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古本夜話1081 波多野重太郎と『日本志篇』

 前回の『一誠堂古書籍目録』の他にも、少し遅れてだが、同時代に古書籍目録が出されている。それは巌松堂書店古典部が昭和三年に刊行した『古書籍在庫目録日本志篇』(以下『日本志篇』)である。こちらは四六判で、発行者は波多野重太郎となっている。彼も『出版人物事典』に立項されているので、それを引いてみる。

f:id:OdaMitsuo:20201011163621j:plain:h115 出版人物事典

 「波多野重太郎 はたの・しげたろう」一八七五~一九五八(明治八~昭和三三)巌松堂書店創業者。静岡県生れ。二〇歳で上京、一九〇一年(明治三四)麻布十番で新古書籍の販売をはじめ、〇四年(明治三七)巌松堂と命名。〇八年(明治四一)法律書の出版をはじめ、三書楼を設立した。一九一一年(明治四四)解散して再び巌松堂と改めた。二三年(大正一二)株式会社に改組。法律書に加え、経済・商業書も出版。五五年(昭和三〇)業務を巌松堂出版株式会社(出版)、巌松堂図書株式会社(図書販売)、波多野巌松堂(古書)に分割した。心理学者波多野完治の父。

 この立項によって、『日本志篇』の発行所が巌松堂書店古典部で、そこが古書販売を担っていたこと、一誠堂と比べて、社会科学が多い印象を与えるのは巌松堂がそれらの出版に携わっていたことも影響しているはずだ。それに加えて、タイトルが『日本志篇』とされたのは、日本の歴史、地理、さらに多くの郷土史なども広く収録し、そこに日本史ならぬ「日本志」の意味をこめたことによっているのだろう。それだけでなく、その他の分野分類においても、同様に「志」が選ばれているのであろう。

 そうした古書籍目録の特色をふまえ、柳田国男が「巻頭言」を寄せ、波多野のポジションにまで言及している。

 (前略)巌松堂主人なる者の、近年の進況はどうであるか。彼はつい此間まで、法律経済界の都人の著の、ハシリばかりに目を耀かせている出版家であつた。それが系統を立てゝ微細無力なる地方の古本を分類した迄は商売柄だとしても、其の未だ老いざる精力を蒐集に傾注して、忽ち此様な所蔵目録を、世に誇り示す腕になつたのである。若し国内の古本業者がみんな波多野君たるを得るものとしたならば、以前の私の比較研究などは、甚だ目先の見えぬ話であつたといふべきだ。が負惜みをいふならば此人には、はやり独特の技能と余分の親切とがあるからであらう。

 さらに続いて柳田は波多野が「地の利を得て」、「一廉の新刊書肆としての門戸を張」り、「何時売れるといふ当ても無い雑書どもを、近い郷里の土蔵に運んでしまつて置ける」一得にもふれている。本探索でもお馴染みの岡書院の岡茂雄に関して、「本屋風情」とあげつらった柳田の性格から考えると、これは他でもほとんど見られない最大のオマージュだといっていい。

 柳田はその前年に砧村の書庫を兼ねた書斎が完成し、昭和二年九月に蔵書ともども転居していた。おそらくそうした経験を通じて、柳田はあらためて資料の収集と蔵書の在り方、分類方法などについて、波多野の収集への情熱と『日本志篇』の編纂から大いなる示唆を得たのではないだろうか。柳田の「巻頭言」にはそれらの思いが表出していると感じるのは私だけであろうか。それはここに柳田は『近代出版史探索Ⅴ』973の『民間伝承論』へとリンクしていく一国民俗学の「想像の共同体」を幻視していたのかもしれないからだ。

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 それはともかく、この『日本志篇』の構成は一〇九六ページの「古書籍在庫目録」に二四ページの「索引」が付され、さらに新入品の「速報篇」一八八ページ、また巌松堂書店の「発兌図書目録」六四ページも加えられ、柳田をして感嘆せしめた波多野の「独特の技能と余分の親切」を実感させてくれる。それにこの『日本志篇』には前史があり、こちらもまた一冊の五六〇ページの『古書籍在庫目録』としてまとまり、前年の昭和二年にやはり巌松堂書店古典部から刊行されている。この一冊は昭和に入ってからの「在庫目録」と「入庫目録」を合本化したもので、『日本志篇』が五六一ページから始まっているのはそのためである。

 したがって、『一誠堂古書籍目録』は五万冊を下らないだろうと既述したが、この『日本志篇』『古書籍在庫目録』を合わせれば、それ以上に及ぶことは確実であろう。そして巌松堂書店古典部の何よりの特色は、これも柳田のいうところの「雑書」にも早くから目をつけていたことだろう。『古書籍在庫目録』の奥付裏一ページ広告には「和漢洋古書籍高価買入」より大きく、「雑本と珍本 探集業開始」とのキャッチコピーが躍っている。さらに「日本全国、樺太・鮮満・台湾等御報参上」ともある。これらもまた波多野の「独特の技能と余分の親切」に他ならないだろう。


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