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古本夜話1145 四六書院「通叢書」と河原万吉『猥談奇考』

 前回、『三省堂書店百年史』に何の説明もないけれど、四六書院「通叢書」の河原万吉『古書通』の書影が掲載されていることを既述しておいた。

 f:id:OdaMitsuo:20210410162333j:plain:h120(『古書通』)f:id:OdaMitsuo:20210410151615j:plain:h120 (『西洋音楽通』) 

 この「通叢書」は昭和四年十二月に、現代人における趣味の欠乏が問題なので、「楽しみの少ない、現代人の退屈な心臓をまぎらはせやうとして」という「発刊の言葉」のもとに出されていった。それは『全集叢書総覧新訂版』によれば、最終的に四十六冊に及んでいるようだが、古本屋でもあまり目にすることがなく、私にしても『古書通』と『西洋音楽通』の二冊しか入手していない。

全集叢書総覧 (1983年)

 前回もふれたように、この「通叢書」企画にしても、四六書院で『犯罪公論』を創刊した、『近代出版史探索Ⅲ』453や『近代出版史探索Ⅳ』648の田中直樹によるものであり、その著者たちも彼の近傍にいたのではないだろうか。とりわけ『古書通』の河原万吉は最も親しい一人だったように思われる。だが長年にわたって河原に注視してきたが、そのプロフィルは詳らかでなく、ようやく『近代出版史探索Ⅱ』217の万有文庫との関係、及びゾラ『居酒屋』の翻訳者という一編を書いているにすぎない。

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 ただその後、河原の『猥談奇考』(潮文閣、昭和三年)、『珍籍燭談』(古書研究会、同八年)を入手しているので、もう一編書いてみたい。『猥談奇考』は万有文庫刊行会=潮文閣の刊行で、この出版社と発行者の高島政衛のこともよくわからないけれど、印刷者も兼ねていて、その住所、印刷所、発行所は小石川区大塚と共通している。そのことによって推測されるのは万有文庫にしても、河原の著書にしても、印刷者の高橋が経済的スポンサーであったように見受けられる。それは奥付のところに「河原万吉検印」なる判が押されていることに象徴されていよう。

f:id:OdaMitsuo:20210412102712j:plain:h120  f:id:OdaMitsuo:20210412113009j:plain:h120(『珍籍燭談』)

 『珍籍燭談』はその「序「で『古書通』の続編的な意味のことを述べている。その発行人樫野政一の住所は淀橋区戸塚町、発行所の古書研究会も同じだが、印刷所は異なり、また河原の検印も押されていない。「参百部限定」と定価一円八十銭もちぐはぐに見えるし、やはり『猥談奇考』に言及しておくべきだろう。それにタイトルや内容からして、拙稿「宮武外骨と円本時代」(『古本探究』所収)や『近代出版史探索』45の外骨の影響を受けているのかもしれない。

 河原は『猥談奇考』において、このような一書の序としては異例の「只自己を語る」という一文を巻頭に置いている。それは定かでなかった河原の出自とプロフィルをまさに「語る」もので、私がここで引かなければ、これからも読む機会が得られないのではないかと案じられる。そこで全文を示してみる。

 亡父若冠既に身を当時の社会運動に投じて東奔西走、為に家席に温まることなく、当時の急進派頭目たりし篤介中江兆民の知遇を受けたりき。祖父怒りて之を斬りて共に死すべしと面叱せしは亡父不惑の時なりしと云ふ。祖父性強剛、我彼処に行き着くべしと決意して家を出ずれば、途、深雪強風、凍傷裂潰して足指二三墜つるも意に介する事なかりしと云ふは、足指ことごとく半を残せしのみなりしに徴するもその真なりし事疑ふべからず。母の一兄は狂を発して座敷牢中に憤死せしあり、その孫と生れ子と生れし我、何ぞ父祖の性を恥しめんや。この世に生を享けて三十一年、野人遂に礼を知ること能はず、天邪鬼を恥ぢず、茲に猥談奇考の一巻を世に贈る、亦所以なきにあらずと云ふ可し。
 我れ若干の精神的推移を経て、マツクス・ステイネルを知りしは七年の昔なりしと覚ゆ。その主著の「自我と其所有」は愛読措く能はざるもの。我れは只我性にして汝にあらず彼にあらず、只一個の我れ自身のみ、我が好むところに従ふて物せしもの即ち此の一巻なり。我以外の物に一得一失は免るべからず、猥談亦それ自身の値もとより有りて存す、されば敢てこれを弁護すべき必要も認めざるなり。諸君子以て卑陋なりと云はば言ふべし、嘲笑の一線を越えて悪罵面責せんと欲せば宜しく熱責すべし。我れは只我が性の趣くがまゝに飄々乎として行かんのみ。
 序に代へて自ら語る事件の如し。

 このように「事件の如し」として語られた「序」によって、河原が明治三十年頃の生まれと推測される。祖父は「性強剛」、父は中江兆民のもとで自由民権運動に従い、伯父は「狂を発して座敷牢中に憤死せし」との家系で、「世に生を享けて三十一年、野人遂に礼を知ること能はず」との自らの生が述べられている。それにさらに影響を及ぼしたのはステイネル『自我と其所有』で、この『猥談奇考』の出版も「天邪鬼を恥ぢず」世に贈るし、「我れは只我が性の趣くがまゝに飄々乎として行かんのみ」と語られているのだ。

 そして百五十四の「猥談」が引用列挙されていくのだが、その十四「トボスといふ俗語」によって、サブタイトルの「とほす」の意味が「交合」だとわかる。それらは本探索でずっと取り上げてきた明治末期から昭和円本時代にかけて出版された古典籍類が出典である。それにステイネルを考えれば、これは大正十年の辻潤訳『自我経』(冬夏社、改造社)と見なしていい。

f:id:OdaMitsuo:20210412144137p:plain:h120(『自我経』、冬夏社)

 このように『猥談奇考』をたどってみると、河原が明治末から昭和円本時代の出版に寄り添うようにして、読者から著者、翻訳者へと推移していった事実が浮かび上がってくる。それは田中直樹とも共通しているように思えるし、おそらく出版者の高橋政衛にしても同様だったのではないだろうか。

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