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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1071 東京出版同志会と『類聚近世風俗志』

 前回書いたように、『類聚近世風俗志』の東京出版同志会版を入手しなければならないので、「日本の古本屋」を検索してみた。すると、東京の文生書院に一冊だけ在庫があり、幸いにして購入できた。しかもそれは『近代出版史探索Ⅲ』545の田中貢太郎の旧蔵書で、送られてきた本の見返しには田中の蔵書印が貼られていたのである。
近代出版史探索Ⅲ

 まず明治四十一年の国学院大学出版部初版との相違を挙げれば、大正二年の再版で一冊本、正価四円であること、表紙には本文の挿絵に似た三人の人物が描かれていること、著者名が喜田村季荘ではなく、守貞となっていること、奥付の編輯者は室松岩雄とそのままだが、発行者は日本橋区檜物町の東京出版同志会代表者の西村寅次郎、発行所は同じく東京出版同志会、検印も同様である。
f:id:OdaMitsuo:20200831115127j:plain:h105(国学院大学出版部)

 その奥付は裏の最終ページには「東京出版同志会発行書籍発売所」リストが掲載されているので、それらをそのまま挙げてみる。もちろんこのリストは国学院大学出版部版にはなかったものである。

*日本橋区通三丁目  成美堂
*  〃  通四丁目  公文書院
*  〃  檜物町   東雲堂
*  〃  数寄屋町  集文館
* 京橋区中橋和泉町  藍外堂
*   〃 本材木町三丁目  求光閣
*浅草区下平右衛門町  盛花堂
*  〃  三好町   大川屋
*横浜市松ヶ枝町  弘集堂

 おそらくこの九店が東京出版同志会を結成し、その経緯と事情は前回の推測の域を出ないけれど、国学院大学出版部から『類聚近世風俗志』の版権と紙型を譲り受け、共同出版したと考えられる。この共同出版形式は『近代出版史探索Ⅱ』226で六盟館の例を取り上げておいたように、複数の出版社が共同で同じ書籍を発行するもので、江戸時代には相合板(あいあいばん)、もしくは合板(あいはん)と呼ばれていた。明治後半からは六盟館のように、合資会社による共同出版も多く見られるようなったのである。

近代出版史探索Ⅱ

 そのことによって製作費と出版リスクの分散、初版をはるかに上回る再版部数、及び流通販売の多様なルートが確保されたはずで、それは初版の六円に対して、再版が四円だったことに反映されえいよう。またさらに付け加えれば、初版は「定価」表示されていたが、再版は「正価」となっていることで、これは東京出版同志会版が印税の発生しない「造り本」であったことを意味している。

 それを確認するために、『出版人物事典』からその代表者の西村寅次郎を引いてみる。
出版人物事典

 【西村寅次郎 にしむら・とらじろう】一八五五~没年不詳(安政二~没年不詳)東雲堂創業者。岐阜県生れ。名古屋で書籍販売業を営むが、一八九〇年(明治二三)上京。京橋区中橋和泉町に東雲堂書店を創業。出版をはじめた。斎藤茂吉の処女歌集『赤光』、石川啄木『一握の砂』『悲しき玩具』、北原白秋『思ひ出』、阿部次郎『三太郎の日記』など、後世に残る名著を出版した。また、一八九六年(明治二九)には、木田吉太郎らと東京日本出版合資会社を設立。実務担当社員となり、『当用日記』『懐中日記』『帝国人名辞典』などを出版した。

 立項の最後のところにある各日記、辞典なども共同出版の試みで、『類聚近世風俗志』もその延長線上に成立しているのだろう。この立項に加え、東雲堂書店には拙稿「西村陽吉と東雲堂書店」(『古本探究』所収)や『近代出版史探索』74でもふれているので、よろしければ参照されたい。ちなみに西村陽吉は寅次郎の養子で、後の長嶋茂雄夫人の祖父にあたる。
古本探究 近代出版史探索

 東雲堂以外でわかっている版元を挙げておくと、成美堂は河出書房の前進、集文館は先の立項に見える木田が設立した版元、盛花堂は後の学参などの岡村書店、大川屋は赤本業界の雄である。弘集堂は明治二十三年創業で、現在でも横浜の伊勢佐木町で書店を営んでいる。公文書院、藍外堂、求光閣は不明だが、東京出版同志会は専門書や文芸書から赤本までを含んだ版元によって成立していたことがわかる。

 それゆえにこれらの版元は取次や書店も兼ねていたことから、流通販売の多様性がうかがわれる。つまり書店や古本屋で販売される一方で、特価本として縁日の露店や夜店などでも売られていたと推測される。しかし当時の出版業界において、『全国出版物卸商業協同組合三十年の歩み』にも述べられているように、赤本や特価本は一般的に「低級な本」と見られていたのである。

 それが前回ふれた幸田成友による東京出版同志会版『類聚近世風俗志』と編輯者室松岩雄への非難の大きな要因となったと考えられる。しかも幸田はその実物をよく見ていなかったか、もしくは伝聞によって書いたのかもしれない。幸田の『書誌篇』(『幸田成友著作集』第六巻所収)における綿密な書誌のたどり方からすれば、国学院大学出版部版と東京出版同志会の双方を見て、テキストを参照し、さらに後者の「東京出版同志会発行書籍発売所」リストの検証を経るべきである。しかしそれらはまったくなされず、赤本や特価本ゆえの「低級な本」という先入観に捉われ、これも前回ふれた「外題替」のような一文を書くに至ったのではないだろうか。
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 さらにまた東京出版同志会版以後も、同じ赤本や特価本業界の「造り本」として、『類聚近世風俗志』が、文潮社書院(大正四年)、朝陽舎書店(同五年)、榎本書房(昭和二年)、魚住書店(同三年)、更生閣書店(同九年)と繰り返し出版され続けたことにも起因しているのかもしれない。

f:id:OdaMitsuo:20200913204729j:plain:h120(文潮社書院版)


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