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古本夜話1134 鶴田久作と『国訳漢文大成』

 かつて「鶴田久作と国民文庫刊行会」(『古本探究』所収)を書き、その際は「世界名作大観」とダントン、戸川秋骨訳『エイルヰン物語』を取り上げのだが、『国訳漢文大成』と『国訳大蔵経』はそれぞれ二万部という成功を収めたことにふれておいた。またその後、「国民文庫刊行会の『国訳漢文大成』」(『古本屋散策』所収)を書き、『近代出版史探索』105で、『国訳大蔵経』にも言及している。ただ前者は幸田露伴との関係を主としていたので、ここで前回の「漢文学復興の機運」に連なる『国訳漢文大成』の内容と訳者たちを挙げておきたい。

f:id:OdaMitsuo:20210218170648j:plain:h120(『国訳漢文大成』) 古本探究 古本屋散策 近代出版史探索

 だがその前にあらためて鶴田を紹介するために、『出版人物事典』の立項を引いておく。
出版人物事典―明治-平成物故出版人

 [鶴田久作 つるた・きゅうさく]一八七四~一九五五(明治七~昭和三〇)国民文庫刊行会創業者。山梨県生まれ。小学校卒業後上京、国民英学会卒後、日本国有鉄道を経て博文館に入社、編集に従事。一時帰郷したが、再度上京、一九〇五年(明治三八)神田小川町に玄黄社を創業、翻訳の単行本の出版をはじめる。さらに「学校の教科書にも使用し得る」日本古典の文庫『国民文庫』五四冊の出版を計画、〇九年(明治四二)国民文庫刊行会を設立。『泰西名著文庫』『泰西近代名著文庫』『国訳漢文大成』『国訳大蔵経』などの大冊を主として予約出版で出版した。読書家であり翻訳家でもあったが、出版人として明治・大正・昭和初期を通じユニークな存在であった。

 このうちの「国民文庫」に関しては菊判上製の『国民文庫総目録』(比売品、明治四十四年)が出されていて、それらの明細を見ると、本探索1116の国民図書『校註日本文学大系』を始めとする円本時代の日本古典文学全集類の範になったことが実感される。また国民図書という社名も国民文庫にあやかっているのは明白だ。それに何よりも鶴田にあっては、近代出版社の雄として成長する博文館で編集を会得し、買切制時代の書籍出版と利益率、流通販売のメカニズムを深く認識していたことが挙げられるし、予約出版にしても外交販売にしても、鶴田と国民文庫刊行会こそが先駆者の立場にあったと思われる。
f:id:OdaMitsuo:20210301101712j:plain:h110(『国民文庫』)

 それゆえに杉村武『近代日本大出版事業史』においても、その一章が国民文庫刊行会に当てられ、まだ存命していた鶴田にもインタビューし、出版企画は「すべて成功し巨額の富を残し」たとされる鶴田の名前を付した一節を残しているのだろう。 だがその鶴田しても評伝などは書かれておらず、玄黄社と国民文庫刊行会の出版目録も出されていない、編集者たちのプロフィルや編輯部の実状、著者や訳者たちの全貌も明らかではない。

 それでも幸いなことに、またしても『世界名著大事典』第六巻「全集・叢書目録」において、『国訳漢文大成』の解題と明細は見出すことができるので、その解題を示す。

世界名著大事典〈第6巻〉マラーワン (1961年)

 国訳漢文大成(88冊、19207~31)国民文庫刊行会編。邦訳された漢籍の全集で、正編(1920~24)と続編(1929~31)とからなり、続編〈文学部〉第6・17両巻は上下二冊に分かれる。各巻に解題および当該原文を付す。また1939年から41年にかけてこの内容を縮刷大冊10巻にして刊行。線(ママ)装帙入もある。以上、国民文庫刊行会刊。さらに東洋文化協会刊による正、続88冊の復刊版(1955~58)も出ている。

 この『国訳漢文大成』は玄黄社時代に刊行の「和歌漢文叢書」の成功を継承するものだとされるが、こうして全88冊の内容と訳者たちの明細を目にすると、当代の漢学者、専門家が一堂に会していることがわかる。再びの機会は得られないと思われるので、あえて列挙してみる。それらは服部宇之吉、釈清譚、小柳司気太、公田連太郎、宇野哲人、児島献吉郎、小牧昌業、山口祭常、佐久節、岡田正之、笹川臨風、塩谷温、幸田露伴、宮原民平、箭内亙、加藤繁、鈴木虎雄、久保天随、岩重憲徳などである。

 そのうちの担当の一例を挙げれば、幸田露伴は正編「文学部」の14~16の『紅楼夢』や同18から20の『水滸伝』の六冊を受け持ち、それだけでも『国訳漢文大成』の見識がうかがわれるし、他の訳者たちも多くの漢和辞典類の著者、監修者として目に入る。杉村が「国民文庫刊行会の出版物中、最大の版を重ね、最も成功したもので、同会を有名にした叢書である」と評しているのは過褒ではない。

 その『国訳漢文大成』を一冊だけ拾っている。それは正編「文学部」17の清朝戯曲『長生殿・燕子箋』で、杉村の言と各巻が二万部に達したという企画の成功を裏づけるものである。函入、菊判上製、八百ページの大冊、シックな濃紺の装幀で、まさにチャイナブルーと称んでみたくなる。また驚くのは函に「第五版 第十三回配本」とあることで、奥付を確認してみると、大正十二年初版、昭和十年五版とあり、円本時代をくぐり抜け、ロングセラーとなっていたことがわかる。 
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 それに編輯発行者は国民文庫刊行会代表者の鶴田久作で、しかも「比売品」との記載、及びどこにも定価表示はないことからすれば、予約出版、通信販売、外交販売をクロスさせた流通販売で、ほとんど出版社・取次・書店という近代出版流通システムに依存していない事実が浮かび上がってくる。これが鶴田と国民文庫刊行会の成功を導いた独自の流通販売システムで、それらを新たな出版ビジネスモデルとして、予約出版と外交販売市場が形成されていったとも解釈できよう。

 ちなみにこの巻の『長生殿』の訳と註は塩谷温、『燕子箋』の訳者は宮原民平で、前者は9の『琵琶記』、11の『桃花扇伝奇』、12の『漢武帝内伝』や13の『剪燈新話』なども担当し、『国訳漢文大成』の主たる訳者だとわかる。『近代出版史探索Ⅳ』776の神谷敏夫『最新日本著作者辞典』によれば、東京生まれの漢学者で、東京帝大文科大学漢文科において支那文学を研究し、清国へ留学後、大正九年に東京帝大教授となり、支那文学、とりわけ戯曲小説に精通とされる。

近代出版史探索IV

 またこの一文を書いてからしばらくして、中村孝也『文集志ら菊』(大日本雄弁会、大正十年)を入手し、巻末広告を見たところ、塩谷温先生述『支那文学概論講話』が掲載されていた。そこには「詩賦文章の堂奥に入りて其秘曲を詳述し戯曲小説の傑作を網羅して論評絶妙也」とあった。これによって、塩谷の『国訳漢文大成』における翻訳の担当を了承するのである。

f:id:OdaMitsuo:20210219112639j:plain(『支那文学概論講話』)


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