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古本夜話1150 三笠書房『ホフマン全集』と『黄金の壺』

 茅野蕭々の『独逸浪漫主義』は昭和十年代において、最もまとまったドイツロマン派に関する紹介と研究を兼ねた一冊だったと思われる。しかも丁寧な索引も付され、作家と作品をたどる便宜もはかられている。

 獨逸浪漫主義(『独逸浪漫主義』)

 例えば、小説のところで、ノヴァーリスの『青い花』に続いて、アイヒェンドルフの『やくざ者』とホフマンの『黄金の壺』が対比されている。そこで三人を索引で引くと、ノヴァーリスは『青い花』など九作品、アイヒェンドルフは『やくざ者』を含めて十一作、ホフマンは『黄金の壺』を始めとして十四作が挙げられ、それらがドイツロマン派の主な作品にあたることを教えられる。だがどうしてなのか、残念なことに邦訳書誌事情はまったく掲載されておらず、これらの作品の昭和十年代までの邦訳の有無は伝えられていない。

 ノヴァーリスの場合は前回挙げた拙稿「『ノヴァーリス全集』と戦前の翻訳」で示したとおりだ。そこでアイヒェンドルフを『明治・大正・昭和翻訳文学目録』や岡田朝雄他『ドイツ文学案内』(朝日出版社)で確認してみると、『やくざ者』は『なまけもの』(坂田霧山人訳、博文館、明治二十七年)、『愉しき放浪児』(関泰祐訳、岩波文庫、昭和十三年)として翻訳されているとわかる。後者は『独逸浪漫主義』初版刊行の二年後に出されているので、何らかの関連もうかがえよう。

f:id:OdaMitsuo:20210429111205j:plain:h120 ドイツ文学案内 (世界文学シリーズ) 愉しき放浪児 (岩波文庫)(『愉しき放浪児』)

 それはホフマンの場合にもいえることで、『独逸浪漫主義』初版刊行の昭和十一年七月にやや遅れてだが、その十月と十二月に三笠書房から『ホフマン全集』第四巻と第二巻が刊行され、後者に『黄金の壺』は見出せる。かつて拙稿「ポオ『タル博士とフエザア教授の治療法』、南宋書院、涌島義博」(『古本屋散策』所収)で、南宋書院の石川道雄訳『黄金宝壺』(昭和二年、後に岩波文庫)を挙げておいたが、こちらは吉田豊吉、藤原肇共訳である。

 f:id:OdaMitsuo:20210429113126j:plain:h120(『黄金宝壺』、岩波文庫)

 この『黄金の壺』は『カロー風の幻想作品集』全四巻に収録された中編小説で、このような総タイトルは、ホフマンが愛したフランスの銅板画家ジャック・カローの幻想的な画風にちなんでつけられている。それゆえに夢幻的、ロマン的でありながらも幻想怪奇的作品が多く、『黄金の壺』はその代表作ともいえよう。ただ主人公のアンゼルムスの幻覚とともに展開されていくこの物語は、解釈と要約によっては異なるものになってしまうかもしれないので、訳者が自ら先に付している一文を引くべきであろう。これはホフマンがドレースデンに移って書いた「近代童話」だとして、次のように続けている。

 童話とは云ひ条、ここでは中世も要らぬ、円光も要らぬ、城砦や礼拝堂のセットも要らぬ唯当代繁栄のドレースデン市とその郊外の雑沓の間に、而も白昼の陽光の中に夢の国を出現させるのである。尤もその裏には王室記録掛リントホルスト、実は火精の王ザラマルデルであるとか、伝説の国アトランチス等があり、我々と壁一重の外に妖精の生活が押迫つてゐるのである。さて清純な大学生アンゼルムスは此世では、呪はれて緑金色の蛇になつてゐるセルペンチーナ姫に恋をし、信と愛とに精進の結果、憧憬の詩の国を覗くことになるが、之はパウルマン一家や書記等の俗人には遂に見えない世界である。結局小蛇の呪は解かれ、大学生の恋は遂げられるのであるが、姫の嫁入支度の黄金の壺は、浪漫文学の象徴「青い花」の異身と見るべく、但し壺からは青色ならぬ黄紅の火百合が咲き出るのである。この宇宙神話的の一篇の童話にはシエリングの自然哲学、即ち個に対する全一の調和の世界が経となり作者のユリア・マルクに対する果敢ない恋の体験が緯となつて織られてゐる。之は主人公アンゼルムスの名が実は此ユリアの誕辰三月十八日の暦の聖者の名である所からも首肯かれる。(後略)

 ユリア・マルクとはホフマンが声楽を教えていた美少女で、その天成の美声は彼の幻想の中での恋を燃え上がらせたが、彼女が富裕な商人と結婚したことによって、彼を絶望に追いやるのである。その体験を通じて、ホフマンは憑かれたように小説を書き始めたとされる。

 この三笠書房の『ホフマン全集』は訳者として第二巻が八人、第四巻は六人で、舟木重信、相良守峯などのドイツ文学者が顔を揃え、奥付の検印のところに「ホフマン全集委員会」とある。そのことからも推測できるように、巻数は不明だけれど、彼らが三笠書房に自らを訳者として『ホフマン全集』の企画を持ちこみ、刊行したものの、売れ行きがよくなく、二冊目の第四巻を出しただけで中絶してしまったと思われる。

 私はすでに『近代出版史探索』95で、改造社の『ポー・ホフマン集』(『世界大衆文学全集』30)にふれているが、この巻のホフマンは付け足しのような紹介だったこともあり、一部の愛読者はいたかもしれないが、まだ全集として読まれる作家ではなかったと考えらえる。私にしても、『ホフマン全集』は昭和四十年代後半に出された創土社のもえぎ色の鮮やかな函入の印象が強く、この二冊を古書目録で見つけるまでは戦前における『ホフマン全集』の存在を知らずにいた。そのことを考えると、三笠書房版は三十年以上早かったことになろう。

f:id:OdaMitsuo:20210429150832j:plain:h110(『ポー・ホフマン集』)f:id:OdaMitsuo:20210429151720j:plain:h105(創土社版)

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