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古本夜話1165 籾山書店、自費出版、堀口大学『月光とピエロ』

 近代出版史や文学史において、籾山書店が高浜虚子の俳書堂を引き継ぎ、「胡蝶本」を刊行したことは知られていても、自費出版を手がけていた事実はそれほど周知でないと思われるので、続けて書いておこう。しかもしそれは堀口大学の詩集などで、彼は大正七年に訳詩集『昨日の花』、八年に第一詩集『月光とピエロ』、第一歌集『パンの笛』、九年訳詩集『失はれた宝玉』、十年に詩集『水の面に書きて』の五冊に及んでいる。

f:id:OdaMitsuo:20210702110331j:plain:h115(『月光とピエロ』)f:id:OdaMitsuo:20210702171732j:plain:h120f:id:OdaMitsuo:20210702172047j:plain:h120(『失はれた宝玉』)f:id:OdaMitsuo:20210703141216j:plain:h120(『水の面に書きて』)

 このうちの『月光とピエロ』を古本屋で見つけ、入手している。もちろん初版本ではなく、平成十八年に日本図書センターが「愛蔵版詩集シリーズ」の一冊として復刻したしたものだが、そのままではなく、函入上製の造本、カバーデザインが初版と異なっているようだ。それは長谷川郁夫が『堀口大学』(河出書房新社)で、初版に関して、次のように描いていたことからもわかる。

f:id:OdaMitsuo:20210702173147j:plain:h120月光とヒ゜エロ (愛蔵版詩集シリーズ) (復刻版) 堀口大學----詩は一生の長い道

 「月光とピエロ」「パンの笛」は、いずれも四六判、地アンカット、フランス装の軽快な造本。天と小口に金が施されているのは、当時の詩集装幀の流行だったようだ。カヴァー代りに、書名を印刷したパラフィン紙が掛けられていて、長谷川潔による木版画のカット(木版彫刻は菊池武嗣)が透けて見える。「月光とピエロ」の図案は、ギリシアの壺絵を思わせるような、鏡の形をした丸い植物模様のなかに弦楽器(ギターだろうか)を抱えた女性像(中略)が柔らかなフランス表紙に相応しい優美な印象を与えている。

 この「図案」は日本図書センター版でも生かされ「優美な印象」を味わうことができる。処女出版の『昨日の花』は、堀口自ら長谷川潔の挿画と彫師の手配、印刷や製本の選定も行ない、限定二百部を製作し、発売を籾山書店に託したのである。ところが堀口の『月下の一群』(講談社文芸文庫)の柳沢通博による「年譜」にも示されているように、『昨日の花』刊行後の大正七年八月に、父の九万一が特命全権大使としてブラジルに赴任することになり、堀口もそれに従い、同十二年に帰国するまでの五年間をリオデジャネイロで過ごすことになる。

 月下の一群 (講談社文芸文庫)

 それゆえに大正八年刊行の『月光とピエロ』『パンの笛』の原稿は日夏耿之介に託され、『失はれた宝玉』『水の面に書きて』と同様に、堀口がブラジル滞在中に日本で出版されていたのである。『昨日の花』と同じく、『月光とピエロ』に関して、長谷川潔の装幀と版画、永井荷風の序文は堀口自らが依頼していたようだが、今回は販売だけでなく、製作も籾山書店に委ねられたはずで、まさに自費出版だと見なしていいし、それは続く二冊も同様であろう。

 どうして籾山書店が堀口の自費出版元に選ばれたのかも推測してみる。堀口と佐藤春夫は一高の試験に失敗し、与謝野鉄幹の永井荷風への推輓によって、明治四十三年に慶大文学部予科に入学している。前々回に既述しておいたように、同年に慶大教授に就任した荷風を編集兼発行人として『三田文学』が創刊され、籾山書店がその発売を担っていた。それに籾山書店は「胡蝶本」の文芸書出版社として著名だったろうし、先の「年譜」によれば、堀口は少年時代に内藤鳴雪の俳句に惹かれ、俳書堂/籾山書店の鳴雪『俳句入門』の愛読者で、作句も試みていたのである。これらの事柄をリンクさせれば、堀口が籾山書店を願ってもない自費出版版元だと考えていたことは想像に難くない。

 しかしそれはまだ先の話で、明治四十四年に堀口は慶大を中退し、父の任地のメキシコ、スペインなどで過ごし、大正六年に帰国している。したがって『月光とピエロ』の成立も、翌年八月までの日本での日夏を始めとする詩人環境の中から編まれたと見なすこともできよう。荷風の「序」に見える「南の方ぶらじるの都に去らんとして近き日の吟咏を故国の友に残し留めんとす」は、そうした堀口と詩人たちの交流を伝えている。また『月光とピエロ』が献辞として「父におくる」が掲げられているのは、そうした環境の中の筆頭に漢詩人の父が存在していることを象徴していよう。

 またそれぞれの詩章にも献辞が寄せられ、「EX-VOTO」は佐藤春夫、「詩界」は長谷川潔、「旅愁」は与謝野寛先生、「一私窩児の死」は日夏耿之介、「秋」は「今のわが母」、「騾馬の涙」は永井荷風先生、「受胎」は柳澤健、「スペクトル」は与謝野品子夫人、「肺病院夜曲」は川路柳紅、「名の無き墓」は「今は名さへ忘れ果てたる/もろもろのやさしき心」に捧げられている。

 こうした大正時代における詩と詩人をめぐる出版環境、及び堀口の籾山書店との五冊に及ぶ自費出版のコラボレーションを通過儀礼のようにして、大正十三年に第一書房からの『月下の一群』が上梓に至ることを確認するのである。第一書房の『月下の一群』は浜松の時代舎で見つけているのだが、古書価が高いこともあって、まだ買い求めていない。

 f:id:OdaMitsuo:20210703115605j:plain:h120(『月下の一群』)

 なお自費出版史に関しては大島一雄『歴史のなかの「自費出版」と「ゾッキ本」』(芳賀書店)を参照してほしい。

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 また拙稿「第一書房と『セルパン』」(『古雑誌探究』所収)において、堀口が昭和を迎え、彼がコピーライターでもあったことを、実際にそのコピーも引用し、ふれていることも付記しておこう。
古雑誌探究


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