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古本夜話1160 ハイネ、古賀龍視訳『ハルツの旅』

 金星堂と聚芳閣がリンクする一編を書いておこう。

 大正十四年に聚芳閣からハイネの散文詩集『ハルツの旅』が古賀龍視訳で刊行されている。これはハイネが一八二四年にハルツ地方を旅した際に書かれた、詩も含んだ「散文」旅行記といっていい。詩だけのほうは『歌の本』(井上正蔵訳、岩波文庫)に「ハルツの旅から」の収録がある。本探索1149の茅野蕭々『独逸浪漫主義』では言及されていないけれど、このハイネの二十七歳の旅行記は彼のロマン派としての資質を表出させていて興味深い。

歌の本 (下) (岩波文庫)

 どのシーンを紹介しようか、いささか迷ったのだが、女性に関するイメージ造型、及び自然とのコレスポンダンスを引いてみる。

 私が子供であつた頃には、お伽噺と魔術の話と許りを考へてゐたので、ボンネツトに駝鳥の羽を飾つた美しい女を見ると、それが皆私には小鬼の女王としか思はれなかつた。それで若しスカートの濡れてゐるのを見るやうなことがあると、私が彼女が水中の魔女だと考へた。

 それでいて、ハイネは旅行中に鉱山の奈落のような竪穴と隧道を探査した後、次のような夢を見ている。

 それは深い泉に下りて行つた騎士の古い物語であつた。その泉の下には一番可愛いらしい王女が魔術的な眠りに呪はれて死んだやうになつて横たわつてゐたといふ話である。私がその騎士で、泉はクラウスタールの暗い鉱孔であつた。(後略)

 だがハルツ地方の地上と自然の風景の中には「王の標章」と「救ひ」があり、詩をもたらしてくれる。

 外的な現象世界と内的な感情世界とが融合し調和する時、緑の木々、思想、鳥の声、甘き憂愁、天の碧、記憶、花の香が一緒になつて最も愛らしい唐草模様を織りなす時、感情は無限に幸福なものである。

 それは「夢の中を徘徊するやう」でもある、このような「散文」が彩られた『ハルツの旅』の翻訳は、聚芳閣が最初で、岩波文庫の内藤匡訳『ハルツ紀行』の刊行は昭和九年を待ってのことだった。訳者の古賀に関しては幸いなことに『日本近代文学大事典』に立項を見出せたので、それを示す。

f:id:OdaMitsuo:20210614110205j:plain:h120 (『ハルツ紀行』)

 古賀龍視 こが・たつみ 明治二八・五・一六~昭和七・一一・二八(1895~1932)小説家。福岡県の生れ。早大英文科卒。大正一〇年六月、横光利一、富ノ沢麟太郎らと同人誌「街」を創刊。翌一一年五月には、さらに中山義秀、小島勗らを加えて同人誌「塔」を創刊し、短編『兄』『影』などを発表。横光、川端らの「文芸時代」には寄稿するだけで同人とはならず、大正一四年七月、今東光、金子洋文らと「反動的思想行為に反抗」するとして、同人誌「文党」を創刊、評論、随筆を書いた。

 ここに記されているように、『文芸時代』は金星堂の福岡益雄を編輯兼発行人として、大正十三年に創刊され、また『文党』も金星堂を発売所としていたのである。それゆえにここで金星堂と聚芳閣は結びつく。そしてこの『文党』から梅原北明たちの『文芸市場』が分立していくのだが、それはまた別の話になろう。ここで古賀が英文科出身だとわかるが、『ハルツの旅』には訳者による序文やあとがきも付されていないので、これがドイツ語原書に基づくのではなく、英語からの重訳かもしれないことを付記しておこう。

 それに関連して、これは『ハルツの旅』の巻末広告で初めて「聚芳閣の翻訳書」リストを見た。それらを挙げてみる。

ゴオルキイ 『ワアレンカ・オレソウ』 下村千秋訳
ローレンス 『大尉の人形』 小島徳彌訳
ズウデルマン 『父の罪』 井伏鱒二訳
マツケンヂー 『愛は永遠に』 若山静江訳
エンセン 『世界の始め』 光成信男訳
シンクレア 『赤黒白』 神山宗勲訳
ウエルシユ 『地獄』 林政雄訳
エレンテリイ 『露西亜舞踊』 永田龍雄訳
カアペンタア 『愛と死の戯曲』 宇佐美文蔵訳
チエネエ 『劇場革命』 川添利基訳

f:id:OdaMitsuo:20210614141430j:plain:h115(『赤黒白』)劇場革命 (『劇場革命』)

 井伏が聚芳閣の編集者だったことは知られているが、これらの訳者たちは古賀ではないけれど、大正時代の文芸同人誌の関係者で、下村千秋は『十三人』、井伏鱒二は『世紀』、『文芸都市』、林政雄は『ダムダム』、宇佐美文蔵は『労働文学』、また小島徳彌は大正末から昭和初期の文芸評論家、永田龍雄は舞踏評論家、若山静江や光成信男、神山宗勲は不明だが、やはり同じような文芸環境にあったと推測される。

 これらの出版と翻訳人脈は聚芳閣の創業者足立欽一が劇作家にして、自らの戯曲集『迦留陀夷』『愛闘』『天竺物語』などを刊行していたこと、また徳田秋声に師事し、その『叛逆』や『恋愛放浪』を出版していたことにもよっているのだろう。聚芳閣の営業の実態は定かではないけれど、足立のキャラクターと相俟って、当時としてはまだマイナーな文学者たちが集うアジールであったように思われる。

 なお「神保町系オタオタ日記」に「アナーキスト林政雄につぶされた聚芳閣」があることを付記しておく。

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