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古本夜話1077 大槻文彦『言海』と林平次郎

 前々回の吉川弘文館の『日本随筆大成』の合板、つまり共同出版のかたちにふれたことで、吉川半七と吉川弘文館がやはり大槻文彦の『言海』を共同出版していたことを思い出した。

f:id:OdaMitsuo:20201003111855j:plain:h108(『日本随筆大成』)

 これは背と本扉には『言海』、奥付には『改版言海縮刷』とある菊半截判の一冊で、三段組、千百余ページ、「正価金一円十銭」とされる。初版は明治三十七年三月で、それ以後の重版記載は明治後半から大正前半にかけて大増刷された、ロングセラーだったことを示している。入手しているのは大正六年十月の第三百九十版である。
f:id:OdaMitsuo:20201005112352j:plain:h105(『改版言海縮刷』)

 冒頭に大槻による「本書編纂ノ大意」が述べられているので、その最初の部分を引く。

 此書ハ、日本普通語ノ辞書ナリ、凡ソ普通辞書ノ体例ハ、専ラ、其国普通ノ単語、若シクハ、熟語(二三語合シテ、別ニ一義ヲ成スモノ)ヲ挙ゲテ、地名人名等ノ固有名称、或ハ、高尚ナル学術専門ノ語ノ如キヲバ収メズ、又、語字ノ排列モ、其字母、又ハ形体ノ順序、種類ニ従ヒテ次第シテ、部門類別ノ方ニ拠ラザルヲ法トスベシ、其固有名称、又ハ、専門語等ハ、別ニ自ラ其辞書アルベク、又、部門ニ類別スルハ類書ノ体タルベシ、此書編纂ノ方法、一ニ普通辞書ノ体例ニ拠レリ、

 これは明治十七年十二月に文部省准奏任御用掛として大槻が記したもので、その後に「本書、草稿全部、去年十月、文部省ヨリ下賜セラレタリ、因テ私版トシテ刊行ス」とあり、同二十二年一月の日付がしたためられている。しかし小さな活字でぎっしりと組まれた「ことはのうみのおくがき」を読むと、その「私版トシテ刊行ス」ることがいかに困難であったが伝わってくる。

 当初は明治二十三年九月に全四冊刊行予定だったが、「此事業、いかなる運にか、初より終まで、つねに障礙にのみあひて」、完結までに二年半を費やし、二十四年四月になってしまったのである。それらは印刷所の問題、校正者たちの死と転勤、著者の妻子の病死、予約出版遅延の苦情、資金の乏しさなどだった。

 そうして刊行された『言海』は、大槻が「年を遂ひて刪修潤色の功をつみ、再版、三版、四五版にもいたらむ」と念じたように、順調に版を重ねていったのだろう。そして先に見た如く、明治三十七年には「改版言海縮刷」版も出るに及び、こちらもすばらしい売れ行きだったのである。ただ明治二十四年の『言海』は入手していないので、発行所は不明だが、「おくがき」には旧知の小林新兵衛、牧野善兵衛、三木佐助に「予約発売の方法」で、「発売の事を託せし」とあった。三木佐助は拙稿「明治維新前後の書店」(『書店の近代』所収)で取り上げているように、大槻の『日本小史』というベストセラー教科書を出版し、教科書取次と全国的教科書出版にも携わっていた人物である。小林と牧野もおそらく同業者だったと見なしていい。

書店の近代
 そのような『言海』に対して、「改版言海縮刷」版は奥付表記によって、その生産、流通、販売、及びその経済も明らかであるので、それらのメカニズムをたどってみる。まず著者兼発行者として大槻文彦とあり、検印部分に「大槻氏蔵版」が押されているので、彼は初版の際の著者兼発行者の権利をそのまま保持していたはずだ。その事実は大槻の印税が「著者兼発者」として、通常より高い二十%ほどだったのではないかとの推測も可能であろう。

 大槻に並んで発行者として吉川半七と林平次郎、発売者として大阪市の三木佐助、印刷者として、神田区三河町の武木勝治郎の名前がある。そして発行所として、吉川弘文館と六合館が続いている。前者は既述しておいたように、『日本随筆大成』の発行所、六合館は『大成』と前回の『日本図会全集』の発売所だった。印刷者の武木はひとまずおくとして、吉川は前々回にプロフィルを紹介し、三木は前述している。この場合、三木は発売者のはずなので、製作費は負担しておらず、関西方面での一手販売、つまり『言海』の独占取次だったことを意味していよう。

 残るは林だが、彼は『出版人物事典』に見えている。

 [林平次郎 はやし・へいじろう]一八六一~一九三一(文久元~昭和六)六合館主。一二歳で吉川弘文館、に入り、一八八七年(明治二〇)二七歳で独立、文魁堂と称し出版兼書籍仲買店を開業。九四年(明治二七)六合館を買収、本格的に出版をはじめ、大槻文彦『言海』、浜野知三郎『新訳漢和大辞典』などの大著も刊行。中等教科書の関東地区一手販売を行うなど幅広く事業を進めた。六合館は明治初年設立したもので欧米の原書を翻訳発行した。大日本図書、東京辞書出版、大阪宝文館、国定教科書共同出版所、日本書籍などの役員に就任、また全国書籍商組合会長、東京書籍商組合組合長を務めるなど、業界の大御所とも呼ばれ、通称を林平といった。

 ここでようやく、吉川弘文館、六合館、『言海』が一直線につながってことになる。それらを通じて、『言海』がこのような生産、流通、販売システムに支えられ、「改版言海縮刷」版のすばらしい売れ行きが保たれたといっていいだろう。その際に忘れてはならないのが、「正価金一円五十銭」とあることで、これは本探索1071の東京出版同志会の『類聚近世風俗志』でも見たばかりの自由価格販売だ。ただ同書は印税の発生しない「造り本」ゆえに可能な正価設定であった。

 それに対し、『言海』は高印税が前提となっていることからすれば、どのような流通販売システムになっているのか。それは吉川弘文館と六合館が版元と取次を兼ねる独占販売なので、その他の取次や書店のほうは一般正味より安い価格で大量に仕入れる「入銀」、もしくは一定の部数に対して、「添本」が生じる注文買切によっていたと思われる。そのようなシステムを通じて、書店のほうも学校などの大量採用に際し、価格競争や値引きも可能とされたのである。このような辞書の大量生産、それによってもたらされた「一円五十銭」という安い正価は昭和初期の円本時代を用意していたことになろう。

 そのようにしてもたらされた大槻への大量印税は『近代出版史探索Ⅲ』415でふれた彼の芸者遊びを実現させたことになろう。なお後の『大言海』の他に言及したい辞書も多く残っているのだが、それらはあらためて取り上げることにしよう。

近代出版史探索Ⅲ f:id:OdaMitsuo:20201005202100j:plain:h110(『大言海』)


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