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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1065 蛯原八郎『明治文学雑記』

 大正から昭和時代にかけての近代出版業界の成長、及び近代文学とその出版の隆盛を背景とし、大正八年に東京古書組合が発足する。それとパラレルに高木文や斎藤昌三といった近代書誌学の礎石となった人たちが出現してくる。そして当然のことながら、彼らの衣鉢を継ぐ人々も登場するのである。

 その一人が蛯原八郎で、昭和十年に発行者を阪原達雄とする学而書院から『明治文学雑記』を上梓している。これも長い間手元にあり、教えられることも多かったのだが、紹介する機会に恵まれなかったので、ここで書いておきたい。蛯原はその「序」をいささか自虐的に始めていて、その時代の書誌学のポジションを伝えていると思われるので、それを引いてみる。

 或人は私のことを書誌学者だと云つた。又或人は私のことを年表屋だと云つた。書誌学者で年表屋でもよいが、実のところ、私は未だ嘗つて一度も自分から書誌学者たらんとしたり、年表屋たらんとしたりしたことはないのである。たゞ時折需められるまゝに、書誌をものし、年表を作成したに過ぎないのである。
 凡そ併し、何がつまらないと云ツて、書誌や年表の仕事ほど世につまらぬものはないであらう。一番骨が折れて、誰にも重宝がられて、その癖酬ひられるところは最も小である。成程、縁の下の力持ちとはよく云つたものだ。だが、さうしたことを打算してゐたら、書誌や年表などは誰も拵へる気になれるものではない。

 この蛯原の後半の部分の感慨は、昭和四十年代に藤枝静男の年譜作成に携わっていた友人がもらした嘆声を彷彿とさせる。それは電話やコピーも普及した戦後の時代であってのことだから、蛯原の大正から昭和戦前にかけての書誌や年表にかける労力は想像を絶するものがあったのではないだろうか。しかもその「資料家」としてのモットーが「資料の門戸解放」だとされているのは、昭和円本の時代に謳われた文学、学問、芸術などの大衆への解放と踵を接していたことを意味していよう。

 それは謝辞がしたためられている宮武外骨、柳田泉、木村毅、斎藤昌三、及び名前は挙げられていないが、明治文化研究会関係者からもうかがえるし、実際に蛯原も、『近代出版史探索Ⅳ』623の日本評論社の『明治文化全集』の編纂者だったと思われる。また「私の資料は殆ど全部が帝大明治新聞雑誌文庫所蔵の新聞雑誌に拠つた」とあり、「序」も「東京帝国大学新聞雑誌文庫の一隅にて」と記されていることからすれば、同文庫に身を置いていたと考えられる。そうでなければ、『明治文学雑記』というタイトルと相反する同書の資料博捜に基づく密度の濃さの由来はたどれないだろう。
近代出版史探索Ⅳ 明治文化全集(平成4年版)

 同書は三部作仕立てで、第一部の「明治文学前史考」「明治以降新聞小説略史」「明治初年の戯作者小説家と新聞雑誌」「明治時代文学雑誌解題」、第二部の「ゾラ移入点描」「初期の探偵小説と探偵実話」は、いずれもかつて拳拳服膺させてもらったことを思い出す。

 これらの中でも、私はゾラの「ルーゴン=マッカール叢書」の訳者なので、「ゾラ移入点描」はゾラの小説の明治半ばからの新聞紙上への翻案掲載などを教えられ、「当時一部の小説家が如何にゾラを熱愛していたか」の実態を知ったのである。また「初期の探偵小説と探偵実話」は拙稿「春江堂版『侠客木曽富五郎』」(『古本屋散策』所収)を書いた後に読んだこともあり、「探偵実話と高谷為之」の関係を詳らかにしてくれた。

古本屋散策

 だが直截的に高木文や斎藤昌三の仕事を継承しているのは第三部で、それは「明治時代文学雑誌年表」「明治時代文学者忌辰年表」「明治大正新聞小説年表」「『読売新聞』明治時代小説脚本年表」「『国民新聞』明治時代小説脚本年表」「『国会』新聞文芸年表」の五つの「年表」からなり、『明治文学雑記』の半分以上の二〇〇ページに及び、圧巻である。これに先の「明治初年の戯作者小説家と新聞雑誌」「明治時代文学雑誌解題」を合わせれば、蛯原の「書誌学者」「年表屋」「資料家」の三位一体となった「資料の門戸解放」の真骨頂を発揮するものだとわかる。まさに帝大明治新聞雑誌文庫の新聞雑誌を縦横無尽に活用したことを物語っていよう。

 この文庫は博報堂創業者の瀬木博尚の出資によって、外骨の収集した資料をベースとし、昭和二年に設立されたもので、その所蔵目録『東天紅』は未見であるけれど、ひとつの範とされる。こちらも高木文が南葵文庫目録を編んだように、蛯原が編纂したのであろうか。いずれ『東天紅』に出会えたら、それを確かめてみよう。
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