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古本夜話1056 新潮社『現代長篇小説全集』と佐藤紅緑『愛の順礼』

 本連載1053の新潮社の『現代小説全集』はそれだけで終わったのではなく、昭和円本時代へと確実に継承され、昭和三年の『現代長篇小説全集』全二十四巻へと結実していったと思われる。
f:id:OdaMitsuo:20200711092903j:plain:h115(『現代小説全集』) f:id:OdaMitsuo:20200716195213j:plain:h120 (『現代長篇小説全集』第二巻)

 昭和円本時代において、新潮社は改造社の『現代日本文学全集』に続く二番目の円本として、ただちに『世界文学全集』を企画刊行し、改造社と同様に成功を収めた。だが大正時代を通じて、近代文学を中心として成長してきた新潮社にとって、『現代小説全集』を出していたにもかかわらず、先に改造社に日本文学全集出版を許してしまったことは悔しくてたまらなかったにちがいない。
f:id:OdaMitsuo:20200413114445j:plain:h110(『現代日本文学全集』)f:id:OdaMitsuo:20200717104139j:plain:h115(『世界文学全集』)

 それに続けて春陽堂にも『明治大正文学全集』を企画発表されていたので、もはや明治から大正を包括する文学全集が成功しないことは自明であった。また平凡社も『現代大衆文学全集』を発表していたことからすれば、大衆文学も含めて、長巻にわたる日本文学全集の刊行は、当時の読者や文芸書市場からしても、飽和状態にあったと見ていい。
f:id:OdaMitsuo:20200717102503j:plain:h115(『明治大正文学全集』)  f:id:OdaMitsuo:20200717104540j:plain:h120 (『現代大衆文学全集』)

 しかし文芸書の新潮社として、しかも先んじて円本の範とも考えられる『現代小説全集』を出していたのだから、それに続くものを刊行すべきだとの声も上がったのであろう。そうして企画されたのが、昭和三年の『現代長篇小説全集』だったと思われる。『新潮社四十年』は「円本時代の花形」というフレーズを付し、『現代長篇小説全集』に言及している。

 『世界文学全集』に於て驚異的成功を贏ち得た我が社がこれにつゞいて予約募集を企てたのが、「現代長篇小説全集」である。第一巻菊池寛篇「新珠・結婚二重奏」以下二十四巻、所謂通俗小説と、所謂芸術小説のすべてを通じて、名作家の代表作にして、亦、読書界に名作の名を記ししたものゝのみを集めたので、内容の優秀、定価の至廉、相俟つて非常な人気を博し、円本時代の花形として、「世界文学全集」に次ぐの大部数を獲得したものである。尚ほ、これの続篇といふやうなかたちで、数年を隔てゝではあるが、「昭和長編小説全集」十六巻を刊行して、亦、相当の成功を収めた。この方は、時代物の大衆小説をも加へた。

 とりあえず続けて、この『現代長篇小説全集』のラインナップを示してみる。

1  『菊池寛篇』
2  『長田幹彦篇』
3  『里見弴篇』
4  『中村武羅夫篇』
5  『菊池幽芳篇』
6  『島崎藤村篇』
7  『加藤武雄篇』
8  『谷崎潤一郎篇』
9  『三上於菟吉篇』
10  『徳田秋声篇』
11  『吉田絃二郎篇』
12  『佐藤紅緑篇』
13  『久米正雄篇』
14  『泉鏡花篇』
15  『吉井勇篇』
16  『上司小剣篇』
17  『田山花袋篇』
18  『吉屋信子篇』
19  『小杉天外篇』
20  『佐藤春夫・宇野浩二篇』
21  『賀川豊彦・沖野岩三郎篇』
22  『小山内薫・谷崎精二篇』
23  『細田民樹・三宅やす子篇』
24  『島田清次郎・江馬修篇』

 このうちの12の『佐藤紅緑篇』の一冊だけを所持している。四六判函入、本体は赤いクロス装の上製で、七七三ページに及び、その造本のニュアンスは平凡社の『現代大衆文学全集』を彷彿とさせる。同巻には『愛の順礼』『半人半獣』『旅役者の手記』の三作が収録され、それぞれに田中良、吉邨二郎、林唯一の口絵や挿絵が寄せられている。そうした挿絵は『現代小説全集』にはなかったものであるし、しかも奥付には「挿絵抽籤番号」券も付されていて、所謂通俗小説の読者層に向けての配慮としての「付録」と見なせよう。
  f:id:OdaMitsuo:20200718110758j:plain:h110 f:id:OdaMitsuo:20200718111646j:plain:h110(『佐藤紅緑篇』)

 佐藤紅緑とその一族に関しては、近年娘の佐藤愛子が『血脈』(文春文庫)を書き、紅緑を始めとする破天荒な人生がたどられている。それはともかく、紅緑は大正時代後半から講談社の『婦人倶楽部』や『講談倶楽部』などに自らの社会体験に基づく大衆小説を書き、また昭和に入って『少年倶楽部』に『あゝ玉杯に花うけて』の連載を始め、大きな反響を呼んでいた。まさに『佐藤紅緑篇』はその渦中に刊行されたことで、好評のうちに迎えられたにちがいないし、収録作品もそれらの講談社などの雑誌に連載されたものではないだろうか。
血脈 f:id:OdaMitsuo:20200718105737j:plain:h110 

 三作のうちの『愛の順礼』を見てみると、語り手の「私」がある俳席に臨んだことから始まっている。それは五、六人ばかりの気持ちのいい人たちの集まりで、その中に「円顔の微笑の人」がいた。彼は次のような句を出した。

   夕時雨順礼の子が泣いて行く

 「私」はこの句を選んだが、他の人たちは幼稚で感傷的な佝だとけなし、「微笑の人」に説明を求めた。すると彼はいう。「夕方になつて宿る処がない程悲しいことはないよ、灯が点ると猶ほ悲しくなる、子供が皆んな家に入つて外で遊んでるものがないだらう、そこに以つて来て此子は母親を尋ねてるんだからね」。

 それは「微笑の人」の実体験に発する句のようで、順礼のことは「全然他人に解らない」といい、「私」もそれが思想と人間関係の「大問題」なのだと応じた。それから二年ばかり過ぎ、「浦田六郎」という見知らぬ人から小包が届けられてきた。そこには大冊の原稿、硯が包まれ、その硯から「微笑の人」が持っていたものだと思い出した。手紙には原稿が自叙伝的小説で、「私は此世の愛を求めて彷徨ひ歩く順礼」だとあり、タイトルはつけていないので、「御命名」の上、「世上に発表し得るなら私は実に本望です」と記されていた。硯は「私」への贈り物だった。「私」はそれを読み、それが「腹の底から血に交つて滲み出した涙の記録」で、その「涙の中に雄々しき彼の微笑を認める、そして私は『愛の順礼』と題名したい」。そしてこの『愛の順礼』が始まっていくのである。


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