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古本夜話1136 至誠堂「新訳漢文叢書」

 
 続けて漢文出版を取り上げてきたけれど、明治から大正にかけて、思いがけずに新書判や袖珍判としても出版されていたのである。

 紀田順一郎の『古書収集十番勝負』(創元推理文庫)において、その勝負の六番目に「有朋堂対訳詳解漢文叢書」が挙げられていた。これは大正時代に刊行された、本探索1073、1074の「有朋堂文庫」の姉妹版で、全四十一巻とされる。だがその最終巻『靖献遺言』が関東大震災によってほとんど消滅してしまい、尋常の手段では入手できない「キキメ」となっているからだった。

古書収集十番勝負 (創元推理文庫)

 この新書判の「有朋堂対訳詳解漢文叢書」は入手していないが、それに先行して、やはり大正時代に至誠堂から「新訳漢文叢書」が出され、その一冊の第十四編『新訳大学中庸』は拾っている。こちらは新書版よりもさらに小さい袖珍本で、『全集叢書総覧新訂版』に見当らないので、その巻末広告から訳者も含め、十四冊をリストアップしてみる。

f:id:OdaMitsuo:20210308102312j:plain:h120(「新訳漢文叢書」)

1 大町桂月訳評 『新訳日本外史』
2 友田冝剛評 『新訳評解文章軌範』
3 浜野知三郎註解 『新訳孟子』
4 大町桂月訳評 『新訳日本楽府』
5  〃    『新訳日本政記』
6 久保天随訳評 『新訳十八史略』
7 友田冝剛評 『新訳評続文章軌範』
8 大町桂月訳評 『新訳国史解』
9 久保天随訳補 『新訳水滸全伝』上
10  〃    『新訳水滸全伝』下
11 大町桂月訳解 『新訳論語』
12 久保天随訳補 『新訳演義三国志』上
13  〃  『新訳演義三国志』下
14 浜野知三郎訳解 『新訳大学中庸』

 手元にある14はクロス装、天金函入だが、索引も含めて二百ページに満たない一冊だ。しかしこの巻だけは例外で、9、10などは上巻が千三百ページ、下巻は千二百ページとあり、袖珍判ながらも大冊とわかる。これはいずれもほとんどに「縮刷」「全一冊」と付されているように、以前に他の出版社から刊行されていた各シリーズを「縮刷」「一巻本」、もしくは上下巻とし、「新訳漢文叢書」として復刊したと見なせよう。

 訳評解者の同じく漢学学者、漢詩人としての大町桂月と久保天随に関しては『近代出版史探索Ⅱ』223で前者、同227で後者にふれているが、二人とも特価本や造り本出版社との関係が深いことに言及しておいた。それはこの「新訳漢文叢書」と至誠堂も無縁でないよう思われる。これも拙稿「至誠堂『大正名著文庫』と幸田露伴『洗心録』」(『古本屋散策』所収)で、その店員だった藤井誠治郎『回顧五十年』の証言を引き、当時の至誠堂が出版社、取次、書店を兼ね、「版元の残本まで引き受ける何でも屋であった」ことを確認している。

近代出版史探索II 古本屋散策

 藤井の先輩店員が『出版興亡五十年』の小川菊松に他ならないし、小川は『商戦三十年』(誠文堂、昭和七年)において、口絵写真の筆頭に「旧主至誠堂 加島虎吉氏」を掲げ、加島は同書に最初の「序」を寄せている。この事実は至誠堂こそが小川と誠文堂のルーツだったことを物語っていよう。小川も記しているけれども、ここでは『出版人物事典』から加島の立項を挙げてみる。

f:id:OdaMitsuo:20210131142744j:plain:h110 f:id:OdaMitsuo:20210309161158j:plain:h110 出版人物事典―明治-平成物故出版人

 [加島虎吉 かしま・とらきち]一八七一~一九三六(明治四~昭和一一)至誠堂創業者。兵庫県生れ。少年時代上京、石屋の店員などをしたのち、一八九五年(明治二八)日本橋人形町で古本貸本業至誠堂を創業、九九年(明治三二)新本・雑誌の取次、販売、さらに出版事業に乗り出し、和田垣謙三の『青年諸君』を処女出帆(ママ)、『大正名著文庫』を刊行、『新婦人』を創刊するなど旺盛な活動を続け、取次は無謀な競争時代であったが、着実に業績を伸ばした。しかし、関東大震災で大きな痛手を受け、それに出版の失敗が加わり、一九二五年(大正一四)破産した。取次部門は大誠堂を設立したが、学界再編成で大誠堂を主体に東京堂・東海堂・北隆館が出資して新しい取次大東館が誕生した。ここで取次業界は四大取次時代となる。

 ここに近代出版業界が未分化であった明治後半からの古本、貸本、出版社、書店、取次を兼ねた「何でも屋」の至誠堂の軌跡の一端が浮かび上がってくる。至誠堂は明治三十年代からの六取次、大正前年の五取次の一角を占めていたけれど、大正十四年に破産に至り、そして昭和円本時代が四大取次によって担われていくのである。ちなみに大誠堂から大東館に至る取次ドラマは小川の『商戦三十年』に活写され、その再編の内幕を教示してくれるし、その中心人物の一人は先の藤井でもあり、かれは大東館の営業部長となり、新たな取次を担っていくことになる。こうした取次ドラマは近年の取次の破産と統合などが重なってくるけれど、残念ながらそこには小川や藤井のような人々は不在であることを付記しておこう。

 ところで「新訳漢文叢書」などの至誠堂の出版物はどうなったのであろうか。小川も藤井もそれらに関する証言を残していないが、やはり特価本や造り本出版社によって引き継がれ、譲受出版のかたちで復刻されていったと思われる。


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