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古本夜話1118 時事新報社『福澤全集』と国民図書

 国民図書株式会社の全集類については、拙稿「中塚栄次郎と国民図書株式会社」の他に、『近代出版史探索Ⅲ』551で『現代戯曲全集』、本探索1019で『泡鳴全集』、前々回と前回で『校註日本文学大系』『校註国歌大系』を取り上げてきた。そこでもうひとつの『福澤全集』にもふれておきたい。

f:id:OdaMitsuo:20200303211530j:plain:h110(『現代戯曲全集』)f:id:OdaMitsuo:20200410112527j:plain:h110(『泡鳴全集』) 近代出版史探索III

 この『福澤全集』は大正十四年から「非売品」として全十巻が刊行されている。各巻は五円となっているけれど、やはり昭和円本時代を迎える中で企画された国民図書ならではの予約出版、外交販売商品と見なしていい。それは小川菊松が『出版興亡五十年』において、『福澤全集』は四十万部の内容見本を作り、有力な名簿をもとに発送したと証言していることでも明らかだ。

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 また私の入手した『福澤全集』は第一、三、八巻の三冊だが、ある高等女学校図書館の廃棄本で、それがラベルと蔵書印からわかる。おそらくこの図書館も内容見本を送られ、外交販売ルートで購入し、蔵書としたのではないだろうか。この『福澤全集』はは菊判上製・函入、天金七百ページ前後、いかにも学校図書館の蔵書にふさわしい装幀造本である。福澤は明治三十四年に没しているが、『学問のすゝめ』『文明論之概略』などにおける近代思想家、教育者、慶応義塾創設者として、その名声はまだ衰えておらず、国民図書が全集内容見本四十万部を発行できるだけの著名人であり続けていたのだろう。

 それに忘れてはならないのは、福澤が近代出版者でもあったことで、『出版人物事典』はその立項を落としていない。それを引いてみる。

出版人物事典―明治-平成物故出版人

 [福沢諭吉 ふくざわ・ゆきち]一八三四~一九〇一(天保五~明治三四)慶応義塾出版局創始者。大分県生れ。長崎で蘭学を学び、一八五五年(安政二)大阪に出て緒方洪庵の適塾で学んだ。五八年江戸に出て塾を開き、英語を独習。六〇年(万延一)幕府の使節に従って渡米。明治維新後民間人となり、六八年(慶応四)塾を芝に移し、慶応義塾と改称。また出版局を開設して出版販売に着手、自著の『西洋事情』『学問のすゝめ』『文明論之概略』などつぎつぎに出版、いわばユニバーシティ・プレスの最初であった。福沢本は、明治のベストセラーの筆頭にあげられる。自著の偽版の続出を憤り、copyright を版権と称して著作兼保護の必要を説き、先駆的な役割を果した。

 私も本探索で「版権」問題に多く言及しているが、この立項により、そのタームが福澤による訳語だと再認識させられる。そこで『福澤全集』の奥付を見てみると、編纂者は時事新報社、発行者と発行所は中塚と国民図書だが、検印部分には福澤の印が押され、この全集版権=著作権が福澤一族にあるとわかる。

 このことで福澤著作権問題は実証できるが、編纂者が時事新報社であることはトレースしておかなければならない。それは明治三十一年の存命中に時事新報社から最初の『福澤全集』全五巻が刊行されたことに端を発している。福澤は明治十四年に『時事新報』を創刊し、ジャーナリストとしても活動し、晩年に『福翁百話』や『福翁自伝』などの著作を時事新報社から刊行している。それに合わせ全集も企画され、三十年九月付で『福澤全集緒言』が書かれ、それは第一巻に収録され、国民図書版でも同様なので、幸いにして読むことができる。

f:id:OdaMitsuo:20210116160443j:plain:h115(全5巻)f:id:OdaMitsuo:20210116160018j:plain:h115

 そこで福澤は「四十年来余が著述又は翻訳したる諸書類を集めて新たに版行せんとするに当り聊か其趣意を一言して巻首に記し置かんとす」と始めていえる。「其趣意」を要約すれば、自分は著訳書を多く出版し、自らの所見を発表してきたけれど、その後は著訳者として成り行きまかせで、歳月の推移とともに何冊出したのか、内容はどうなのかも忘却するようにもなっている。だからここに全集としてまとめ、散逸を防ぎ、子孫や知己朋友のためにも、単行本未収録原稿も集め、出版を思い立った次第だと。

 それから福澤は自らの著者の解題を述べていくのだが、鉄砲洲某稿の名で書かれた「唐人往来」は江戸末期の世間の唐人=外国人観を伝え、それが現在へと通じるひとつの変わらないナショナリズムのかたちであることを教えてくれる。また『華英通語』は福澤が著した英語辞典というべきもので、このようにして英語が学ばれていったことがまざまざと伝わってくる。次にくるのは『西洋事情』で、同書から『学問のすゝめ』の間には、「雷銃操法」「西洋旅案」「窮理図解」「洋兵明鑑」「議亊院談」「世界国尽」といった小著がはさまれている。

 福沢の言からすれば、これらの彼の所為の著訳書も明治三十年代に入ると、「何時しか蔵書四散して」の状態、つまり散逸していたとも考えられる。またその後の未収録原稿も多く見つかったはずで、それが時事新報社版全五巻を増補した国民図書版全十巻へと結びついていったのであろう。第一巻の編纂者「端言」は大正十四年十二月の日付で、「今回時事新報社一万五千号の記念として先生の遺文を出版するに当り、是等未載のもの、幷に先生の筆に成れる時事新報社説の鈔録とを既刊の全集に加へて都合十巻となし」とはその事実を物語っている。

 そしてこの国民図書版の『福澤全集』を受け継ぐかたちで、昭和八年に岩波書店から『福澤全集(続)』全七巻が出され、戦後の昭和三十九年には『福沢諭吉全集』全二十二巻が刊行されることになる。そうした流れをたどると、編纂者が誰なのか不明だし、国民図書版が四十万部の内容見本に見合うだけの売れ行きを示したかは詳らかにしないが、福澤の出版史と研究史に少なからぬ貢献をなしたことは確実だと思われる。

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