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古本夜話1076 桜井庄吉、日本随筆大成刊行会、『日本図会全集』

 前回の日本随筆大成刊行会は昭和三年から四年にかけて、『日本図会全集』全十二巻を出版している。これは江戸時代に出された代表的な名所図会を収録したものであり、『図解現代百科辞典』(三省堂、昭和八年)を引いてみると、「名所図会」は以下のように述べられていた。「地方の名所の図を描き、各ゝ其地に関する由来・伝説・詩歌等を記し集めた冊子。徳川時代のやうに旅行不便であった時代に文学と絵との助を藉りて世人に名勝旧跡を知らしめるために盛んに製作された。東海道名所図会・木曽街道名所図会・江戸名所図会・東海道五十三次等は是」と。
f:id:OdaMitsuo:20201004140343j:plain(『図解現代百科辞典』)

 なおこれは余談だが、日本版 I See All といっていいこの図解辞典に関しては、かつて両者の最初のページを収録した「三省堂と『図解現代百科事典』」(『古本探究』所収)を書いているので、よろしければ参照してほしい。

古本探究

 それはともかく、『日本図会全集』は次のような構成である。「名所図会」の著者、校訂者、絵師なども含めて挙げてみる。

 1『江戸名勝図絵』1(斎藤幸雄、斎藤幸孝・斎藤幸成校訂、長谷川雪旦・長谷川雪堤画)
 2『江戸名勝図絵』2(同)
 3『江戸名勝図絵』3(同)
 4『江戸名勝図絵』4(同)
 5『東海道名所図会』上(秋里舜福、竹原春潮斎ら画)
 6『東海道名所図会』下(同)
  『東都歳時記』  (斎藤幸成、長谷川雪旦・長谷川雪堤画)
 7『都名所図会』  (秋里舜福、竹原信繁画)
 8『拾遺都名所図絵』(同)
 9『都林泉名勝図絵』(秋里舜福、佐久間草偃ら画)
 10『伊勢参宮名所図絵』(蔀徳基)
 11『藝州厳島図会』上(岡田清、頼惟柔・加藤景纘、田中芳樹校訂、山野守嗣画)
 12『藝州厳島図会』下(同)
  『厳島宝物図会』 (同)
f:id:OdaMitsuo:20201004222644j:plain:h110f:id:OdaMitsuo:20201004223028j:plain:h110(『江戸名所図会』)

 これらは表記、巻数も含めて、やはり『世界名著大事典』第六巻によるのだが、書誌研究懇話会編『全集叢書総覧新訂版』を確認すると、こちらは全十四巻、版元は吉川弘文館、定価一円で、『日本随筆大成』と同様に円本として刊行されたとわかる。さらに別巻が出されたのかもしれない。

f:id:OdaMitsuo:20201003111855j:plain:h108(『日本随筆大成』)世界名著大事典  全集叢書総覧新訂版

 手元にあるのはセット函入の11と12で、その函には本探索1071の東京出版同志会版の『類聚近世風俗志』に描かれていた三人の男女の絵が使われている。それは『日本図会全集』自体が東京出版同志会関係者の手によって出されたのではないかという推測を生じさせる。あらためて奥付を見てみると、編輯兼発行者は本郷区森川町の桜井庄吉、発行所も同住所の日本随筆大成刊行会で、発売所のほうは前回挙げた五店と変わっていない。異なっているのは写真銅版製造者として、府下下目黒の写真工芸研究所、活版製版者として、神田区鎌倉町の川瀬松太郎が新たに挙がっていることだろう。

 確かに11、12の『藝州厳島図会』『厳島宝物図会』だけを見ても、前者ですら「挿画之部」が「本文之部」よりも多く、後者に至ってはまさに「宝物図会目録」なので、ほとんどが挿画で占められている。それゆえに印刷にあたって、写真銅版製造者や活版製版者が招聘されているのだろう。そのことを象徴するように、11と12の表紙にはカラーの厳島神社の大鳥居が描かれ、『日本随筆大成』の地味な装丁と一線を画している。前回、桜井が印刷関係者ではないかと指摘しておいたが、的外れではないようにも思われる。

 そのようにして編まれた12の『厳島宝物図会』で、とりわけ興味深いのは「抜頭面」を始めとする面類で、それらは正倉院の「酔胡王面」(伎楽の面)などを彷彿とさせる。それには「抜頭舞伝来」という注釈が付され、「凡六七百年バカリ以前ヨリコノ舞アリシコト知ラレ」、「文明三年二天王寺楽人太秦廣吉トイフ者ヨリ、彦三部安種トイフ者ヘ抜頭相伝ノ状アリ」と見える。そして安種が「当島ノ者」で、「サレバ当島ニオイテ抜頭舞ノ伝来ハ、イトフルキコトニテ、ヤンゴトナキ神事ナリカシ」とある。これに同じく宝物の「弘法大師仏具」や「同袈裟」を重ね合わせれば、『近代出版史探索Ⅳ』653などの景教と空海伝説が浮かび上がってくる。私も十年ほど前に厳島を訪れているが、これらの宝物にはお目にかかれなかったことを付記しておこう。
近代出版史探索Ⅳ

 それも残念だが、『日本図会全集』で全四巻で及ぶ『江戸名勝図会絵』を見られないことも同様であるけれど、こちらは昭和四十一年の角川文庫版の『江戸名所図会』(鈴木棠三、朝倉治彦校注)全六巻を所持している。それによって先述の『日本図会全集』に付された人名や書名の由来が判明する。名所図会は7の秋里の『都名所図会』が安永年間に上梓されると、一種のブームとなり、出版の一分野をなした。それを範として、神田の名主の斎藤幸雄・幸孝、幸成が三代にわたり、編集、増補、改稿を加え、天保七年に出版された。まさに三十余年を要した家業としての絵入り地誌、しかも長谷川雪旦の豊富な挿絵は江戸郊外も含む武蔵名所図会にふさわしいもので、広範な江戸時代の風景を集成した出版だったといえよう。『日本図会全集』を入手したら、それらの風景を比べてみたい。ひょっとすると国木田独歩の『武蔵野』の発見もそれに端を発していたかもしれないからだ。

f:id:OdaMitsuo:20201004140059j:plain:h105 (角川文庫版)


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