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古本夜話1106 吉川弘文館と『和漢三才図会』

 本探索1075の『日本随筆大成』別巻の『和漢三才図会』は入手していないと記しておいたが、その後やはり浜松の時代舎で明治時代に刊行された一巻本を見出し、買い求めてきたので書いておこう。

f:id:OdaMitsuo:20201003111855j:plain:h108(『日本随筆大成』)

 現在であれば、『和漢三才図会』は平凡社の東洋文庫版で読むことができるけれど、現物を目にしたことにより、明治末期になってようやくポータブルな一巻本が出版されたとわかる。それでもまずは『世界名著大事典』の立項を挙げておく。

和漢三才図会 世界名著大事典  

 和漢三才図会(105巻81冊、1713)寺島良安編著。編著者は大阪の医師。《倭漢三才図会》《倭漢三才図会略》と、とびら、序文に見える。中国明の王圻の《三才図会》(106巻)にならって作製された図入り百科事典。1712年(正徳2)の自序に、天文、地理、人事をともに明らかにしてこそ医を語るべきという和気仲安の言に刺激され、和漢の読書を博捜し、伝説、口碑をたずねること30余年、各項目の要領を記述し、形あるものは画にしたが、必ずしもすべてを描くことはできなかったので《三才図会略》と名づけたという。林信篤の序(正徳3年3月下旬)、和気伯雄の序(同年4月下旬)、清原宣通の後序(同年10月中旬)などがある。内容は天部、天文、人倫、官位、支体、異国人物、楽器、兵器、衣服、農具、獣類、介甲、有鱗魚、山類、水類、火類、金類、中国諸地方、日本諸国、香木類、喬木類、五果類、山草類、穀類、造醸など96項に分けて、各項目ごとに挿画を入れ、その文字、和名、中国音、異名を記し、諸書から引いた解説を付す。最初のわが国における図入り百科事典として有名。なお、経路部に「すい臓」が見えてないのは、中国医書によっているからであり、それが《解体新書》に「大機里爾(コロート・キリール)」として紹介されるまで、存在は知られていなかったからである。1906年に縮刷活版本が出版(吉川弘文館)され、《日本随筆大成》(吉川弘文館)に別巻として刊行(2冊)されている。

 まさに入手したのは1906年=明治三十九年の活版縮刷本で、函入革装、菊半截判千五百ページ、厚さは六センチに及び、正価は二円である。函はともかく本体の保存状態はきわめてよく、手にしてみても、一世紀以上前の「図入り百科事典」には見えないほどだ。そのために古書価の一万円は高くないと思われた。

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 それにしてもあらためて驚くのは、本探索1077の『言海』のところでふれておいたように、活版印刷の技術革新と進化である。これも同1086で見てきているが、明治十年代まではまだ近世からの木版印刷の和本の時代が続いていたことを考えると、そうした近代出版の技術革新と進化という事実とパラレルに近代出版業界が誕生し、成長していったと再認識するのである。それは公共出版とも称すべき『古事類苑』などの古典籍の印刷製本を通じて開発され、進化していった活版技術、それから同じく辞書を対象とする大冊の大量出版と重版によるコストダウンが廉価販売をも可能にさせていった。そうした大正時代におけるそれぞれの刊行会の予約出版全集類へと結びつき、さらに大量生産の昭和円本時代を出現させることになったのである。

 『和漢三才図会』を繰っていると、そのような近世から近代にかけての出版様式、技術、形態などの推移が想起されるし、南方熊楠が少年時代にこの一冊を五年がかりで筆写したという、よく知られたエピソードをも思い浮かべてしまう。紀田順一郎の『日本博覧人物史』(ジャストシステム)にその写本が見られる。ただ書庫に備えていたのは明治十七年の菊判三冊本のようだが、書庫の写真からは突き止められない。また柳田国男にしても座右の書であったことは疑い得ない。二人とも最初の出会いはどの版であったか、わからないけれど、吉川弘文館の縮刷版の刊行以後は民俗学、博物関係者にとって、必備の一冊だったにちがいない。

日本博覧人物史
 縮刷版『和漢三才図会』の巻末にこの元版の表記があるので、以下に示してみる。

  大坂高津宮北 杏林堂
  蔵版全部 百五巻
       大坂心斎橋筋淡路町
  彫刻  嶝口太兵衛尉定次

 残念ながら、『日本出版百年史年表』所収の明治七年における「大阪府管下書林」の中に、杏林堂も嶝口の名前も見当らない。寺島良安の「絵入り百科事典」の試みも壮大な企画だったにちがいないけれど、それを刊行した杏林堂にとっても、比類なき出版プロジェクトであったはずだ。

 奥付の検印のところを見てみると、そこには合資会社吉川弘文館の代表者である吉川半七の印が押されている。著者は故寺嶋良安とあることからすれば、吉川が寺嶋の遺族、もしくは杏林堂関係者から『和漢三才図会』の版権譲渡を受け、出版に至ったとも推測されるが、それらの詳細は定かではない。 
 

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