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古本夜話1052 詩話会と新潮社『現代詩人全集』

 生田春月の遺稿詩集『象徴の烏賊』は昭和五年六月に第一書房から刊行され、『日本近代文学大事典』には書影とともに、「懊悩する春月を知る代表的詩集」として、この一冊だけが立項されている。これは前回の『生田春月全集』第一巻にも収録があり、確かに処女詩集『霊魂の秋』と異なる、切迫したニヒリズムを表出させている短唱を見ることができる。

f:id:OdaMitsuo:20200708150856j:plain:h120 (『象徴の烏賊』) f:id:OdaMitsuo:20200704171634j:plain:h120

 この『象徴の烏賊』がどのような経緯と事情で、第一書房から刊行されたのかは戸田房子『詩人の妻 生田花世』でもふれられていない。これは推測するに、第一書房の長谷川巳之吉が玄文社時代に詩集『麻の葉』(大正十一年)を出版したことに端を発しているのだろう。
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 この遺稿詩集も含めて、短い生涯の間に、それも十一年余で全十五冊の詩集を上梓したことは特筆すべきことだと思われるし、それは新潮社の詩の出版へも大きな影響を与えたはずだ。それゆえに新潮社は「この縁故深き詩人の霊に捧げ」んとして『生田春月全集』を刊行したのである。

 その新潮社と詩の本格的な出版は大正八年の年刊『日本詩集』から始まっている。『日本詩集』は詩話会の主要事業でもあった。詩話会は本連載1022でも既述した大正時代の最大の詩人団体で、大正六年に川路柳虹、山宮允が主唱者として、様々な詩誌による詩人たちに呼びかけ、詩人懇談会が催され、それを母体として設立された。そして『日本詩集』と月刊誌『日本詩人』が刊行され、その版元を引き受けたのが新潮社だったのである。
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 年刊『日本詩集』は大正十五年までに八冊が出されたが、これも本連載1022で既述したように、大正十二年刊行の詩話会編纂「1923版」(大正十一年)の一冊だけを入手している。その「序」は「新しい詩の収穫時代」「我国に於ける詩的精神の建設時代」がここにあり、「詩を愛する精神が一般化しつつある」との言葉が見える。そして生田春月を始めとして、三十一人の詩が収録され、そこには金子光晴、佐藤春夫、高村光太郎、野口雨情、萩原朔太郎、室生犀星なども含まれている。

 また「余録」として、「大正十一年における詩論の抜萃」が十本、「大正十一年詩壇一覧」は一月から十二月までの詩、詩論、翻訳、著書、事件などを記録している。さらに三十七人に及ぶ「会員住所録」、それに「詩話会規則」も付され、「詩話会は日本詩壇の興隆を期し、壇人相互の交情を温め、壇の進歩発達を庶幾する団体である」との言も謳われている。その委員として、先に挙げなかった詩人は佐藤惣之助、白鳥省吾、千家元麿、富田碎花、福士幸次郎、福田正夫、百田宗治で、いってみれば、詩話会会員は当時のオールスター詩人たちの集合のように映る。

 それらとともに目を引くのは巻末の「新潮社出版詩書類」で、それぞれの会員の詩集だけでなく、会員の翻訳による『泰西名詩選集』、会員たちの「現代詩人叢書」である。これらはいずれも未見だが、前者は大正八年から十四年にかけて全十巻、後者は大正十一年から十五年にかけて全二十巻に及んでいる。
f:id:OdaMitsuo:20200709163520j:plain:h110(「現代詩人叢書」第一編 野口米次郎『沈黙の血汐』)

 これらの大正時代の「新潮社出版詩書類」の集大成が、昭和円本時代の『現代詩人全集』全十二巻だと見なせよう。それに関して、「日本全集は、実に国民の公選になるところの一大国民詩集であつて、我等の文化と、我等の心と魂を、百代の後に記念す可き、一大精神建築」で、「背、極上羊皮、紬織り表紙。金模様、芸術味豊な装幀」と謳われている。たまたまこれは一冊だけ入手していて、函無し裸本だが、「紬織り表紙」はからし色が鮮やかで、並製フランス装の『日本詩集』と比べて、恩地孝四郎の装幀は一世紀前の出版だと思われないほどの美しさが保たれている。
f:id:OdaMitsuo:20200708145214j:plain:h120(『現代詩人全集』第十巻『福士幸次郎集・佐藤惣之助集・千家元麿集』)

 手元にあるのは『石川啄木集・山村暮鳥集・三富朽葉集』の第六巻で、三富のことを考えれば、恩地の装幀とリンクしているように思われてならない。同巻の「三富朽葉小伝」にあるように、彼は自由詩社の『自然と印象』により、フランス近代詩と象徴主義の影響を受け、口語散文詩の先駆的作品を発表していたが、大正六年に犬吠埼海岸で遊泳中に溺死している。まだ二十九歳だった。その遺友の増田篤夫が十年かけて編纂した詩、詩論、翻訳などを含めた『三富朽葉詩集』を第一書房から刊行したのは大正十五年であった。これは浜松の時代舎で、二十年ほど前に購入し、『近代出版史探索』135でふれているが、背革金泥装のいかにも第一書房らしい装幀で、『現代詩人全集』の恩地装をも彷彿とさせる。
f:id:OdaMitsuo:20200709165644j:plain:h120 近代出版史探索

 同時代に第一書房は堀口大學訳詩集『月下の一群』、日夏耿之介『黒衣の聖母』などの所謂「豪華本詩集」を刊行していた。それに『現代詩人全集』も影響を受けなかったはずがない。両者をつないだのが第八巻所収の生田春月であるとすれば、それは必然的でもあったといえよう。なお「現代詩人叢書」『現代詩人全集』も明細を挙げられなかったけれど、双方とも『日本近代文学大事典』にリストアップされているので、必要とあれば、そちらを参照されたい。

 その後の詩話会にもふれておくと、大正十四、五年には詩壇に変化が生じ、新しい世代の詩人の台頭によって、詩話会は解散に至り、『日本詩集』も『日本詩人』も廃刊となったのである。それ以来、敗戦に至るまで、それに匹敵する詩人団体は設立されなかったようだ。


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