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古本夜話1101 改造社『日本文学大全集』

 前回の青山毅編著『文学全集の研究』に十二種の円本が挙げられていたが、そのうちの改造社『日本文学大全集』だけはこれまで取り上げてこなかったので、ここで続けて言及してみる。

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 この四六倍判の個人文学全集は、二十年ほど前にはよく古本屋で見かけたけれど、近年は目にしていない。またそれらが総称され、『日本文学大全集』とよばれているのを知ったのは、昭和十四年の『改造社図書総目録』を入手し、それで確認したことによっている。そこには全二十九巻がリストアップされているが、『文学全集の研究』にならって、作家別にまとめてみよう。

1『石川啄木全集』 全一巻
2『山本有三全集』 全一巻
3『有島武郎全集』 全三巻
4『里見弴全集』 全四巻
5『志賀直哉全集』 全一巻
6『菊池寛全集』 全三巻
7『佐藤春夫全集』 全三巻
8『正岡子規全集』 全五巻
9『藤森成吉全集』 全一巻
10『岡本綺堂全集』 全一巻
11『片岡鉄兵全集』 全一巻
12『菊池幽芳全集』 全四巻
13『葉山嘉樹全集』 全一巻

f:id:OdaMitsuo:20201208130232j:plain:h110(『有島武郎全集』)f:id:OdaMitsuo:20201208130822j:plain:h100(『山本有三全集』)

 私が所持しているのは1の『石川啄木全集』と9の『藤森成吉全集』 の二冊である。この『日本文学大全集』は『現代日本文学全集』が完結した昭和六年に『石川啄木全集』を第一回配本として、同八年の『葉山嘉樹全集』までが出されている。ただ『日本文学大全集』というタイトルは付されていないので、私もそれを知らずに入手したことになる。

f:id:OdaMitsuo:20200413114445j:plain:h120(『現代日本文学全集』) 

 『文学全集の研究』にその内容見本の紹介と引用が見られ、この二円五十銭の「四六倍判上製。背革角革付両面クロース。金文字入転勤美本」が中川一政の装幀によるものだとわかる。次に「刊行の言葉」から引いてみる。

 『日本文学大全集』現代篇は、(中略)外形的に謂はゞ現代日本文学の金字塔である。先年、「文学の解放」「文芸の民衆化」をスローガンとして華々しく出版した『現代日本文学全集』は、所謂「円本」の嚆矢となり、画期的出版として世界の出版界を風靡したが、同時に驚くべき播種であつた。今や必然の帰結として、我社に於て本大全集の計画を見るに至つたのは、播種者の責任であり、且つ極めて自然の帰結である(後略)。

 つまり円本の嚆矢の『現代日本文学全集』の「播種」の後続企画として、「異常の豪華版たると共に比類のない廉価本として世に出す計画」が『日本文学大全集』だったことになる。それを反映してか、「永く後代を光被する文星」は三十七名に及び、先に挙げた以外の作家をも記しておくべきだろう。それらは二葉亭四迷、樋口一葉、泉鏡花、国木田独歩、田山花袋、岩野泡鳴、島村抱月、内田魯庵、近松秋江、鈴木三重吉、谷崎潤一郎、武者小路実篤、長田幹彦、中村吉蔵、久米正雄、久保田万太郎、厨川白村、豊島与志雄、広津和郎、葛西善蔵、横光利一、岸田国士、川端康成、池谷信三郎、龍胆寺雄である。ここには葉山嘉樹の名前はない。

 こうして『日本文学大全集』刊行の主旨と、これらの合わせて三十七名の作家たちを挙げてみると、この企画は『現代日本文学全集』以後の、改造社による個人全集を通じての囲い込みを意図したものだったと思われる。円本以後の個人全集企画に関しては春陽堂、新潮社、博文館、平凡社、岩波書店などと競合していたし、夏目漱石、森鷗外、島崎藤村たちが見当たらないのは、最初から著作権の関係もあり、『日本文学大全集』に収録できないことによっていると推測される。結局のところ、それらの作家たちの改造社への協賛、もしくは著作権の問題を見極めず、見切り発車してしまったのが『日本文学大全集』だったのではないだろうか。

 そのことを示すのは第一回配本の『石川啄木全集』で、奥付の著作権所有者は山本実彦とあり、検印にも「山本」の押印が認められる。これは『現代日本文学全集』45の『石川啄木集』の著作権の延長処理だと見なせるし、先に挙げた作家たちに対しても、そうした著作権絡みもあって、「刊行の言葉」も発せられてしまったとも考えられる。

f:id:OdaMitsuo:20201209153142j:plain:h120(『現代日本文学全集』45、『石川啄木集』)

 それゆえに必然的にトラブルも発生し、それが十三人、二十九巻で終わってしまったのではないだろうか。例えば、『藤森成吉全集』は第一巻とあり、それだけで続かなかったことも、そうした事情の反映のようにも思われる。またさらに付け加えれば、読者の円本離れ、及び拙稿「特価本書店・帝国図書普及会」(『書店の近代』所収)で既述しておいたように、円本の過剰生産によるゾッキ本化の時代にあって、もはや二円五十銭の『日本文学大全集』は読者の「期待の地平」(ヤウス『挑発としての文学』轡田収訳、岩波書店)に受け入れられるものではなかったのである。

書店の近代 挑発としての文学


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