出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1092 戸川残花『幕末小史』と人物往来社「幕末維新史料叢書」

 前回の『金色夜叉』後編の巻末広告によって、明治三十年代初めの春陽堂が文壇の大家にして社会的名士の紅葉の著書二十九冊、村井弦斎は二十七冊、ちぬの浦浪六は十二冊を出していたとわかる。『金色夜叉』は当時のベストセラーだったし、弦斎と浪六は本探索1087で蛯原がいっているように、新しい流行作家、大衆作家として、群を抜いて読まれていた。もう一人の黒岩涙香は見当たらないけれど、これらの時代の流行作家とそれらの多くの著書を擁し、春陽堂が博文館と拮抗する文芸書の大手出版社だったことを伝えていよう。

f:id:OdaMitsuo:20201024114645j:plain:h120

 春陽堂の場合、このような当代の著名作家たちの作品の背後に隠れがちだが、先の「目録」別で挙げれば、「諸家著書」「史伝」「戦記」「詩俳書」「雑著」などに分類される多くの諸家の著作を刊行している。その「史伝之部」に戸川残花の『幕末小史』全五冊があり、前回の『新小説』の口上と同じく、単著広告が同ページに掲げられているので引いてみる。

 維新の政変は日本歴史の明暗両界に一線を画したるものなり、然して其明界に於ける明治初年の大業は西郷によりて、木戸によりて、大久保によりて、遍く人の知る処となりたるも、暗黙の一面即ち幕府の歴史は、惜しい哉之れか伝ふるに便尠し、残花戸川先生は徳川氏旗下の家に生れ、三河以来の血統を承けたるの人、其著三百諸侯、旧幕府の諸書に於いて名声当代の文壇に輝やけり、然して今や幕末小史の著あり、此編材料を先生が家伝の珍書と勝 木村二翁其他先輩の談とに取り、其奇抜なる着眼と、剛健なる筆とを以て徳川幕府の為に万丈の気熖を吐きたるもの何ぞ尋常一様の歴史談として見るべけんや

 まず著者の「残花戸川先生」だが、『日本近代文学大事典』に立項が戸川残花として見出せるので、要約してみる。彼は安政二年江戸牛込の旗本戸川家生まれの詩人、評論家で、明治元年十四歳で彰義隊に参加。同年に家禄を継ぐが、維新後は大学南校、慶應義塾、築地学校に学び、七年に受洗し、十六年からは伝導師として関西で布教し、帰郷後に麹町教会の牧師となる。そのかたわらで、詩を発表し、賛美歌書や説教の翻訳書を刊行し、二十六年『文学界』が創刊されると、客員となり新体詩「桂川(情死を吊ふ歌)」を発表し、北村透谷の激賞を受けた。やはり同年に毎日新聞社に入社する一方で、勝海舟、榎本武揚などの賛助のもとに『旧幕府』を創刊し、旧幕時代の回顧、記録に尽力し、『幕末小史』などを著わしていく。三四年には日本女子大創設に携わり、開校にあたって国文科教授となる。幕臣としての著述も多く、晩年は南葵文庫主任。キリスト教に老荘思想が和し、清貧の中に風格ある生涯を送ったとされる。大正十三年没。

 この要約は春陽堂版の紹介文を補足することになるし、維新後の残花の幕臣としての軌跡は、同じく牧師と図書館司書の道をたどった『近代出版史探索Ⅲ』441の山中共古の生涯を想起させる。近代出版界にはそうした人々が数多く参画し、ひとつのアジールを形成し、同人誌、リトルマガジンが創刊され、その中から近世からつながる多彩な出版企画が生まれていったにちがいない。『幕末小史』もそのような一冊だし、それは明治百年を迎える昭和四十三年に人物往来社の「幕末維新史料叢書」として復刊されている。そのラインナップを挙げてみる。

近代出版史探索Ⅲ

1 島田三郎 『開国始末』
2 勝海舟 『氷川清話・幕府始末』
3 東久世通禧 『竹亭回顧録維新前後』
4 内藤耻叟 『安政紀事』、岡本武雄『戊辰始末』
5 小河一敏 『王政復古戯曲義挙録』、山県有朋『懐旧記事』
6 松本慶水 『逸事史補』、北原雅長『守護職小史』
7 福地源一郎 『懐往亊談・幕末政治家』
8 土方久元 『回天実記』
9 大鳥圭介 『幕末実戦史』
10 戸川残花 『幕末小史』
11 『幕末維新回顧録(一)』
12 『幕末維新回顧録(二)』

f:id:OdaMitsuo:20201117153312j:plain:h114 f:id:OdaMitsuo:20201119101335j:plain:h114

 春陽堂の『幕末小史』は未見だが、このうちの9と10は入手していて、幸いなことにこちらの『幕末小史』には「月報」に当る『資料通信』が残され、そこにこの「明治100年記念出版」として「幕末維新史料叢書」一覧が掲載されていたのである。しかし残念なことに、人物往来社はこの年に実質的に経営危機に陥ったこともあって、11と12は未刊に終わったようだ。
f:id:OdaMitsuo:20201114113338j:plain:h115

 残花の『幕末小史』は末尾に置かれているが、これを読むと明治三十一年の春陽堂の「叙」も収録され、「去年春陽堂主来り訪ふて、余に幕末史を編むことを勧む」ことによって、「一部の幕末史を世に公けに為すも可ならんと思ひて、此書を叙述す」とある。そればかりかこの「叙」には「幕末維新史料叢書」の1、2、4、7の著者や著作も挙げられ、この「叢書」自体が『幕末小史』をベースにして企画されたのではないかという推測も成り立つし、各書の初版を出した版元がどこだったのかも気にかかる。

 また残花の『幕末小史』は、明治二十六年創刊の『旧幕府』とともに収集された著作や資料、記録に基づいて書かれた幕府側から見た幕末ドキュメントともいえる。確か『旧幕府』は復刻されたように記憶しているが、もし入手できれば、それらのことも確かめてみたいと思う。

f:id:OdaMitsuo:20201119100230j:plain:h100(マツノ書店復刻版)


odamitsuo.hatenablog.com

 [関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら