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古本夜話1073 「有朋堂文庫」と『骨董集・燕石雑志・用捨箱』』

 前回の 喜多村信節『嬉遊笑覧』が山東京伝『骨董集』や柳亭種彦『用捨箱』と通底していることを既述しておいたが、この両書が同じ一冊に収録され、昭和円本時代に刊行されている。それは「有朋堂文庫」シリーズで、『骨董集・燕石雑志・用捨箱』としての出版である。『燕石雑志』は曲亭馬琴による同様の書といえよう。

f:id:OdaMitsuo:20200911150305j:plain:h110 f:id:OdaMitsuo:20200915114310j:plain:h110(『用捨箱』)

 この「有朋堂文庫」は『世界名著大事典』第六巻に改題と明細が見出され、以下のように記されている。「国文古典文学作品の集成で、2期に分けて刊行された。第1輯210種、60冊、第2輯261種、60冊。他に総索引・総解題書1冊を付す。本文はおおむね流布本によるが、要領のよい頭注と巻末索引を附すものが多い。一般向きの刊行書としても便利である」と。そして続けて全巻明細も掲載され、先の一巻が第2輯の24に当たるとわかる。また刊行は大正元年から四年にかけてで、私の所持する一冊は昭和六年に出て、奥付に「非売品」と表記された「有朋堂文庫」はその再刊としての円本バージョンに他ならない。

f:id:OdaMitsuo:20200915115255j:plain f:id:OdaMitsuo:20200914115859j:plain:h103(「有朋堂文庫」)世界名著大事典

 その有朋堂の創業者は『出版人物事典』に立項されているので、それを引いてみる。

三浦 理 みうら・おさむ】一八七二~一九二八(明治五~昭和三)有朋堂創業者。静岡県生れ。一八八三年(明治一六)上京、三省堂書店の少年社員となる。一九〇一年(明治三四)三省堂を退社、神田錦有朋堂を創業。南日恒太郎編『袖珍英和辞典』を始め、“袖珍”と名づけたポケット判の各種辞典を出版、人気を博したが、有朋堂の名を高めたのは『有朋堂文庫』である。平安から江戸までの古典文学を網羅した全一二一巻の古典大全集で、一二年(明治四五)に着手、一三年秋予約募集を開始、満四年半で完結。この種の出版物の貴重な原点とされている。また、なかでも塚本哲三『国文解釈法』『漢文解釈法』、南日恒太郎『英文解釈法』などは旧制高校生、専門学校の受験生必携の書ともいわれた。

 ここに再確認するかたちで、「有朋堂文庫」が大正初期の予約出版物で、それが昭和円本時代にあらためて予約出版されたことを示唆している。それだけでなく、奥付にある編輯者の塚本哲三は『国文解釈法』などの学参の著者だとわかるし、印刷兼発行者の三浦捷一は、
理の死が昭和三年だから、二代目として円本の「有朋堂文庫」を継承刊行に至っていると了承される。

 また塚本は神谷敏夫の『最新日本著作者辞典』に立項されているので、それも示してみよう。

 塚本哲三 つかもと・てつぞう
 国文学者で、明治十四年十二月静岡県小笠郡の岩澤氏に生れ、塚本氏を継いだ。浜松中学校を卒業し、後中等教員国語漢文科検定試験に合格した。爾来、熊谷・岩国・立教の各中学教諭となり、また文教大学の教師をしたこともある。其の後有朋堂文庫編輯長として同文庫刊行に尽瘁してゐたが、大正四年日土講習会講師及び考へ方研究所主任となり、兼て有朋堂編輯顧問の職にある。(後略)

 その塚本は『骨董集・燕石雑志・用捨箱』の「緒言」において、「三種共に三家の小説家としての用意、学者としての造詣を窺ふべき恰好の書にして、其考証の読者に利するもの尠少にあらざるを見る。三書共に流布の木版本を底本とし、語格、仮名遣、充字等、概ね原文のまゝにして敢て改竄を加へず、挿画の如きも悉く写真製版として覆刻する事とせり」と述べている。

 これを「三者共に」確認することは紙幅が許さないので、最初の山東京伝『骨董集』だけを見てみる。山東京伝に関しては『近代出版史探索Ⅲ』416で、彼が売薬「読書丸」で糊口を凌ぎ、当時の戯作者が小説で生計をたてていなかったことにふれている。そうであっても、京伝も「小説家としての用意」のために、このような時代風俗についての多くの古書からの抜き書き、引用に留意し、歴史の追跡や注視に怠ることがなかったことを伝えている。
近代出版史探索Ⅲ

 例えば「挑灯(ちやうちん)」はその「はじめ詳ならず」と始まり、『古今夷曲集』にある定家の「客人の帰るさ送る挑燈はまうしつけねどいでし月影」が挙げられているのだが、「此歌古書に所見なければ、證ともしがたし」と続いていく。それから蛍を入れて灯すという話も挿入うされ、さらに多くの古書からの挑灯の例が引かれ、それらはほぼ三ページに及ぶ挿絵でもて示されていく。そして次は「行燈(あんどん)」となる。

 それらを読んでいくと思いだされるのは『近代出版史探索Ⅳ』769の柳田国男『火の昔』とジヴェルブシュ『闇をひらく光』である。この両書に「挑燈」と「行燈」をリンクさせると、近代以前の闇の深さ、その暗さに対する畏怖の想いが蘇ってくる。そして闇の深さこそがアニミズムに始まる宗教を生み出したのではないかという思いも。高度成長期以前の地方、とりわけ農村は暗かった。それは現在からは想像できないものと化してしまったが、高度成長期を背景とする松本清張に始まる社会派推理小説世界にしても、その根底に時代特有の夜の闇の未明が横たわっていたように思われてならない。

近代出版史探索Ⅳ f:id:OdaMitsuo:20180308144325j:plain:h110 闇をひらく光

 なお塚本哲三の『国文解釈法』は近年『現代文解釈法』として、論創社から復刊されている。
現代文解釈法


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