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古本夜話1059 子母澤寛『突つかけ侍』

 前回の『昭和長篇小説全集』の14が子母澤寛の『突つかけ侍』であることを示しておいた。これは『新潮社四十年』が述べているように『現代長篇小説全集』と異なり、「この方は、時代物の大衆小説も加へた」ことによっている。それは明らかに平凡社の『現代大衆文学全集』の影響を受けているであろう。
f:id:OdaMitsuo:20200716195213j:plain:h120 (『現代長篇小説全集』)  f:id:OdaMitsuo:20200717104540j:plain:h120 (『現代大衆文学全集』)

 それらは『昭和長篇小説全集』の場合、時代物の作家として重なるのは子母澤寛の他に、白井喬二『伊達事変』、吉川英二『松のや露八』、長谷川伸『道中女仁義』、野村胡堂『万五郎青春記』、大佛次郎『薩摩飛脚』であり、合わせて六人六作に及んでいる。この全集に関しては前回既述したような事情もあって、これらの時代小説のすべてが未見なのだが、冒頭に子母澤寛の『突つかけ侍』を挙げたのは、たまたま戦後版の『突つかけ侍』を入手しているからだ。ただそれは昭和三十一年に桃源社から刊行された全五巻なので、恐らく『昭和長篇小説全集』版の増補と見なしていいのではないだろうか。

 ずっとそのように思いこんでいたのだけれど、念のために『新潮社四十年』の「新潮社刊行図書年表」を確認してみると、『突つかけ侍』は刊行されておらず、『野火の鴉』に差し替えられていたのである。それは昭和十一年に出されている。また前回挙げた『昭和長篇小説全集』のラインナップもあらためて照合してみた。すると吉屋信子の『一つの肖像』は『双鏡』、加藤武雄『三つの真珠』は『東京哀歌』、大佛次郎『薩摩飛脚』は『異風黒白記』、牧逸馬『大いなる朝』は『双心臓』としての刊行なので、全十六巻のうちの五巻までがタイトル変更となったとわかる。いや作品そのものが差し替えられたと見ていい。そこにはどのような経緯と事情が潜んでいるのだろうか。

 やはりそれは『突つかけ侍』を例とすべきだろう。子母澤については拙稿「大道書房と子母澤寛」(『古本屋散策』所収)などで言及しているが、再びトレースしてみる。彼は東京日日新聞社会部在職中の昭和三年に、子母澤寛のペンネームで、古老の聞書を主とする『新選組始末記』(万里閣、中公文庫)を処女出版し、『笹川の繁蔵』『紋三郎の秀』『国定忠治』『弥太郎笠』などによって、新しい大衆文学の作家として立場を確立した。八年には新聞社を辞め、十五年にわたる記者生活を清算し、九年からは『都新聞』に『突つかけ侍』の連載を始めている。この作品は新たに幕末維新期を舞台とし、旗本や御家人を主人公とするものであった。これはどうしてなのか、真鍋呉夫編『増補大衆文学事典』(青蛙房)には見えていないけれど、『日本近代文学大事典』には立項されているので、それを引いてみる。

f:id:OdaMitsuo:20200720143726j:plain:h110(『突っかけ侍』講談社版)古本屋散策  (『新選組始末記』中公文庫)

 [突つかけ侍]つつかけさむらい 長編小説。「都新聞」昭和九・三・一一~一〇・四。昭和一二・五、新小説社刊。『松村金太郎』『はればれ坊主』と三部作をなし、これまでのやくざ中心の股旅ものに、新しい旗本、御家人くずれ、浪人などの武士があらわれてくる。この点で、子母沢文学の転換点をなす作品だといわれている。この点で長谷川伸の作品を継承し、さらに発展させた一面を形成することになるのである。そして、この旗本、御家人などの武士の姿の中に、祖父梅谷十次郎や古老らの姿がこめられているといえる。

 この解題によれば、『突つかけ侍』は昭和十二年に新小説社から刊行されている。新小説社に関しては、『近代出版史探索Ⅲ』428、472でふれているが、春陽堂の元編集者で、長谷川伸の女婿である島源四郎が設立した出版社である。雑誌『大衆文学』と時代小説を刊行し、装丁や挿絵は小村雪岱が担当していた。それゆえに長谷川との関係もあり、新潮社は『突つかけ侍』を刊行できなくなり、十一年に『野火の鴉』へ差し替えざるをえなかったのであろうし、他の四作にしても、同様の事情が絡んでいたと見なすしかない。
近代出版史探索Ⅲ

 『昭和長篇小説全集』は新聞社や雑誌に連載中の作品を対象にして、作家の内諾だけを受けたかたちで、見切り発車した企画だったのではないだろうか。それが刊行の段になって、各版元の著作権なども絡み、出版の実現が不可能となり、急遽変更せざるを得なかったと考えるしかない。

 中央公論社版『子母澤寛全集』十所収の「年譜」をたどってみると、昭和九年のところに『中外商業』に『野火の鴉』、『都新聞』に『突つかけ侍』『松村金太郎』『はればれ坊主』を連載し、挿絵は小村雪岱とある。また十年には尾上菊太郎主演『突つかけ侍』が映画化されたとの記述も見えるので、それも作用し、新潮社は『野火の鴉』のほうを刊行することを余儀なくされたのであろう。しかしこの「年譜」に目を通すことで、戦後の桃源社版の成立も了解されるように思われた。この五巻本はその表紙に雪岱の挿画が援用され、それはおそらく新小説社に基づいているのであろうし、またその三部作を五巻版仕立てにしたのである。松村金太郎も「はればれ坊主」=碩順も、『突つかけ侍』の主人公、もしくは主要な登場人物だからだ。
 
 そしてこの昭和三十一年の刊行は、『近代出版史探索Ⅲ』269で指摘しておいたように、桃源社が貸本屋取次ともいうべき矢貴書店をも営んでいたことによって、再刊されたと考えられる。これも高野肇『貸本屋、古本屋、高野書店』(「出版人に聞く」8)で明らかなように、この時代には貸本屋は三万店に及んでいたとされる。おそらく貸本屋市場において、時代小説の五巻本は歓迎されたはずだ。この桃源社版はそのような貸本屋と時代小説の蜜月もあったことを思い出させてくれる。

貸本屋、古本屋、高野書店


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