない一介の詩人にすぎない」こともあり、「かうした高い演壇に立つて、何か物言う事は(中略)私とつては、ふさはしい事ではない」と述べている。

 これは何気ない記述のように思われるかもしれないが、正規の学歴を有さず、上京して詩人となった春月が獲得した特権的なポジションともいえるのではないだろうか。春月は江馬修や島田清次郎のようなベストセラーを生み出さなかった。しかし大正時代を迎えての新潮社の文芸出版の躍進に詩人として寄り添うことによって、こうした初めての講演を頼まれるようになったのである。

 それを支えたのは明治時代と異なる出版流通販売インフラの成長であった。明治末期に実業之日本社が導入した『婦人世界』の委託販売制は、三千店だった書店を一万店まで増加させた。それは新潮社の文芸書出版の隆盛とパラレルで、本連載1044の名古屋の『青騎士』ではないけれど、多くの詩人たちを誕生させたといっていいだろう。文芸市場と文学者たちの出現はともに手を携えていたのである。実際に春月は「自分の救ひと慰めとの為に」で書いている。

 書くことによつて、いろいろの事を学ぶ、それは単に愛ばかりではない、智恵も、真実も、いや、凡てのものを。
 自分のやうな学歴のないものにとつて、創作はいい学校である。
 心霊の教化、人格の鍛錬、生死の救抜。
 これが私の信仰だ。
 若しこの信仰が破れたら?
 そのときは私が文学をすてる時だ。
 文学が自分の慰めでなくなつた時、救ひでないと悟つた時は、
 その時は私が文学者でなくなる時だ。
 それは深淵だ、暗い、恐ろしい……

 ここには『相ひ寄る魂』を書き継ぎながら、不安に追いやられている春月の「魂」の揺曳が垣間見えている。それは関東大震災後に出され、ある程度は売れたようだが、文壇からはほとんど無視されてしまったとされ、さらなるニヒリズムへと追いやられたのかもしれない。


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