前回『ハウプトマン名作選集』が村上静人訳編によることを既述しておいたけれど、村上は『日本近代文学大事典』に立項されておらず、「アカギ叢書」の訳者の一人としての記載を散見するだけである。
(『ハウプトマン名作選集』)
それに加えて、「アカギ叢書」は書影を見ているだけで、入手に至っていない。また「アカギ叢書」は文庫でも稀覯本に属するのか、岡崎武志、茂原幸弘編『ニッポン文庫大全』(ダイヤモンド社)でも、全目録の収録はなされていない。それらの事実からしても、入手していないのに書くのは本探索としてイレギュラーだけれど、『ハウプトマン名作選集』は「アカギ叢書」を継承していると思われるので、あえて言及してみる。
だがそれでも出版社の赤城正蔵に関しては『出版人物事典』や『日本近代文学大事典』にも立項を見出せるので、ここでは前者を引いてみる。
[赤城正蔵 あかぎ・しょうぞう] 一八九〇~一九一五(明治二三~大正四)『アカギ叢書』創始者。東京生れ。府中(ママ)一中卒。同文館に入社したが、のち独立。一九一四年(大正三)三月、発行者「東京市麹町区三番町五〇赤城正蔵」として『アカギ叢書』の刊行を始めた。「日本のレクラム、紳士の標準知識、世界学術の叢淵」を掲げ、菊半截判、定価一〇銭で発売、「一〇銭文庫」とも呼ばれた。第一編、イプセン・村上静人訳『人形の家』にはじまり、ドストエフスキー、ダーウィン、モーパッサン、シェークスピアなど世界の名作を収め、約一ヵ年で一〇〇冊余を出版した。文庫本出版に大きな示唆を与え、『岩波文庫』の先駆けともいわれ、わが国出版史に記録される存在である。二六歳で夭折した。
(「アカギ叢書」、『人形の家』)
わずか一年間の出版であったためなのか、イプセンの『人形の家』に始まる村上の翻訳をたどろうとしても、国会図書館編『明治・大正・昭和翻訳文学目録』に「アカギ叢書」と村上は見当たらない。それでも念のために、紅野敏郎『大正期の文芸叢書』を繰ってみると、百冊を超える文庫にもかかわらず、「アカギ叢書」が「発刊の辞」とともに、その百八巻に及ぶ明細も含めて掲載されていたのである。ただ紅野にしても、その全収集は容易でないと述べているし、渡辺宏『アカギ叢書』(「古書豆本」39、日本古書通信社、昭和五十四年)によるところが大きいようだ。
そこで「アカギ叢書」の村上静人訳編をリストアップしてみる。番号はそれに付されていたものである。
1 イプセン | 『人形の家(一名ノラ)』 |
8 ワイルド | 『サロメ』 |
14 トルストイ | 『復活』 |
17 モーパッサン | 『女の一生』 |
18 メエテルリンク | 『モンナ・ワ¨ンナ』 |
23 ストリンドベルヒ | 『父』 |
24 シエイクスピア | 『ハムレット』 |
27 ダンテ | 『神曲』 |
32 イプセン | 『海の夫人』 |
37 トルストイ | 『暗の力』 |
38 イプセン | 『鴨』 |
54 ホフマンスタール | 『エレクトラ』 |
57 ゾラ | 『女優生活』 |
60 ハウプトマン | 『沈鐘』 |
76 シルレル | 『ウィルヘルム・テル』 |
81 ピネロ | 『第二のタンカレイ夫人』 |
97 ホオマア | 『イリアッド』 |
このように村上訳編は十七冊を数え、「アカギ叢書」の訳編者たちの中でも群を抜いて多く、発刊者の赤城と並んで、「アカギ叢書」の中心人物だったと見ていいだろう。これらのリストと『ハウプトマン名作選集』所収の『日の出前』『平和祭』『寂しき人々』『ハンネレの昇天』『沈鐘』を照らし合わせると、このうちの『沈鐘』は「アカギ叢書」の60の再録だと考えられる。また53の『日の出前』は山本有三編とあるが、これも村上編として転載されたのではないだろうか。
それならば、『平和祭』『寂しき人々』『ハンネレの昇天』はどこからの再録、転載なのかという問いが生じてしまう。これは推測するに、赤城の急逝によって、「アカギ叢書」は中絶してしまったけれど、一年間にこれだけ多くが刊行されたことを考えれば、それ以上の訳編が仕上がっていたり、進行中だったと見なせよう。それゆえにこれらの村上訳編のハウプトマンの三作はすでに書き上げられていて、同じような体裁のシリーズとして続刊されていた。しかしそれも長くは続かず、「アカギ叢書」も併せて、『世界文豪名作選集』のようなかたちで、譲受出版として刊行されていったのではないだろうか。
「アカギ叢書」の「発刊の辞」にあるように、「外国語、古代語は、全部通俗にして度に適せる現代語に翻訳す。如何に膨大なる内容をも、妙味を失はざる限り、必ず袖珍百頁にコンデンス」し、「各冊を全部金十銭にて提供す」るとのコンセプトは、特価本業界の作り本のアイテムと共通するものがある。
紅野は堂々とした「発刊の辞」だが、「大学を卒業したての著者に(ママ)、アルバイトがわりの意識で、一挙にあげた」「若干やっつけ仕事の観なきにしもあらず」と述べているが、それこそは特価本業界の造り本の特色だし、「アカギ叢書」を範として、多種多様な造り本が刊行されるようになったと思われてならない。
村上のプロフィルは静岡県の医師の家に生まれ、木下杢太郎と知り合い、明治大学文学部へと進んだようだが、それらの詳細は判明していない。それでも『ハウプトマン名作選集』の奥付訳者住所は浅草区西三筋街とあり、「アカギ叢書」以後の村上が浅草の住民となったことを伝えている。その浅草は本探索1143の金星堂の門野虎三が「浅草畑」とよんでいたように、特価本業界の聖地であり、蔵前には坂東の上田屋を始めとする多くの造り本や赤本出版社があった。村上は「アカギ叢書」に表象される企画とリライト、語学力、編集と抄訳の才を買われ、特価本業界にスカウトされ、『世界文豪名作選集』などの編輯と出版に携わっていたのではないだろうか。だが売れない詩人、作家、翻訳者にとって、特価本業界はアジールだったが、一方で所謂ゲットーでもあり、それゆえにその後の村上の行方が明らかになっていないようにも思われる。
なおその後、14のトルストイ『復活』を入手するに至っている。実物を手にし、あまりに小さくて薄く、古本屋で「アカギ叢書」に出会わなかったことを了承した次第だ。
(『復活』)
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