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古本夜話1098 春陽堂『明治大正文学全集』と木呂子斗鬼次

 ずっと続けて春陽堂にふれてきたこともあり、『明治大正文学全集』にも言及するしかない。『明治大正文学全集』は本探索1062の改造社『現代日本文学全集』と異なり、全六十巻を揃えているにもかかわらず、これまで飯田豊一『「奇譚クラブ」から「裏窓」へ』(「出版人に聞く」12)において、その第33巻の『長田幹彦・野上弥生子』を取り上げるだけに終わっていたからだ。

 f:id:OdaMitsuo:20200905130353j:plain:h120  f:id:OdaMitsuo:20200413114445j:plain:h120(『現代日本文学全集』) 「奇譚クラブ」から『裏窓』へ 

 それは昭和円本時代にあって、近代文学全集としては春陽堂が改造社に続く二番手だったこと、またそれらと併走するように、『近代出版史探索Ⅲ』427の平凡社の『現代大衆文学全集』『近代出版史探索Ⅴ』827の新潮社の『世界文学全集』、「第一書房『近代劇全集』のパトロン」(『古本屋散策』所収)の『近代劇全集』が出されていたので、どうしても影が薄くなってしまったことにもよっている。

現代大衆文学全集 (『現代大衆文学全集』) f:id:OdaMitsuo:20190208103344j:plain:h113(『世界文学全集』)f:id:OdaMitsuo:20190208105436p:plain:h120(『近代劇全集』)

 しかしこの『明治大正文学全集』は春陽堂創業半世紀の「記念大出版」として企てられ、その後、十巻が増補され、実質的には昭和文学も含むことになり、改造社とは異なる意味で、明治から昭和にかけての文芸書の老舗としての面目を発揮したといえよう。それに加え、前々回示しておいたように、同じく十種の「予約出版事業」を手がけていたわけだから、春陽堂は円本時代を迎え、全盛を極めていたといっても過言ではないように思われる。それは印税制の採用にも見られるが、やはり新たな後継者を得たことにもよるのだろう。この時代から奥付の発行者はそれまでの和田静子から和田利彦に代わっている。和田は『出版人物事典』に立項があるので、それを引いてみる。

 [和田利彦 わだ・としひこ]一八八五~一九六七(明治一八~昭和四二)春陽堂書店社長。広島県生れ。早大商科卒。博文館印刷所(共同印刷の前身)に勤務するが、博文館社長大橋新太郎の春陽堂書店創業者和田篤太郎の養嗣子となり社業をつぐ。関東大震災で社屋を全焼するが、日本橋通三丁目に再建。昭和初期の円本時代には『明治大正文学全集』『日本戯曲全集』などを出版、改造社の『現代日本文学全集』とともに円本の儲け頭ともいわれた。

 創業者の篤太郎は明治三十二年に亡くなっているので、利彦の年齢からしても、明治末、もしくは大正初期に春陽堂に入ったと推測される。そして創業者夫人の和田静子、番頭の島源四郎とともに、大正時代と関東大震災をくぐり抜け、社屋も再建に至り、円本時代を迎えた。だがそこにはもう一人の協力者がいて、それは『明治大正文学全集』の奥付に発行者の和田利彦と並んで、印刷者として記載されている木呂子斗鬼次である。

 その住所は春陽堂と同じなので、この全集の場合、春陽堂は印刷所も兼ねていたし、それは印刷所出身の利彦によって主導されていたのであろう。しかし『日本近代文学大事典』に和田利彦と島源四郎の立項は見出せないが、木呂子は立項されている。

 木呂子斗鬼次 きろことくじ 明治二一・三・二一~昭和三二・一〇・二四(1888~1957)出版業者。上野国舘林秋元藩の江戸詰めの士族の子として東京に生れた。明治三三年、春陽堂に入社。しだいに昇進して支配人となり、社長の和田利彦を輔佐にして社運の隆盛につとめた。昭和二年からの『明治大正文学全集』、三年からの『日本戯曲全集』、また六年からの『春陽堂文庫』などが、主要な刊行物である。

 このように木呂子が立項されているのは、春陽堂の文芸書編集者として、彼の名前が和田利彦や島源四郎よりも知られていたことによるのだろう。それにしても奇妙な名前で、拙稿「南天堂と詩人たち」(『書店の近代』所収)の南天堂店主の松岡虎王麿の名前はめずらしいこともあり、高見順が『昭和文学盛衰史』(文春文庫)において、今でも覚えていると書いていた。それは木呂子にも当てはまり、誰が書いていたのかは失念してしまったけれど、編集者としての木呂子の名前を目にしている。

書店の近代 昭和文学盛衰史

 これらのことから考えると、春陽堂の昭和円本時代は、和田、島、木呂子を中心にして稼働していたと思われる。それに『明治大正文学全集』の各巻末日に挙げられた編輯校訂者たちを付け加えれば、春陽堂の主な編集陣が揃ったことになろう。『明治大正文学全集』『近代出版史探索Ⅳ』763の本間久雄を相談役とし、島、岡康夫、『近代出版史探索Ⅱ』350の安藤更生、それに西村豊吉、清水義政、佐藤十三郎、泉斜汀たちが編集実務を担ったとされる。

 彼らのうちで、岡、清水、佐藤のプロフィルはつかめないが、西村は大正十五年創刊の春陽堂の文芸誌『文章往来』の編輯兼発行人だったとわかる。だがこの雑誌は九冊出ただけで、短命に終わったようだ。

 装幀は恩地孝四郎で、『明治大正文学全集』には上製本と装飾本の二種類があり、後者は背皮天金、金泥装のようだが、こちらは未見である。なお『明治大正文学全集』の広告に関しては、石川弘義・尾崎英樹『出版広告の歴史』(出版ニュース社)に詳しい。

f:id:OdaMitsuo:20201205001234j:plain:h120(上製本)f:id:OdaMitsuo:20201205000817j:plain:h120(装飾本)f:id:OdaMitsuo:20201204150614j:plain:h120


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