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古本夜話1064 高木文編著『続明治全小説戯曲大観』

 前回の斎藤昌三編纂『現代日本文学大年表』は先行する範があり、その「例言」で次のように述べている 。
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 この種の徒労的な仕事は、自分が最初ではない。曩には先輩高木文氏の『明治全小説戯曲大観』があるが、その量に於て数倍の差があるのみで、自分の体験から云つて、高木氏の労もお察しした。但、氏のは明治期に限られてゐたこと、翻訳翻案を除外された(多少は混入してゐる)こと等々に多少の不備不満があつて、自分はより完全をと期したのだが、扨親しく当つて見ると中々難事業であつた。(後略)

 さらに高木の労作への批評として、年表の誤記、小説や戯曲以外のものの再録などにも及んでいるけれど、「例言」に見える作品の新聞掲載は高木の年表によっているものもあるとの言からしても、先行する高木の仕事なくして、『現代日本文学大年表』の四年間での完成は難しかったと思われる。

 その高木文編著『続明治全小説戯曲大観』が手元にある。大正五年に聚芳閣から刊行されている。この版元に関しては拙稿「聚英閣と聚芳閣」(『古本屋散策』所収)などを参照されたい。函入、菊判上製、二一五ページの一冊の函と本扉は『近代出版史探索Ⅲ』553などの雪岱文字であることを付記しておこう。同書は『現代日本文学大年表』の編年体ではなく、著作家別年表によるもので、その数は二百人弱である。それらは「処女作年代順」となっていて、例えば二人目に位置する仮名垣魯文の場合、まず簡略なプロフィルが記され、明治以前の作品は掲載されていないが、明治元年『仮名読八犬伝』、三年の『西洋道中膝栗毛』『胡瓜図解』、五年『百貨物産西洋機械』、以下十六年までがたどられている。未見だが、おそらく『明治全小説戯曲大観』も同様の編著だと考えられる。

古本屋散策 近代出版史探索Ⅲ 明治全小説戯曲大観(東出版復刻)

 その編著のモティーフも『続明治全小説戯曲大観』にある序文の次の言葉に尽きるだろう。

 近年明治文壇の研究が盛んになつて来たので先きに前篇を刊行せし際に著作家年表を附する筈なりしも未定稿の儘であつたのを茲に多少整理を加へて続篇とし前篇と併て明治文壇を研究せん者の為めに遺して置きたいと思ふ百年ならずも五十年の後にどれだけ明治の文壇が伝はるであらうかは興味がある。

 筑摩書房『明治文学全集』の刊行が本格的に始まるのは昭和四十年だから、まさに「五十年の後にどれだけ明治の文学が伝はるであらうか」という時代を迎えたことになる。それは明治文学の全貌の提出の試みというべきだろうし、本探索にしても、『明治文学全集』なくしては成立しなかったといっていい。それに加えて、この全集の編纂そのものが、高木や斎藤の書誌学的労作を抜きにして語れないようにも思える。そしてその先達が高木文だったのである。
明治文学全集

 奥付は裏に「高木文随筆目録」として、『正続明治全小説戯曲大観』『絵島の生涯』『玉澗牧谿瀟湘八景絵とその伝来の研究』の四冊が挙げられ、「高木文氏の随筆は巷間ありふれたる感想文式随筆に非ずその考証の深甚、研究の根底実に驚異すべきである。一度で手にせば自づと識れるものである」とのキャッチコピーが添えられている。それで序文にある「作者に就ては予の随筆」との言、同書が「高木文随筆その三」となっていることを了承することになる。

 文学、人名事典などに、なぜか高木文の名前は見出せないけれど、私はかつて拙稿「永井商会と南葵文庫」(『図書館逍遥』所収)において、高木にふれている。それは荷風の『断腸亭日乗』に出てきたからで、高木は南葵文庫の司書であった。『断腸亭日乗』(岩波書店)に南葵文庫が記されるようになるのは大正十二年末以降で、「十一月廿二日。南葵文庫に行き司書高木氏を訪ふ」とある。この「高木氏」が高木文であり、同十四、五年の記述には高木が『明治全小説戯曲大観』の著者だとの言及も見える。
図書館逍遥 f:id:OdaMitsuo:20200815134630j:plain:h110

 『続明治全小説戯曲大観』には、荷風の明治三十二年の『文芸倶楽部』掲載の広津柳浪共著「薄衣」から始まる荷風の作品が収録されている。おそらく高木は大正十四、五年に両書を上梓し、荷風へと献本したことで、その著者であるゆえか、『断腸亭日乗』に書きこまれたのであろう。それはともかく、その後高木が荷風に南葵文庫の蔵書目録を届けたことをきっかけとし、荷風は南葵文庫へ通い始め、大正十四年まで「午後南葵文庫に赴く」という記述が頻出するようになる。それは南葵文庫に他の図書館には架蔵されていなかった二百冊以上の武鑑が備えられていたからで、その他に荷風が何を読んでいたかも『断腸亭日乗』にリストアップされている。これらの武鑑を始めとする南葵文庫での荷風の読書は、永井一族のルーツを描いた史伝書『下谷叢話』(春陽堂、大正十五年)へと結実していったのである。
下谷叢話(岩波文庫版)

 しかし大正十五年六月を最後にして、南葵文庫は『断腸亭日乗』から消えてしまっている。それは『下谷叢話』の上梓に加えて、南葵文庫が東大図書館へ寄贈され、私立図書館としての活動を中止してしまったことにもよっているのだろう。その後の高木の行方は確かめるに至っていない。


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