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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1141 先進社『大日本思想全集』

 昭和六年に先進社から『大日本思想全集』が刊行されている。その第五巻に当たる『貝原益軒・平賀源内集』の一冊だけが手元にある。タイトルは正確にいえば、「付心学一派・石田梅巖・手島堵庵・中澤道二」との断わりが示されているけれど、煩雑なので、先の二名に統一する。同書は菊判函入、上製天金四九四ページに及び、『全集叢書総覧新訂版』で確認すると、全十八巻予定だったが完結に至らず、定価は上製が三円、並製が一円八十銭で、やはり時代から考えても、円本のひとつに数えられよう。

全集叢書総覧 (1983年)

 奥付には編輯兼発行人として上村勝弥、発行所は先進社内大日本思想全集刊行会とあるけれど、先進社と大日本思想全集刊行会の住所は異なり、またその検印は同刊行会の印が押されていることからすれば、版権は後者にあるとわかる。『大日本思想全集』自体がオリジナル企画で、同刊行会が製作と編集経費を負担し、出版したと推測される。それに際して、先進社と上村は編輯兼発行人として名義を貸し、発売所を引き受けたことになろう。このような例を本探索1027の「大日本文庫、同1028の「全訳王朝文学叢書」に見たばかりだ。

 先進社に関しては『近代出版史探索Ⅱ』365、366で言及してきているが、兄の上村哲也は満鉄、東亜経済調査局を経て、昭和七年に満州国文教部学務司長に就任している。それと『大日本思想全集』は時代的にも符合しているし、満鉄や満州絡みの資金、もしくは助成金などを得ての出版ではないかと思われた。先進社の記録は見当らず、この一冊だけでは手がかりがつかめないままだった。

 だがずっと既述してきたように、ここしばらく『世界名著大事典』の「全集・双書目録」を利用する機会が多かったので、念のために引いたところ、何と解題が見出されたのである。それは藤村作、紀平正美、大川周明、高須芳三郎、斎藤茂吉、塩谷温監修で、「徳川時代の日本の思想家の著作集。上段に原文、下段に現代語訳。簡素な著者小伝を付す。ただし第1巻は未刊である。大日本思想全集刊行会刊」とあり、次のような明細がリストアップされていた。著作等の細目は省略する。

世界名著大事典〈第6巻〉マラーワン (1961年)

1 『藤原惺窩・林羅山集』
2 『中江藤樹・熊沢蕃山集』
3 『山鹿素行・大道寺友山・宮本武蔵集』
4 『伊藤仁斎・伊藤東涯・山崎闇斎集』
5 『貝原益軒・平賀源内集』
6 『新井白石・室鳩巣集』
7 『荻生徂徠・太宰春台・中井竹山・雨森芳洲集』
8 『佐藤信淵・三浦梅園・海保青陵集』
9 『賀茂真淵・本居宣長・橘守部・上田秋成集』
10 『平田篤胤・富永仲基・伴信友・伊勢貞丈集』
11 『本田利明・青木昆陽・安藤昌益集』
12 『杉田玄白・浅田宗伯・司馬江漢・大槻磐水集』
13 『渡辺崋山・高野長英・林子平・蒲生君平集』
14 『二宮尊徳・大原幽学集』
15 『頼山陽・山県大弐・竹内式部集』
16 『大塩平八郎・佐藤一齋集』
17 『吉田松陰・佐久間象山・会沢正志・浅見絧斎集』
18 『徳川光圀・藤田東湖・橋本左内・松平定信・藤田幽谷集』

f:id:OdaMitsuo:20210322114522j:plain:h120(第15巻『頼山陽集』)

 こうしてラインナップしてみると、まさに5などの貝原益軒と平賀源内の組み合わせはちぐはぐな印象を与えるけれど、本探索1114,1115の「大系」と同様に、戦後の岩波書店の『日本思想体系』の範になったのではないかという思いにも駆られてしまう。

 完結に至らなかったとはいえ、誰がこのような徳川時代の思想家の著作集を編み、『大日本思想全集』という出版プロジェクトの実現を果たしたのであろうか。監修者の六人を見てみると、藤村作は本探索1060、紀平正美は『近代出版史探索Ⅳ』712,大川周明は『近代出版史探索Ⅲ』563,565、高須芳次郎は『近代出版史探索Ⅴ』843で取り上げてきたように、彼らは同時代の仕事やキャラクターからしても、名前だけの監修者であろう。最後の塩谷温は本探索1134で言及したばかりで、『国訳漢文大成』の業績ゆえに、監修者として召喚されたと推測できる。そうした意味において、同1130の石井研堂『増訂明治事物起原』のいう「監修者の流行」は続いていたのである。

f:id:OdaMitsuo:20210209115102j:plain:h120 (『増訂明治事物起原』)

 ところで少し話は変わるけれど、この先進社からは昭和五年に川端康成の『浅草紅団』が出されていて、この装幀は『近代出版史探索Ⅱ』344などの吉田謙吉によるものだ。もちろん私の所持しているのは近代文学館の復刻だけれど、その巻末広告に大佛次郎『日蓮』、細田民樹『黄色い窓』、林房雄『都会双曲線』、明石鉄也『失業者の歌』などのプロレタリア小説に加え、時代小説を主とする「先進社大衆文庫」シリーズも掲載されている。一冊も入手していないが、先進社が文芸書の版元であったことを示しているし、『大日本思想全集』の企画と何らかの関係があるように思われてならない。

近代文学館〈特選 〔25〕〉浅草紅団―名著複刻全集 (1971年) 新・プロレタリア文学精選集 (9) f:id:OdaMitsuo:20210323110427j:plain:h120


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