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古本夜話1079 水谷不倒『明治大正古書価之研究』、駿南社、奥川栄

 前回は『其磧自笑傑作集』などの校訂者である水谷不倒に言及できなかったので、ここでふれておきたい。水谷は『日本近代文学大事典』に立項を見出せるので、まずはそれを要約してみる。

 水谷は近世文学研究者で、安政五年に国学者水谷民彦の子として名古屋に生まれ、東京専門学校に学び、坪内逍遥に師事し、卒業後、小説を発表する一方で、続「帝国文庫」の浄瑠璃や脚本類を校訂する。明治三十二年大阪毎日新聞に入社、三十八年退社以後は近世文学研究者としての著述生活を送り、近世文学の研究の草分け的存在である。編著『近世列伝体小説史』『西鶴本』、「江戸時代古書研究双書」として『明治大正古書価之研究』などがあり、近世文学研究の先達の位置を占める。昭和十八年に死去。

 『博文館五十年史』で「続帝国文庫」を確認すると、『竹田出雲浄瑠璃集』を始めとする七冊の浄瑠璃本、及び『脚本傑作集』上下を手がけ、校訂者としても最多で、まさに近世文学研究の先達の位置にあるとわかるし、それもあって円本の「帝国文庫」にも招聘されたのだろう。残念ながら戦後刊行の、『近代出版史探索Ⅴ』859の高梨茂による『水谷不倒著作集』(全八巻、中央公論社)は繙いたことがないけれど、『明治大正古書価之研究』だけは手元にある。昭和八年に京橋区入船町の駿南社から出された菊判函入、三四五ページの一冊で、発売所は同じく京橋区小田原町の東栄閣と奥付には記されている。駿南社と東栄閣の関係は判明していない。

f:id:OdaMitsuo:20201008105639j:plain:h110(「帝国文庫」)f:id:OdaMitsuo:20201009114959j:plain:h110(『水谷不倒著作集』)

 水谷はその「序詞」を以下のように始めている。「予は昔からのルンペン、金には縁のない階級であるから、道楽に古書を弄ぶやうな、余裕は勿論なかつた。ただ好きが根本をなし、五十年間の古書生涯も、好きの一点張り、幸ひに時世に恵まれ、素漢貧ながら、比較的多くの書冊を手にしたと云ふに過ぎぬ」と。それも「古書を漁るといふも著述の為」で、「用が済めば売つて了ひ、又次に入用の書を買始める。さながら旅亭の如く、折角好来の珍客も、寛ろいで滞留するの暇なし、(中略)出入の頻繁にいつも財布の底を叩いて、(中略)書価については、人一倍注意を払」ってきた。その長年にわたって書き止めておいた「書価の控が若千冊」あり、それをベースとして、「研究の名で勿体を付け、新著として刊行することになつた」と述べている。

 その「好きの一点張り」の五十年間の「古書生涯」と「書価の控」に基づいて教示してくれるのは、水谷ならではの第一編「明治大正五十年間古書価の変遷」である、そこではまず明治維新当時の江戸において、「古書の受難期」を迎えたことが報告される。幕府と武家政治が瓦解し、将軍に平民に没落し、新東京が出現したのであるから、「古書などの価格の失はれたことに何の不思議はない」。古老の言によれば、「大八車に満載した書籍が、何貫何百文という端銭で売飛ばされていた」。水谷は「好きの一点張り」の本領を発揮し、忘れずに「こんな時に際会して、手当たり次第に、珍書を買ひ浚つたらさぞ愉快であらう」と付け加えている。

 だが明治二十年に入ると、古典が復活し、国語研究、古書の復刻として種々の叢書が刊行され、「今迄塵埃のうちに紙魚の棲処となつてゐた古書が引出され」、それが古書価を刺激し、向上に導いた。それらの復刻の先達として、水谷は兎屋と鳳文館に言及している。私も「明治前期の書店と出版社」(『書店の近代』所収)でふれている。

書店の近代

 そうした古典復活の動向を決定づけたのは博文館に始まる出版社・取次・書店という近代出版流通システムの誕生と成長で、水谷も博文館が刊行した明治二十年代の「日本文学全書」から前回の「帝国文庫」までの五種の出版をリストアップしている。それらによって「明治に於ける古典文学復興の最盛期」が出現し、古書の知識も普及し、「古書専門書肆も亦、此機に乗じ、古書発売目録を発行し、古書価を表示して、世人の注意を喚起するに努めた」のである。したがって古書の発売目録も明治の所産に他ならないし、明治三十年代に入ると、古書展覧会が東西両都市で盛んに開催されるようになった。しかし明治時代において、古書価は向上したものの、一気に高騰したわけではなかった。

 それが一変したのは大正時代に入ってで、水谷は実際に浮世草子類の古書価の昂騰していくプロセスを示し、「すべての古書が昂騰又暴騰して、全く旧来の面目を一新した。殊に十年以後長足に進み、真に古書価の黄金時代を出現したが、其最も頂上に達したのは、昭和二年の暮であつたと思はれる」と述べている。この記述は「序詞」にあった「何せ大正の古書価と云へば、近来稀な大暴騰、黄金時代の夢を、独りで見てゐるやうな内容で、一冊のものが何百、何千円に吹き出した」との言を彷彿とさせる。

 第二編「古書価の追憶」と第三変「自明治二十三年至大正十五年古書価要覧」も興味深いが、第一編の補遺資料ともいうべきものなので、ここでは言及しない。必要であれば、直接当たってほしい。

 『明治大正古書価之研究』はタイトル、内容もあって、古書専門書肆の村口書店の村口半次郎、弘文荘の反町茂雄の斡旋で、駿南社からの刊行を見たようだ。駿南社とその奥川栄に関しては『近代出版史探索』39で、駿南社が『犯罪実話』(『探偵』改題)の版元であり、そのかたわらで、奥川が『釣之研究』を出す釣之研究社の経営者であることを既述しておいた。またアナキスト安谷寛一が両社から釣りの本を出していることも。まさに古本屋も含めて、この時代の出版人脈は錯綜しているというしかない。

近代出版史探索 f:id:OdaMitsuo:20201009120921j:plain:h110


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