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古本夜話1072 喜多村信節『嬉遊笑覧』と近藤出版部

 喜田川守貞の『近世風俗志』に関して、続けて三回書いてきたので、ここでそれと同時代の、やはり百科全書的な風俗考証の書である喜多村信節の『嬉遊笑覧』にもふれておくべきだろう。喜多村は江戸後期の市井の国学者で、その随筆集成は山東京伝の『骨董集』や柳亭種彦の『用捨箱』の系譜に連なっているし、『近代出版史探索Ⅲ』423などの集古会の人々も同様だと考えられる。

f:id:OdaMitsuo:20200911150305j:plain:h110 f:id:OdaMitsuo:20200915114310j:plain:h110(『用捨箱』)近代出版史探索Ⅲ

 『嬉遊笑覧』『世界名著大事典』や本探索1060の『日本文学大辞典』にも解題が見出せるけれど、ここでは柳田国男の『郷土生活の研究法』(『柳田国男全集』28所収、ちくま文庫)をまず参照してみよう。そこで柳田は日本の郷土研究の沿革にふれる中で、『嬉遊笑覧』にも言及している。

世界名著大事典 f:id:OdaMitsuo:20200911105911j:plain:h120

 こういう中でも私たちの推服して措かぬのは喜多村筠庭の『嬉遊笑覧』であった。この一著のみはほぼ随筆・漫談の域を脱して、系統ある一個の専門書と目することができる。明治以後この書を活版にして世に行う企ては何度かあったが、どれも校訂が粗末で、誤脱があり、また引用文と細註を混同したりしているので、愛読を妨げていることが甚だしい。そのために著者の功績が埋もれているのは残念である。「嬉遊」は元来小児の生活という意味で、最初は主として彼等の遊戯と玩具、もしくは童言葉や歌や昔話等を中心にして始めた研究らしかったが、それがだんだん出て行って菓子・餅その他の食物、住居の結構から衣服、女の髪かたちにも及び、または市街の物売り・見せ物、劇場・色町の事も取り入れるようになり、後にその順序を立て直したらしいために、著者の本位は署名にしかこれを窺い得ぬようになったが、とにかくにいわゆる大人君子等の歯牙にかけぬ事項のみを、選りに選って、わざと問題にしたことは争われぬのである。

 この柳田の『郷土生活の研究法』(刀江書院)の刊行は昭和十年なので、明治以後から昭和初期までの『嬉遊笑覧』を「活版にして世う行う企て」をたどってみた。するとそれは『日本文学大辞典』によれば、甫喜山の「我自刊我書」、及び近藤圭造の「存採叢書」に編入され、前者は不明だが、後者は明治三十年の刊行とある。また『世界名著大事典』によれば、少し異なり、近藤瓶城校訂「「我自刊我書本」二冊、六合館の「日本芸林叢書」、吉川弘文館の『日本随筆大成』第2期別巻として刊行されているようだ。ただ柳田もいうように、いずれも校訂は不備とされている。

f:id:OdaMitsuo:20200911113431j:plain:h120 (『郷土生活の研究法』)f:id:OdaMitsuo:20200912115743j:plain:h120

 私はそれらの書誌に通じていないし、校訂に関しても語る素養もないけれど、近藤圭造が刊行した『嬉遊笑覧』を入手している。これはやはり山中共古と集古会のための参考資料として、二十年以上前に古書目録で見つけ、購入したものだ。明らかに新たに製本されたとわかる四六判上下本で千五百ページ、分類ラベルが貼られ、見返しの右上部には「中嶋蔵印」とある書票が見られる。私設図書館、もしくは蔵書家の架蔵するものだったと思われる。

 奥付を確認すると、明治二十年初版、三十六年再版、四十一年三版、著者故人喜多村信節、校訂発行兼印刷人は近藤圭造、発行所は近藤出版部で、いずれも住所は牛込区赤城下町とある。先述の「存採叢書」との関係は不明だが、奥付の右ページに近藤による明治三十六年再校の付記が掲げられているので、それを引いてみる。

 この書ハもと巻首に総目を掲けありしも細目に至りてハ更になかりき又章ハ随筆なるをもて事に臨みてやゝ不便の感も少からさりきよりてコノ再版にハ夫等の不便を補はんがために巻首に細目を出し頁数を付していさゝか見る人の便りとなしたりまた各條の冒頭其の要目を漂記したる標記したる八巻首の細目と相対照して専ら索引の面を計らむか為めなり其の要目の文字の如きハ巳を得ざるものゝ外ハつとめて原文に従へり

 それらの再校に付された「細目」は上巻だけでも四十ページ近くに及ぶので挙げられないし、この混同出版部版に直接当たってもらうしかない。だが、その「総目」だけでも紹介しておくべきだろう。その十二巻は1居処、容儀、2服飾、器用、3書画、詩歌、4武亊、雑伎、5宴会、歌舞、6音曲、翫弄、7行遊、祭祀(仏会)、8慶賀(忌諱)、方術、9娼妓、原語、10飲食、火燭、11商売、乞士(化子)、12禽虫(魚猟)、草木という構成である。

 ちなみに少しばかり「細目」によって「総目」の言葉を補足すると、「容儀」は髪型や化粧、「器用」は日常の生活用品と道具、「翫弄」は遊び全般、「方術」は民間信仰、「乞子」は乞食や遊芸人などを広範に取り上げている。このような「細目」を見ていて連想されるのは、ミシェル・フーコーが『言葉と物』(渡辺一民、佐々木明訳、新潮社)の「序」において、ボルヘスの「シナのある百科事典」からの引用を示し、「まったく異なった思考のエクゾチックな魅力」と「われわれの思考の限界」について述べている部分である。
言葉と物

 いってみれば、『嬉遊笑覧』は『近世風俗志』と異なり、挿絵がまったくなく、すべてが言葉だけで成立しているので、かえって想像をたくましくする「細目」が無数にみつかる。しかもしれは「古書をもて徴とするをいとひて別に一種の学を立てるものあり杜撰といふべしといへり」と始まっているように、古書からの引用と例証に満ちあふれ、まさに江戸後期の百科全書的色彩に包まれている。

 ただ残念なのは私に漢文の素養がないことで、柳田のように、その「序」や文中の多くの漢文を自在に読めれば、さらなる発見へと結びついていくように思われる。さらに私見によれば、柳田の『嬉遊笑覧』体験は後に『明治大正史世相篇』(朝日新聞社、昭和四年)として結実していったのである。なお『明治大正史世相篇』に関しては、拙稿「田園都市の受容」(『郊外の果てへの旅/混住社会論』所収)を参照されたい。

(講談社学術文庫) 郊外の果てへの旅(『郊外の果てへの旅/混住社会論』)

 この拙稿を書き終え、しばらくしてから念のために『出版人物事典』を引いたところ、何と驚くべきことに近藤瓶城が圭造も含めて立項されていたのである。それゆえに最後に示しておく。
出版人物事典

近藤瓶城 こんどう・へいじょう 旧姓・安藤、本名君元
 一八三二~一九〇一(天保三二~明治三四)近藤出版部創業者、『史籍集覧』刊行者。愛知県生れ。儒学を学び、岡崎藩に仕えた。一八七二年(明治五)上京、事業も行うが著述に専念。七八年(明治一一)深川公園の邸内に養嗣子圭造とともに近藤活版所(明治二一、近藤出版部と改称)を開業、主に歴史・地誌の復刻出版をはじめた。八一年(明治一四)には『史籍集覧』の刊行をはじめた。これは塙保己一の影響をうけ古代から近世までの国書を収めたもので、八五年(明治一八)までに正編四六五冊、さらに続編が刊行され、『国史大系』『辞書類従』とともに国史関係の三大叢書といわれる。近藤出版部は大正時代までに百数十点出版したという。


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