出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1149 茅野蕭々『独逸浪漫主義』

 前回の 近藤春雄『ナチスの青年運動』のような時宜にかなったナチズム書ばかりでなく、昭和十年代には多くのドイツ文学、思想書も出版されていたはずだが、それらの全貌は明らかにされていない。フランス文学に関しては『近代出版史探索Ⅴ』で多く言及しているけれど、これからすこしずつ拾っていきたいと思う。

f:id:OdaMitsuo:20210415231750j:plain:h115

 あらためてそれらのことに留意させられたのは、拙稿「『ノヴァ―リス全集』と戦前の翻訳」(「本を読む」60、論創社HP)でふれておいたが、その牧神社版全集が戦前の翻訳をベースにして編まれている事実によっている。また拙稿に関連して、高橋巖の『ヨーロッパの闇と光』(イザラ書房)を再読した。そこでは彼が影響を受けた戦前のドイツ神秘主義の著作と翻訳として、茅野蕭々の『独逸浪漫主義』とベルトラムの『ニーチェ』(浅井真男訳)が挙げられていることにあらためて気づいたからでもある。実はこの二冊はたまたま入手していたのである。

ヨーロッパの闇と光 (1977年) 獨逸浪漫主義(『独逸浪漫主義』)f:id:OdaMitsuo:20210517223304j:plain:h120

 ただ前者は高橋が読んだものと同じなのかわからないが、三省堂の昭和十七年改訂版、後者は筑摩書房のやはり同年再版であるが、ここでは三省堂の続きとして、『独逸浪漫主義』に言及してみる。この一冊は戦時下における日本浪曼派の成立やドイツ神秘主義の奥深い浸透にも寄与したように思われる。また茅野にしても、現在は忘れ去られたドイツ文学者と見なせようが、戦前は明星派歌人、及びゲーテの『若いヱルテルの悩み』(岩波文庫)の翻訳や『ゲョエテ研究』(第一書房)などで知られた慶応大学教授であった。実際に『独逸浪漫主義』はその講義草稿に基づいている。

f:id:OdaMitsuo:20210420103107j:plain:h125(『ゲョエテ研究』)

 茅野の『独逸浪漫主義』は次のようにラフスケッチができる。ドイルロマン主義の淵源はネオプラトニズムの系譜を引くジョルダーノ・ブルーノとヤコブ・ベーメに見出され、十八世紀後半の古典主義やシュトゥルム・ドラング時代と併走するようなかたちで、十九世紀前半にかけてロマン主義運動が起きていく。その発想者にして唱道者だったのはシュレーゲル兄弟で、機関誌『アテネウム』を創刊し、それに『青い花』『夜の讃歌』などのノヴァーリス、ドイツ中世美術を発見したヴァッケンローダー、『長靴をはいた牡猫』のティークが続いた。

青い花 (岩波文庫)  夜の讃歌・サイスの弟子たち 他一篇 (岩波文庫)  長靴をはいた牡猫 (岩波文庫 赤 443-1) (『長靴をはいた牡猫』)

 そのロマン主義の奥深い特質は、人間が地上の存在以上に達する天賦の運命を授けられているという直観で、それが自我の絶対自由の肯定などにつながる。つまりいってみれば、時間と空間とに束縛されている無限の精神をその束縛から解放し、絶対無限なものを把握しようとする意識であり、その有限から無限への苦しい憧憬をしずめるものは愛に他ならないのである。その愛とはロマン的な精神相愛、宗教愛に限られず、男女の愛にも及んでいく。それこそはノヴァーリスの作品が体現したものであった。

茅野はそうした前期ロマン派に関して、ロマン的古典派のウウラントの言を引いている。それは「この我々の最も深い心持が形象の中に神秘的に現はれること、この世界精神の出現、この神の人間化、一言で言へば観照の中に無限を予感すること、これが即ち浪漫的である」との言葉だ。

 またフリードリヒ・シュレーゲルのロマン主義に関する定義も引かれている。これは日本浪曼派にも引き継がれたもののようにも思われるので、示してみる。

 浪漫的文学は叙事詩のやうに、周囲の全世界の鏡、時代の絵となり得る。しかしまた最も多く叙述されたものと叙述する者との中間に、あらゆる真実な関心及び観念上の関心から解放されて、詩的反省(レフレクシオオン)の翼に乗つて浮き漂ふことが出来る。そしてこの反省を繰返し自乗し、鏡の無限の併行に於けるやうに倍加し得るのである。‥‥‥浪漫的文学はなほ生成しつつある。実際、永遠にただ生成して、決して完成され得ないところに、この文学本来の本質がある。これは如何なる理論によつても言ひ尽されることは出来ない。ただ予言的批評のみがその理性を特性づけんと欲することを敢てし得るであらう。この文学のみが無限であり又自由である。そしてその第一の法則として認めることは、詩人の我意は何等の法則にも束縛されないことである。‥‥‥

 茅野はここに「所謂浪漫的イロニイ発生の源泉」を見ている。

 『独逸浪漫主義』の初版は昭和十一年に出されている。太宰治たちの同人雑誌『青い花』創刊は同九年、これは一冊だけ出されているだけで、同十年に本探索1006の武蔵野書院から創刊された保田与重郎たちの『日本浪漫派』へと合流していくことになる。そのような動向と併走するようにして、茅野の『独逸浪漫主義』は刊行されたのであり、そこに何らかの「イロニイ」がこめられていたように思われる。

f:id:OdaMitsuo:20210420135745j:plain:h120

 その初版には「付録」の章があったとされるが、改訂版では省かれている。高橋が読んだのは初版のほうだと推測されるので、美術図版のことも含めて、いずれ確認してみたい。


ronso.co.jp

 [関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら