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古本夜話1147 啓文社、河原万吉『趣味の古書通話』、水原堯榮『女性と高野山』『邪教立川流の研究』

 河原万吉の本がもう一冊出てきたこともあり、前回の彼の宗教と絡めて、もう一編書いてみよう。

 それは『趣味の古書通話』で、昭和十二年、発行者を生地優吾とする、本郷区元町の啓文社からの刊行である。河原の「序」によれば、同書は古書に関する四冊目の著書で、六年前の『古書通』に続くものとされる。前著が四六書院の「通叢書」の一冊だったことから、内容の制約を受け、書くべきことの半分にも満たなかった、その不完全さに対して、先輩や読者から批判され、それを補うために六年かかってしまったという。

f:id:OdaMitsuo:20210415104041j:plain:h120 f:id:OdaMitsuo:20210410162333j:plain:h120(『古書通』)

 確かに『古書通』と異なり、三編五〇三ページからなるこの一冊は第二編として古典とその出版史、第三編として江戸時代の軟文古書、「付録」として古写本などにも及び、河原がいうように「相当広汎な範囲にわたつてゐる」。それにタイトルの『趣味の古書通話』からして、前著『古書通』の大幅な増補改訂版と見なすこともできる。

 それゆえに本探索1079の水谷不倒『明治大正古書価の研究』『近代出版史探索Ⅲ』420の三村竹清『本之話』などに通じる印象を受けるし、実際に二人の名前も挙がっている。この二人はまさに「古書通」でもあり、意外ではないけれど、第二編の「高野版に就て」において、水原堯榮師の『高野板之研究』が出てきたことには少しばかり驚いてしまった。この章において、「高野山は云ふまでもなく、弘法大師の開山に係る密教の大道場である」と始まっているが、この章自体が水原の著書によっているように思われる。

近代出版史探索III

 『高野板之研究』は未見だが、水原の著書は二冊入手していて、『邪教立川流の研究』『女性と高野山』である。前著は大正十二年に京都の全正舎書籍部から出された第三版で、奥付裏の広告から、全正舎は高野山出入りの印刷物などの納入業者として、写真帖、絵葉書、寄付帖、過去帳、諸仏画、京表具などを扱い、書籍部として蓮生観善僧正『弘法大師御伝記』、井上康文『童話弘法大師』といった高野山各寺の採用販売本を出版していたとわかる。

f:id:OdaMitsuo:20210416204853j:plain:h120 (八幡書店復刻)

 水原は口絵や写真で、「五輪男女対向之図」、京都大学文学部蔵「西蔵の陰陽仏」、石山寺蔵「理趣教釈文」を示した後の「序にかへて」で、「密教に包含された、立川流は人間性の研究によつて人生の最勝楽を体験し、以て無味乾燥枯木にひとしき浮世に、荘厳されたる現実生活の楽園をば如実に味はんとして生れたる教説である」として、次のようにいっている。

 立川流の根本精神は人間在るがまゝの性欲を浄めて、生活の芸術化、人間の霊化をなすにあると思惟されるが、而も事実、立川流の文書記録を調べて見ると、随分迷信的な愚にもつかぬやうな作法を一大事のやうに書いて居るのは否定することが出来ぬ。立川流の宗教としての価値は未だ決定することが出来ぬものである。問題は随分多く残つてゐるのである。立川流を生命の宗教として大成するには偉大な聖哲が生じなければならぬと信ずる。私の此の一小冊子は、立川流の片鱗を研究したものに過ぎない。

 そして本文に入り、『宝鑑鈔』などにより、立川流は八百年前に任寛を開祖とし、真言秘法を駆使して発生した。その経典は「瑜祗経」「理趣経」「宝篋印経」、それに「菩提心論」という三部一論で、これらを根幹として、巻末輯録の「立川流聖教目録類蒐」が編まれていくことになる。それは龍光院四代目の源照によって、女人禁制の高野山にも入り、ここに実質的に女人禁制は解かれていくことになる。

 その女人禁制の問題をテーマとしたのが『女性と高野山』で、こちらは大正十三年に高野山の小堀南岳堂から刊行されている。その奥付表記によって、号を白蘋(はくびん)と称する水原が高野山親王院の住職らしいとわかる。同書には「女人禁制」が解かれた以降の高野山は世界的舞台面に登場したとして、『近代出版史探索Ⅳ』653のゴルドン夫人による「ネストリアンモユーメント(太秦流行中国景教碑)の模造碑」建立を挙げている。それは「自覚ある女性」によって「高野山の光彩」となったとされる。

 内容に関してはこのひとつだけを示しておくが、より重要なのは奥付に示された発売所の啓文社書店という表記である。住所は東京市本郷元町で、『趣味の古書通話』の版元なのだ。高野山の小堀南岳堂は発行所であって、流通と発売は啓文社に委ねられていたことになる。もちろん『女性と高野山』と『趣味の古書通話』の出版のタイムラグは十年以上あるけれど、水原、河原、啓文社の関係は続いていたように思われる。この景教碑こそはまさに『近代出版史探索Ⅳ』の表紙カバー写真に他ならない。

近代出版史探索IV

 そうした視座から考えるならば、河原が前回のスエデンボルグ『天界と地獄』でもらしていた「邪教とさへ非難されてゐる一宗教の信徒」という告白は、立川流をさしているのではないだろうか。つまり高野山の住職の水原、東京の出版社の啓文社、『古書通』の著者の河原は邪教の立川流を介在させ、リンクしていたと推測されるのである。


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