出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1113 書籍専門取次と外交販売

 前回の岩波書店『国書総目録』は戦後の出版だし、その流通販売が岩波出版神話に基づく取次や書店、とりわけ全国各地の老舗書店の学校、図書館、職域などを中心とする外商を通じてのものであったと考えられる。それを抜きにして『国書総目録』全八巻の五千部販売、続いての第二次募集は成立しなかったであろう。

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 それならば、『国書総目録』の範となった明治三十年代の六合館の、これも前回の佐村八郎『国書解題』、本探索1077の吉川弘文館の大槻文彦『言海』、同1075の同じく吉川弘文館の『日本随筆大成』、同1076の日本随筆大成刊行会の『日本図会全集』、同1103「増訂故実叢書」はどうだったのだろうか。それは『古事類苑』や『群書類従』に関しても同様である。これらのうちで、吉川弘文館関連の発売所として、日本橋の六合館、名古屋の川瀬書店、大阪の柳原書店、京橋の日用書店、牛込区の国際美術社を挙げ、六合館、川瀬書店、柳原書店が書籍、及び地方取次であることも既述しておいた。

f:id:OdaMitsuo:20210109103005j:plain:h105(日本図書センター復刻)f:id:OdaMitsuo:20201003111855j:plain:h108(『日本随筆大成』)

 それ以前の販売事情は拙稿「明治二十年代の出版流通」(『古本屋散策』所収)でふれている。だが明治三十年代に入ると、清水文吉の「出版流通機構の成立史」である『本は流れる』(日本エディタースクール出版部)がたどっているように、大取次が台頭してくる。それらは東京堂、北隆館、東海堂、良明堂、上田屋、至誠堂で六大取次時代を迎えていた。

 古本屋散策  

 ただここで留意すべきは、これらの東京の六大取次が雑誌を主体していたことである。それは全国的な鉄道網の伸長と雑誌全国均一運賃制度によって支えられていた。明治三十年代において、近代取次の象徴もいえる東京堂も雑誌中心だったけれど、博文館の出版物の取次兼書店として立ち上がっていたので、当然ことながら、書籍も扱っていた。それゆえに吉川弘文館も東京堂を始めとする六大取次に取引口座があったはずなのに、発売所兼取次がそれらではなく、六合館や地方の川瀬書店、柳原書店だったのはどうしてなのか。

 それはやはり取次といっても、これらの六大取次は雑誌をコアとしていて、先に挙げた古典籍類シリーズの売捌システムは確立されておらず、本探索1078の博文館「帝国文庫」などが限界だったと思われる。そのために吉川弘文館は六大取次に書店からの注文口座を設けていても、大学、高校、図書館などに強い六合館、地方を代表する川瀬書店や柳原書店とタイアップし、流通販売網を広げていったのであろう。その際に導入されたのは正味を安くする買切入銀制で、それが戦後の全集や辞書類などの書店に対するバックマージンの代わりを務めていたことになろう。

 それならば、吉川弘文館絡みでしか目にしていない日用書房や国際美術社とは何なのか。最初はこのふたつを、取次も兼ねた古典籍類を扱う専門書店ではないかと考えていた。そこで至誠堂出身で流通販売にも詳しい小川菊松の『出版興亡五十年』の「人名・会社名索引」を繰ってみた。だが見当らないので、この際だから吉川弘文館と吉川半七を引いてみた。すると次のような言及があった。

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 吉川弘文館は吉川半七の名で聞えた、明治初期からの存在の老舗であるが、これも大叢書ものを刊行して一面に外交販売策をとり、現に継続中の「国史大系」は学界に重きをなす出版物で、文部省の補助もあり、外交販売が主で、同館では今も全国に外交員を配置している。