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古本夜話1117 国民図書『校註国歌大系』と佐伯常麿

 前回の『校註日本文学大系』に少し遅れて昭和三年からほぼ併走するかたちで、やはり国民図書による『校註国歌大系』が刊行されている。

f:id:OdaMitsuo:20210113102520j:plain(『校註日本文学大系』)

 これは『世界名著大事典』の「全集・双書目録」において、誠文堂版が挙げられ、次のような解題が見える。「古代から明治初期までの和歌の集成。校訂はかなり安易であるが、収録和歌の多いことは随一である。本巻に索引と作者部類とを付ける。一般向き刊行書」だと。実は元版に当たる国民図書『校註国歌大系』のほう拾っていて、以前に「中塚栄次郎と国民図書株式会社」(『古本探究』所収)で、函の背表紙だけを掲載している。だがここでは所持する端本リストを示す。

古本探究 

13『中古諸家集全』 玉井幸助
14『中古諸家集全』 小林好日
15『近代諸家集一』 山岸徳平
16『近代諸家集二』 野村宗朔
17『近代諸家集三』 山﨑麓
18『近代諸家集四』 山岸徳平
20『明治初期諸家集全』 佐伯常麿

 これらはB6判函入天金上製、いずれも九百から千ページに及ぶ。このすべての内容は挙げられないので、20の『明治初期諸家集』を例とすれば、橘曙覧『志濃夫廼舎歌集』、太田垣蓮月『海人の苅藻』、八田知紀『しのぶぐさ』、井上文雄『調鶴集』、福田行誠『於知葉集』、僧弁玉『瑲々室集』、野村望東『向陵集』、大国隆正『真爾園翁歌集』を収録している。リストの下部にある名前は編輯担当者で、佐伯が『校註日本文学大系』でも同様だったことは、前回の上田万年の言に明らかであるし、佐伯は引き続き、『校註国歌大系』でも「組織編纂」の立場にあったはずだ。それぞれに「解題」が付され、底本も明記され、上版が註、下段が本文という『校註日本文学大系』と同じ編輯である。

 残念ながら第一巻の『古歌謡集』は入手していないので、そこに寄せられているはずの上田などの「序」を見ていないけれど、おそらく『校註日本文学大系』の「序」で述べられていたその第三期「和歌」に相当するのが『校註国歌大系』だと思われる。それはタイトルに「校註」と「大系」が含まれていることからも類推できよう。

 それゆえに『校註国歌大系』も、上田を始めとする国文学アカデミズムがバックプした出版プロジェクトだったと考えられるし、『世界名著大事典』のいうところの「校訂はかなり安易で」「一般向き刊行」なる評価は気の毒である。どうしてそのような判断が下されたかは、ひとえに誠文堂版に基づいているからであろう。戦前において、誠文堂は小川菊松の特異なキャラクター、及び出版業界における実用書や譲受出版=焼き直し出版のイメージが強かったので、そうした偏見が出版物にも必然的に反映されてしまったからだと思われる。

世界名著大事典〈第1巻〉アーカン (1960年)  全集叢書総覧 (1983年) 

 しかしあらためて『全集叢書総覧新訂版』を見てみると、『校註国歌大系』は昭和三年の国民図書に続き、誠文堂が昭和八年に普及版、十二年に新版を出し、戦後に至っては講談社が昭和五十一年に復刻版を刊行している。この事実からすれば、国民図書版の経済、販売事情は不明だが、戦前戦後を通じて、貴重な研究資料、第一次文献的出版物として評価されてきたことを告げていよう。

f:id:OdaMitsuo:20210114112547j:plain(誠文堂普及版)f:id:OdaMitsuo:20210114113121j:plain(講談社版)

 それだけでなく、先の17の『近代緒家集』には他の巻に見られない「月報」が残っていて、意外というしかなかった。つまり「外交販売」全集であっても「月報」は付き物だったのだ。そしてそこには「常道に還りつゝある出版界―円本忌避の傾向顕著」という一文が掲載されているので、昭和四年の円本出版状況に関する証言として、それを聞いてみよう。

 所謂円本の跋扈は、遂に愛書の趣味を滅殺して、読書界をオアシスなき沙漠と化して了ひました。何処へ行つても誰に聞ひても、「どうも折角の座敷へ円本を斯う並べては、まるで安普請のバラツクへ入つたやうだね。」といふ愚癡ならざるはない。それだけ円本は蔓りきつて、今や却つて読書家に呪はれつゝあるのでありますが、併し、物は行き詰ると又転換するものであります。近来の出版に、わざゝゝ「円本にあらず」と断つてあるが如きは、此の間の消息を窺ふに足るものでありませう。(中略)
 円本刊行の如き大掛りな、お祭りさわぎの、唯宣伝一つで行かうといふ大芝居をうつには、あらゆる力が商戦に注がれるのみで、昔の出版屋のやうに、丹念に原稿に力を入れて、たとひ時がかからうと、金がいくらかゝらうと、最善を尽して以て、恥づるところなき書を作るいつたやうに、落ちついて出版をやつて行くといふ機会は、全然与へられないのでありますから、あの円本戦で生れて行くものは、二度のおつとめのもので無い限り、推敲の十分ならざる、所謂一夜づくりのものに止まるのは、己を得ない事情でありまして、これが円本の遂に読書家に呪はるゝに至つた当然の事情であります。

 ここで「円本にあらず」とされているのは、岩波書店の『露伴全集』『赤彦全集』で、いずれも一円ならぬ四円五〇銭と四円であり、ここに言外に『校註国歌大系』三円八〇銭も、それに加わるものだとされているのだろう。その販売事情は詳らかにしないけれど、「二度のおつとめ」どころか、「四度のおつとめ」まで果したであるから、その意味で、『校註国歌大系』は「円本にあらず」との自負を体現したことになろう。

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