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古本夜話1146 河原万吉訳、スエデンボルグ『天界と地獄』

 前回の河原万吉がゾラ『居酒屋』の訳者であることを既述したが、その他にも思いがけない翻訳が見出される。それは拙稿「スウェーデンボルグ『天界と地獄』と静思社」(『古本屋散策』所収)、やはり『近代出版史探索Ⅱ』247の鈴木大拙訳『天界と地獄』と異なるものだが、河原によって同じ邦訳タイトルで、これも昭和五年に、『近代出版史探索Ⅲ』529の新生堂から刊行されている。同書は島崎博、三島瑤子共編『定本三島由紀夫書誌』(薔薇十字社)において、三島の蔵書だったとわかる。

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 新生堂は洛陽堂の河本亀之助の弟の哲夫が関東大震災後に立ち上げたキリスト教専門出版社である。その新生堂と『古書通』『猥談奇考』の河原の組み合わせは意外に思われるかもしれないが、新生堂の前身は神田神保町の古本屋だったことから、河原との交流も生じたとも考えられる。あるいはまたその「序」で謝辞をしたためている佐藤吉衛が奥付に印刷者として名前を連ねているので、彼を通じて『天界と地獄』の翻訳出版へとつながっていったのかもしれない。

 f:id:OdaMitsuo:20210410162333j:plain:h120(『古書通』)f:id:OdaMitsuo:20210412102712j:plain:h120

 大拙訳『天界と地獄』は明治四十一年刊行で、それは同時代におけるスエデンボルグの復権、及び『近代出版史探索』101などの英国心霊研究会などの活動と通底しているはずだ。だが河原による翻訳はそれから二十年後であり、そのスエデンボルグ受容は大拙の宗教的位相と異なり、文学的な系譜のうちにあると思われる。ここではそれをたどってみたい。その前に新生堂版に関してふれておけば、四六判上製三一〇ページの一冊で、明らかに抄訳だとわかる。それに原書の記載もないので、それ自体が英語抄訳だったと考えらえるし、河原が関係していた「万有文庫」の原書にしても、そうしたシリーズで、そこに『天界と地獄』も収録されていたのかもしれない。

 (鈴木大拙訳)

 河原はその「序」の「スエーデンボルグに就いて」において、スエーデンボルグ(以下二重表記)の生涯とその著作群を簡略にたどった後で、自らの出会いについて語っている。それはまず『近代出版史探索Ⅳ』781の辻潤訳のロンブロゾオ『天才論』での「スエーデンバルクは、終日天界の整理と話をしたと信じた」というわずか数行の言及に始まっていた。その次は本探索1018などの岩野泡鳴の『悲痛の哲理』(隆文館図書)で、「あらゆる人物を罵倒せねば止まぬ和製ドン・キホーテが、スエーデンボルグに対して些かその態度を異にして居た」ことによっている。

 f:id:OdaMitsuo:20210413173628j:plain(隆文館図書)

 泡鳴とスエデンボルグの組み合わせは奇異でもあり、本探索1019の国民図書『泡鳴全集』を繰ってみた。すると第十五巻にその『悲痛の哲理』を見つけたのだが、同巻には『半獣主義』(『神秘的半獣主義』左久良書房、明治三十九年)も収録され、何とその一章は「神秘家スエデンボルグ」と題されていたのだ。『悲痛の哲理』の発表は明治四十三年なので、『半獣主義』のほうが早く、また大拙訳『天界と地獄』よりも先行していたことになる。泡鳴の「神秘家スエデンボルグ」によれば、スエデンボルグを知ったのはエマーソン経由だったようだ。
 
f:id:OdaMitsuo:20200410112527j:plain:h120(『泡鳴全集』)f:id:OdaMitsuo:20210413175138j:plain:h120(『神秘的半獣主義』、左久良書房)

 泡鳴は京橋の大きな貸本屋でエマーソンのRepresentative men を見つけた。その貸本屋は後に代議士となった綾井某の経営で、代議士論だと思って借りたけれど、難しくてよくわからず、返してしまった。だがそのことがきっかけとなってエマーソンを読み始め、そこにスエデンボルグも取り上げられていたので、泡鳴は『半獣主義』において、エマーソン、メーテルリンクとともに言及していくことになったのである。なおエマーソンのこの著書は平田禿木訳『代表偉人論』として、大正六年に本探索1134などの国民文庫刊行会の「大成近代名著文庫」に収録されたようだが、こちらは未見である。

 少しばかり脇道にそれてしまったが、続けて河原が挙げているのはウィリアム・ブレイク、ストリンドベリ、ブラウニング、またさらにポーやボードレールにまで及ぶ。ポーに対するスエデンボルグの影響は畏友西谷勢之介の教示と得たとされる。河原は明治後半から大正にかけてのこれらの洋書の流入、近代文学とスエデンボルグの関係、詩人たちの翻訳の動向に寄り添っていたことがうかがわれる。

 河原の近傍にあったと思われる西谷勢之介はここで初めて目にしたが、『日本近代文学大事典』に立項されている。明治三十年生まれの詩人で、大阪などで新聞記者生活を続け、そのかたわらでブレイクなどの影響を受けた詩を書き、昭和三年の『虚無を行く』(啓明社)で野口米次郎に認められ、それ以後、彼に師事したとされる。野口に関しては本探索1131でふれたばかりだし、啓明社といえば、『近代出版史探索Ⅳ』881のフロイト『トーテムとタブー』の版元で、河原や西谷を含めた昭和円本時代の出版環境を彷彿とさせるし、それには新生堂だけでなく、当時の宗教的状況も連鎖していたようにも思われる。河原は次のように述べてもいる。

f:id:OdaMitsuo:20210413215946j:plain:h120(『虚無を行く』)

 訳者は、本来クリスト教とそれ程密接に結びつけられては居らない。寧ろ一般人からは邪教とさへ非難されてゐる一宗教の信徒、貧しき信徒である。併しあらゆる宗教は私の関心を捉へる。出来得る限りにひろきに亙つて探究する事の必要からばかりでなく、云ひ難い親しみを私は前後七年間に亙つてこの神秘家に対して感じて来、読み得る限りその著書に親しんで来たのであるが、いざ邦語に移植するとなると、今更に自分の語彙の乏しさを痛感せざるを得なかつた。(中略)
 これは抄訳である。この事に些かの不満はあるとしても、兎に角長い間望んで来た本書の紹介を出来るのは嬉しい。猶訳者は、出来得るならば彼の主著「アルカナ・コイレスティア」を紹介したいと思つて居る。これが全訳となれば、恐らく八年十年を必要とするであらう。

 ここに河原の謎がもうひとつ加わった。その「邪教とさへ非難されてゐる一宗教」とは何か。それとスエデンボルグの関係はどのようにリンクしているのか。「アルカナ・コイレスティア」の全訳の試みはなされたのであろうか。「古書」と「猥談」の向こうには、そのような河原のもうひとつの相貌が潜んでいることになろう。


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