あらためて『新潮社四十年』や『新潮社七十年』に目を通していると、双方において、大正十四年四月から刊行の『現代小説全集』 に関する注視に気づいた。この全集に対して、これまで目を向けていなかったのは何よりも実物を入手していなかったことに尽きるのだが、最近その一冊を見つけたことによって、新潮社の社史の中に『現代小説全集』 のことを再発見したといえよう。
『新潮社四十年』は「予約募集」と銘打った内容見本を示し、次のように述べている。
所謂円本時代の前に於て、我が社では、各方面に亙る全集を無数に出版してゐるが、大正十四年に刊行した「現代小説全集」の如きは特筆に値するであらう。これは島崎藤村、徳田秋声、菊池寛、芥川龍之介等、当時文壇に於けるベストメンバアと称すべき十六氏の代表作を、各一人一巻に収めたもので、堂々たる大冊であつた。現存作家の作品を内容とした全集として、これほど大規模なものは、これ以前には無かつた筈である。或は円本流行の機運は、この叢書あたりから生れ出たのでは無からうか。
確かに入手してみると、「堂々たる大冊」で、『新潮社七十年』の説明によれば、「菊大判六百ページ、表紙はロンドン特製レザー・クローズ、特製極美本天金函入、会費毎月払四円五十銭、入会金四円五十銭」だった。手元にあるのは『泉鏡花集』で、函無しの裸本だが、その「特製極美本」のイメージは伝わってくる。ちなみに作品明細は挙げられないけれど、善十五巻をリスト・アップしてみる。内容見本には「十六氏」とあったが、実際に刊行されたのは全十五巻である。
(『現代小説全集』)
1 | 『芥川龍之介集』 |
2 | 『泉鏡花集』 |
3 | 『菊池寛集』 |
4 | 『久保田万太郎集』 |
5 | 『久米正雄集』 |
6 | 『佐藤春夫集』 |
7 | 『里見弴集』 |
8 | 『志賀直哉集』 |
9 | 『島崎藤村集』 |
10 | 『谷崎潤一郎集』 |
11 | 『田山花袋集』 |
12 | 『近松秋江集』 |
13 | 『徳田秋声集』 |
14 | 『正宗白鳥集』 |
15 | 『武者小路実篤集』 |
これらに収録されたのは自選による代表作で、「年譜」もまた自筆によるものが多いとされる。『泉鏡花集』の場合、口絵写真に鏡花肖像が掲げられ、続いて「鏡花小史」としての言葉もしたためられ、「玄武朱雀」を始めとする十編の作品が収録されている。
『新潮社七十年』は『現代小説全集』 全巻の書影を示し、9の「『島崎藤村集』五千四百部の印税」を持参したところ、藤村が「本も一冊出して……これだけ印税が……入ればいいなあ……」といったという中根駒十郎の証言を紹介している。印税が十パーセントとすれば、二四三〇円であり、しかも『泉鏡花集』所収の作品と同様に、ほとんどが明治後半の短編や中編の旧作だったと考えられるのでいってみれば、『現代小説全集』は藤村だけでなく、編まれた作家全員にとっても、僥倖の企画だったことになる。そのような僥倖を藤村は改造社の『現代日本文学全集』で再び味わい、その体験を「分配」(『島崎藤村全集』7所収、筑摩書房)で書いている。このことに関しては拙稿「円本・作家・書店」(『書店の近代』所収)を参照されたい。
ところでこの昭和円本時代の始まりとされる改造社の『現代日本文学全集』の企画は、『現代小説全集』発刊の一年後の大正十五年十一月に発表されている。これは全三十七巻、別冊一冊、菊判三〇〇ページ、六号総ルビ付三段組だった。『現代小説全集』 と同じように予約出版であったが、異なっていたのは定価で、『現代日本文学全集』のほうは画期的な一円という定価設定で、これが円本の嚆矢とされたのである。そして新潮社の『世界文学全集』、平凡社の『現代大衆文学全集』、春秋社の『世界大思想全集』、春陽堂の『明治大正文学全集』、第一書房の『近代劇全集』が続き、昭和円本時代の幕が切って落とされた。最終的にこの円本は三百種以上に及んだとされ、本連載の目的のひとつはそれらを追跡することだった。
(『世界文学全集』) (『現代大衆文学全集』)
(『世界大思想全集』) (『明治大正文学全集』)(『近代劇全集』)
それもあって、この円本の誕生の背景に言及してきたが、突如として『現代日本文学全集』が出現したわけではなく、明治後半から大正時代にかけて、先行する多くの予約出版形式があった事実にもふれてきた。例えば、「鶴田久作と国民文庫刊行会」(『古本探究』所収)において、国民文庫刊行会が明治末から昭和にかけて、日本古典の集成「国民文庫」、欧米文学の「泰西名著文庫」「世界名作大観」、初めての『国訳大蔵経』などを刊行していたのである。
私見によれば、国民文庫刊行会などの予約出版形式は読者への直接販売を採用し、取次・書店ルートを経ないことによって、「非売品」と謳われていたのである。改造社の『現代日本文学全集』はそれを出版社・取次・書店という近代出版流通システムへと移行させることによって、かつてない成功を収めたといえるであろう。しかしその先行する企画や造本が、新潮社の『現代小説全集』 に求められたのではないかという視座は有していなかった。やはり出版史は実物を入手し、比較することが不可欠であるとの思いをあらたにした次第だ。
[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら