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古本夜話1103 今泉定介と「増訂故実叢書」

前回、国書刊行会は吉川弘文館顧問の今泉定介が市島謙吉と計らって設立し、その第二期以後は早川純三郎が編集長として引き継いだこと、また国書刊行会の第一期事業の成功が大正時代の予約出版の範となり、様々な刊行会や出版社が立ち上げられ、それが昭和円本時代を用意するものだったことを既述しておいた。その格好の例を浜松の時代舎で見つけてきたので紹介しよう。
 それは「増訂故実叢書」の塙検校保己一編『武家名目抄第三』、函入、菊判上製二段組、四三八ページの一冊である。これは明治三十二年に吉川弘文館から刊行された有職故実に関する「故実叢書」十九帙の増訂版で、全四十一巻に及び、私が入手した巻は第十回配本に当たるようだ。奥付は昭和三年十月発行とあるので、円本時代の産物と見なせよう。

 その旧本編輯者は今泉定介、増訂本編輯者は増補故実叢書編輯部代表者早川純三郎とあり、発行所は吉川弘文館と日用書房、発売所は六合館、柳原書店、川瀬書店、国際美術社で、この発行所と発売所の組み合わせは日用書房が発行所に加わっているけれど、本探索1075の『日本随筆大成』と同じである。また増訂監修者も関根正直、和田英松、田辺勝哉のうちの関根と田辺は重なってくる。そして今泉の肩書は神宮斎藤会会長とあるので、かつての吉川弘文館顧問、国書刊行会編輯者から、神道、もしくは神社関連団体の会長にシフトしていることを示唆していよう。そこで編集兼監修者を安津素彦、梅田義彦とする『神道辞典』(堀書店、復刻神社新報社)を引いてみると、その名前が見出されたのである。今泉が後の新潮社の佐藤義亮の『新声』同人だったことは承知していたが、詳細なプロフィルはつかんでいなかったので、とても興味深い。
f:id:OdaMitsuo:20201003111855j:plain:h108(『日本随筆大成』f:id:OdaMitsuo:20201213212531j:plain:h115

 いまいずみさだすけ 今泉定助(ママ)(一八六三~一九四四・文久三~昭和一九)文久三年二月九日、仙台藩士今泉伝吉第三子として白石に生まる。幼時、同郷(宮城県白石市)の神明社の社家の養子となる。明治十二年(十七才―数え年)上京して、神道事務局学寮国語漢文科に入学、丸山作楽の門下生となり、東京大学文科古典講習科も卒業し、東京学士院編纂員として『古事類苑』の編集に当る。明治二十三年皇典講究所に入り、国学院の設立に尽し、その国史学講師ともなり、また、城北中学(現在の戸山高校)の校長をも兼ねる。明治三十五年より吉川弘文館より多数の古典解説書を著述ないし刊行した。明治四十一年より神宮奉斎会の経営に当たる。大正十年にはその会長に推挙さる。そのころ川面凡児の指導する大寒禊の行事に挺身参加した。それ以降「皇道」の宣布に東奔西走する。その教説は、伝統の国学に霊魂が蘇ったごとく、無数の聴衆また読者をひきつけた。昭和十二年より日本大学皇道学院を創立し、その院長として若き子弟を養成。また皇道発揚会(のち皇道社)を指導して、内外の愛国の志士たちを擁護した。ことに斯道の核心たる祭政一致の実現のため、為政者・軍人たちを説得してやまず(昭和十五年神祗院の新設をみる。)昭和十九年、新首相(小磯国昭)に救国の策を講ずる中途、九月十一日永眠、享年八十二歳。大祓講義・皇道論叢等の著書類十篇あり(昭和四十一年、日本大学今泉研究所設立さる)。

 もはや今泉は出版人としても忘れられていると思われるので、その特異な軌跡を示すために、省略を施さず、長い引用になってしまった。ここにも『近代出版史探索Ⅳ』708の鹿子木員信、同709の河野省三などに連なる皇道論者がいたことになる。確かに今泉が参画した『古事類苑』から始まって、これも『世界名著大事典』第六巻所収の「全集・双書目録」の「国書刊行会叢書」第一期や「増訂故実叢書」の明細をたどってみると、今泉が「斯道の核心たる祭政一致の実現」へと向かったことを了承できるように思われる。

近代出版史探索Ⅳ

 また文部省出版事業として、明治二十九年に神宮司庁編『古事類苑』第一冊が出され、大正三年に洋、和本合わせて四百冊の完結を見るのだが、この出版プロジェクトは国書刊行会や吉川弘文館などの出版企画とも密接にリンクし、それは古典籍の出版人脈をも形成していったと思われる。そのようにして、今泉と吉川弘文館と国書刊行会がつながり、それに早川も加わり、『日本随筆大成』や「国書刊行会叢書」第二期以降の編輯者ともなっていった。

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 そして昭和円本時代を迎え、早川は今泉も召喚し、「増訂故実叢書」も版を新たにして、刊行するに至ったのであろう。その他にも、『古事類苑』に端を発し、国書刊行会の企画編集に携わったメンバーが円本時代の全集や叢書に関わり、多くの古典籍を送り出していったにちがいない。だがそれらの全容はつかめていない。

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