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古本夜話1153 『ハウプトマン名作選集』と『寂しき人々』

 前々回の「独逸文学叢書」に収録予定だったハウプトマン『ソアーナの異教徒』(奥津彦重訳)は、昭和三年に岩波文庫として刊行された。この特異な小説に言及するつもりでいたが、その岩波文庫が紛れてしまい、出てこないので、代わりに『ハウプトマン名作選集』を取り上げることにしたい。

ソアーナの異教徒―附・線路番ティール (1956年) (岩波文庫) (『ソアーナの異教徒』) f:id:OdaMitsuo:20210514105617j:plain:h120 (『ハウプトマン名作選集』)

 前回のストリンドベルクもそうだったけれど、大正時代からハウプトマンも作家、戯曲家として多くの作品が紹介され、ドイツ文学のひとつのトレンドを表象していたと思われる。ただ私の場合、ハウプトマンを意識したのは、明治四十年に『近代出版史探索』179の春陽堂の『新小説』に発表された田山花袋の『蒲団』においてだった。主人公の竹中時雄は若くて美しい女弟子の芳子のハイカラな容姿と「かおり」に魅せられ、懸想し、次のように考える。

 ふとどういう連想か、ハウプトマンの「寂しき人々」を思い出した。こうならぬ前に、この戯曲をかの女の日課として教えてやろうかと思ったことがあった。ヨハンネス・フォケラートの心事と悲哀とを教えてやりたかった。この戯曲を彼が読んだのは今から三年以前、まだかの女のこの世にあることをも夢にも知らなかったころであったが、そのころからかれは淋しい人であった。あえてヨハンネスにその身を比そうとはしなかったが、アンナのような女がもしあったなら、そういう悲劇に陥るのは当然だとしみじみ同情した。今やそのヨハンネスにさえなれぬ身だと思って長嘆した。

 『ソアーナの異教徒』はそうではないけれど、この『寂しき人々』などの五作が村上静人訳編として『ハウプトマン名作選集』に収録されているので、そのシノプシスを紹介しよう。ただこれは訳編とあるように、五幕からなる戯曲を小説へとアレンジしたものであることを先に断わっておく。なお戯曲としては『近代出版史探索Ⅲ』549の『近代劇大系』5に楠山正雄訳、『近代出版史探索Ⅴ』827の新潮社『世界文学全集』31に成瀬無極訳が収録されている。
 
f:id:OdaMitsuo:20210514115258j:plain:h120(新潮社版)

 『寂しき人々』の主人公のヨハンネスは大学時代に『近代出版史探索』153のヘッケルに師事した研究者で、卒業後も一大論文に没頭していたが、おとなしいだけがとりえの無教養な妻のケエテや信心深い両親の無理解に絶えず神経を苛立たせていた。そのような中で子供が生まれてもいた。そこに偶然訪れてきたのは知的な女学生アンナで、激しく愛し合うようになる。それでもアンナは彼の家庭の安息のために身を引き、去っていくのだが、ヨハンネスは妻と生まれて間もない子供を残し、自殺してしまうのである。

 このようなストーリーゆえに、『蒲団』で時雄が、「さすがに『寂しき人々』をかの女に教えなかった」と述べていることを了承する。つまり花袋の妻との実生活があり、そこに『寂しき人々』のヨハンネスとケエテの物語が重なり、さらにアンナならぬ芳子が出現することによって、『蒲団』という自己の体験を告白する自然主義としての所謂「私小説」が成立したことになろう。この「私小説」の虚構性や自然主義と「告白」には『近代出版史探索Ⅱ』で言及しているし、『蒲団』に対する当時の文壇の騒然たる反響には立ち入らないが、『東京の三十年』(博文館、大正六年)において、『蒲団』の「告白」という方法は世間と自己に対する戦いだったと回想している。また同じく自分がヨハンネスで、岡田美知代=加代をアンナに擬していることにもふれている。

 それらのことはともかく、『蒲団』に述べられているように、まだ『寂しき人々』は邦訳は出されておらず、主人公の時雄が英訳で読んでいるという設定だから、特定できないけれど、花袋もまた英訳によっていたはずだ。ところでずっと挙げてきた村上静人訳編『ハウプトマン名作選集』にしても、英訳に基づいていると思われるので、それにも言及しておくべきだろう。手元にあるのは裸本だが、菊半截判五二四ページの一冊で、発行所を世界文豪名作選集刊行会、発売元を上田屋として、大正十一年に出されている。奥付表記によれば、『同選集』第四巻、第参版だが、『全集叢書総覧新訂版』にも見えていないことから、この第四巻以降、何冊出されたのかは不明である。

 そこで注視すべきは奥付の二人の発行者で、彼らは並記され、一人は浅草区西三筋街の松木玉之助、もう一人は東京市外尾久の坂東恭吾となっている。松木は『近代出版史探索Ⅱ』286で既述しているが、博文館出身で特価本業界に入り、マツキ書店を創業し、これが戦後の金園社の前身である。また松木は同209の金鈴社として、矢野文夫訳『悪の華』を出版しているし、その住所は同選集刊行会と同じだ。坂東はやはり同261や283などで取り上げているように、特価本業界の寅さんというべき立役者で、発売元の浅草蔵前の上田屋は、彼を通じて博文館の月遅れ雑誌を手がけていた。

f:id:OdaMitsuo:20210515160243j:plain:h120(金鈴社版)

 この上田屋という屋号は若干の補足を加えておくべきだろう。これは拙稿「明治二十年代の出版流通」(『古本屋散策』所収)でふれておいたが、明治半ばには地本問屋系の取次書店の上田屋があり、また近代取次としての上田屋も立ち上がっていた。後者の上田屋が島崎藤村の自費出版『破戒』の版元となり、そこに勤めていたのが小酒井五一郎で、後に研究社を興すことは本探索1011で既述しておいたとおりだ。

 ややこしいことに同じ屋号であっても、『ハウプトマン名作選集』の発売元の上田屋は、先のふたつの上田屋と異なり、浅草蔵前新旅籠町を住所としている。この三番目の上田屋は坂東が入った頃、博文館の紙屑屋だった。明治末期に坂東が博文館の了承を得て、月遅れのつぶし雑誌を縁日で売ったところ、たちまち売り切れてしまい、坂東と上田屋は月遅れ雑誌の元締めとなっていったのである。

 その松木や坂東が発行者となった『世界文豪名作選集』が譲受出版であることは、そうした事情から明白だが、そのためにはもう一編書かなければならない。


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