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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1142 金星堂と『日本精神文化大系』

 前回の先進社『大日本思想全集』の解題と明細は『世界名著大事典』第六巻の「全集・双書目録」に見出したけれど、金星堂の『日本精神文化大系』は含まれていなかった。残念ながら『金星堂の百年』(平成三十年)においても何の言及もなく、タイトルすらも挙げられていなかった。

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 この『日本精神文化大系』は昭和九年から全十巻が出され、手元にあるのはその第二巻の「大和時代篇」で、聖徳太子の「十七箇條憲法」に始まり、主として『古事記』『日本書紀』『続日本紀』、『出雲風土記』を始めとする各風土記を収録している。本文組は本探索1116の『校註日本文学大系』と同じで、下が本文、上が注釈となっているし、「大系」というタイトルばかりか、構成も踏襲しているように思える。函はあったと思うが、私の所持する一冊は裸本で、菊判上製五六六ページ、予約頒価三円とあるので、時代は昭和九年と下っているが、円本と同じ予約出版のかたちだとわかる。

 『金星堂の百年』に描かれているように、金星堂は大正十三年に川端康成や横光利一たちを同人とする『文芸時代』を創刊し、『近代出版史探索Ⅱ』354の「先駆芸術叢書」、同202の「随筆感想叢書」、「金星堂名作叢書」、「全訳名著叢書」、同346絡みの「世界近代劇叢書」という五大叢書を刊行している。また川端の『感情装飾』や横光の『御身』なども出版し、モダニズム文学の版元としてその名を高めつつあった。それらに続いて『ジイド全集』『チェーホフ全集』も出していた。しかし御多分にもれず、それらの出版が利益をもたらすはずもなく、昭和五年には在庫の大バーゲンを行なわざるを得なかった。

f:id:OdaMitsuo:20200304175256j:plain:h120 f:id:OdaMitsuo:20210328144739j:plain:h120  f:id:OdaMitsuo:20180813155456j:plain:h120(『ジイド全集』)

 その後に『日本精神文化大系』の企画が持ちもちこまれ、金星堂は発売所を引き受けたと考えられる。それはこのような大部な「大系」ものは編集や製作費から見ても、金星堂の自社企画ではありえない。それは監修に名を連ねている徳富蘇峰、佐佐木信綱、鵜澤總明、吉田熊次、新村出を見ても、金星堂の関係者のようではないし、編輯の藤澤親雄、藤田徳太郎、森本治吉も同様である。
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 監修の吉田と編輯の藤澤は国民精神文化研究所員の肩書が付されている。藤沢は『近代出版史探索』113、『近代出版史探索Ⅳ』714、国民精神文化研究所はやはり『近代出版史探索』124、『近代出版史探索Ⅳ』711で既述しているように、同研究所が「戦時下全国民於教育」のために、大量発行していた「国民精神文化類輯」の著者だった。それは吉田も同じだ。その事実とタイトルに含まれている「精神文化」の共通性を考慮すれば、この出版が国民精神文化研究所人脈をベースにして企画編集され、金星堂が発行所となっているけれど、実質的には発売所の役割を引き受けたと推測できよう。その奥付の「編輯者代表」は藤田で、検印の欄にも藤田の印が押されていることは版権が金星堂ではなく、「編輯者代表」たる藤田にあると見なせるからだ。

近代出版史探索 近代出版史探索IV

 ただ藤田の肩書は浦和高校教授とあるので、国民精神文化研究所員ではなかったにしても、『近代出版史探索Ⅴ』977などの堀一郎や和歌森太郎がそこに属していたことからすれば、藤田も関係していたとも考えらえる。藤田は『日本近代文学大事典』の人名索引に見出せるが、立項されていないので、それらをたどってみる。藤田は近代文学研究者の塩田良平の東京帝大国文科の同窓で、改造社の昭和八年一月号の『短歌研究』の付録「日本歌人人名辞典」の編者のようなので、和歌や短歌の研究者であり、その実績を通じて浦和高校教授に就任したのだろう。

近代出版史探索V

 そうした藤田、及び「編輯者代表」と検印のことを考えてみると、『日本精神文化大系』第二巻の「大和時代篇」の『万葉集』解題は藤田の手になるものかもしれない。だがもう一人の編輯の日大教授とある森本治吉のほうは『日本近代文学大事典』に立項され、彼も塩田や藤田と同窓で、記紀歌謡や『万葉集』に造詣が深く、それらの研究も多いとされている。とすれば、「大和時代篇」の「解題」は森本のほうがふさわしいようにも見える。

 もちろんこのような大冊が個人の研究者や編輯者だけで成立するわけではないことは承知しているし、多くの研究者や編輯者たちのコラボレーションの結実ゆえに、単独の研究者名の記載がないことも弁えている。それもあって、全集の明細はどうなっているのか、また藤田の印はこの第二巻だけなのかを確かめられないことは隔靴掻痒の感が生じてしまう。それは時代が少し下ったとはいえ、やはり円本時代の遅れてきた産物だといえば、これもまた前回の『大日本思想全集』などとも共通する色彩である。そこに国民精神文化研究所や助成金出版事情が絡んでいるので、金星堂が発行所=発売所とされていても、出版の経緯と詳細をたどることが困難になっている。

 それにしても、本探索1027の春陽堂の「大日本文庫」、前回の先進社の『大日本思想全集』と同じく昭和十年前後に、このような「日本」をタイトルに付した全集類が相次いで文芸書版元から出されていったのは、支那事変を前にしての時代の風潮、トレンドであったのだろう。


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