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古本夜話1083 中山太郎編著『校註諸国風俗問状答』と東洋堂

 本探索1072で喜多村信節『嬉遊笑覧』を取り上げ、また同1078の博文館「帝国文庫」の校訂者が柳田国男と中山太郎であることにもふれておいた。その関連から、『喜遊笑覧』と同様に柳田が推奨し、しかも中山が編者とし、上梓している一冊に言及してみたい。

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 それは中山太郎編著『校註諸国風俗問状答』で、昭和十七年に東洋堂から出されている。まずはやはり柳田の『郷土生活の研究法』(『柳田国男全集』28所収、ちくま文庫)の「計画的採集の試み」から引いてみる。初版は昭和十年刀江書院からの刊行である。

f:id:OdaMitsuo:20201015152641j:plain:h115(『校註諸国風俗問状答』)f:id:OdaMitsuo:20201015153603j:plain:h120

 (前略)独逸のグリム兄弟などとほぼ同じ頃に、日本でも計画ある民俗の採集に着手にした例があった。江戸期も終りに近い文化の十三四年頃、江戸では屋代弘賢を中心とした一群の学者が、『諸国風俗問状』という小冊子を印刷して、これを各地方の知人に頒ち、その答信を求めようとしたことがある。屋代氏は輪池と号し、書家としてまた蔵書家としても有名な人であったが、一方には幕府に仕えて寺社奉行手付という、かなり田舎の人には押しの利く地位にあったから、多分そういう関係も利用してなるべく全国的に、多くの報告を集めようとの企てがあったと思われる。民間の学者としては石原正明、中山信名などという人もこれに関与し、この人たちも交際が広かったろうから、この帳面はかなり数多く、発送したものであろうと思う。しかし残念なことには、屋代輪池が天保十二年に高齢をもって物故するまでには、その返事はいくらも集まって来なかったらしい。

 それから柳田は残っている『諸国風俗問状答』を具体的に挙げていく。那珂通博(青峯)の『秋田風俗問状答』、菅茶山による備後福山領の『答書』、越後長岡領の『北越月令』、中山美石による三河吉田領の『風俗答書』などである。

 これらの『諸国風俗問状答』の集大成が先の『校註諸国風俗問状答』だといっていいだろう。ここには『奥州秋田風俗問状答』を始めとして、十五の『風俗問状答』が収録されている。『近代出版史探索』49などで中山にふれてきたが、その仕事がこのような『風俗問状答』の校註にまで及んでいることは、同書を古書目録で見つけ、入手するまで知らないでいた。それに柳田よりもさらに詳しく、これだけの『風俗問状答』の「解題」と収録があるのは、中山のこの一冊だけのように思われるので、煩をいとわず挙げてみる。

近代出版史探索
 1『奥州秋田風俗問状答』
 2『奥州白川風俗問状答』
 3『三河吉田領風俗問状答』
 4『越後長岡領風俗問状答』
 5『大和高取藩風俗問状答』
 6『若狭小浜風俗問状答』
 7『丹後峯山領風俗問状答』
 8『備後浦崎村風俗問状答』
 9『淡路国風俗問状答』
 10『阿波国風俗問状答』
 11『和歌山風俗問状答』
 12『伊勢白子風俗問状答』
 13『陸奥国信夫郡伊達郡風俗問状答』
 14『天草風俗問状答』
 15『莉萩邑風俗問状答』

f:id:OdaMitsuo:20201015154421j:plain:h120(『大和高取藩風俗問状答』)

 これらの入手写本先、及び出版者や発見者、掲載誌にもふれておくべきだろう。1の『奥州秋田風俗問状答』と5の『大和高取藩風俗問状答』は柳田国男、4の『越後長岡領風俗問状答』は新潟の彌彦神社文庫、6の『若狭小浜風俗問状答』は京大図書館、7の『丹後峯山領風俗問状答』は丹後峯山の毛呂清春、3の『三河吉田領風俗問状答』と9の『淡路国風俗問状答』は河本正義、8の『備後浦崎村風俗問状答』は『備後史壇』、2の『奥州白川風俗問状答』は安藤菊二、10の『阿波国風俗問状答』、11の『和歌山風俗問状答』、12の『伊勢白子風俗問状答』、13の『陸奥国信夫郡伊達郡風俗問状答』、14の『天草風俗問状答』、15の『莉萩邑風俗問状答』は三井文庫であった。

 中山によれば、ようやく入手した1、4、5、6、7は大正十二年の関東大震災によって烏有に帰し、これらの『風俗問状答』を再入手、あるいは発見するのに四半世紀を経ているという。それらにまつわる様々な機縁から多少の註釈を付して出版したいと考え、昭和十九年に脱稿に至ったとされる。私が入手した一冊は裸本で、背の部分の痛みも目立つけれど、菊判上製六八〇ページに及び、よくぞ戦時下に刊行してくれたという思いも生じさせる。

 中山は「損益を超越して本書の発行をお引受くだすつた、東洋堂の亀井義雄氏」に対して、謝辞を述べているが、奥付を見ると、東洋堂は神田区司町に所在し、発行社は三井八智郎とあることからすれば、後半の六つの『風俗問状答』が見出された三井文庫関係者との推測も成り立つ。東洋堂の出版物はこの一冊しか見ていない。だが配給元として日配の記載があるので、ここにも戦時下の出版の謎が潜んでいるのだろう。


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