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古本夜話1166 植竹書院「現代代表作叢書」、正宗白鳥『まぼろし』、三陽堂

 前々回の籾山書店の「胡蝶本」と併走するように、大正三、四年に植竹書院から「現代代表作叢書」が刊行されていた。そのラインナップを示す。

1 森田草平 『煤煙』
2 鈴木三重吉 『珊瑚樹』
3 谷崎潤一郎 『麒麟』
4 田山花袋 『小春傘』
5 正宗白鳥 『まぼろし』
6 長田幹彦 『舞姫』
7 田村俊子 『あきらめ』
8 泉鏡 『菖蒲貝』
9 小山内薫 『一里塚』
10 上司小剣 『お光壮吉』
11 徳田秋江 『閨怨』
12 中村星湖 『少年行』

f:id:OdaMitsuo:20210629111717j:plain:h118(『あきらめ』)f:id:OdaMitsuo:20210629113556j:plain(『一里塚』)

 浜松の時代舎で、これらのうちの4『小春傘』、5『まぼろし』、8『菖蒲貝』、11『閨怨』を入手してきたので、後の「現代代表作叢書」の行方も含め、ここで書いておこう。

 この「叢書」は函入、菊半截判、角背だが、装幀はそれぞれ異なり、『小春傘』は装幀者が安藤兵一と明記されているが、他の三冊にはそれが見当らない。しかし巻末広告から結城素明、津田青楓などが担当しているとわかるし、津田による『閨怨』は秋江の作品のイメージと重ならないにしても、紅梅をあしらった華やかさで、「胡蝶本」と相通じる大正時代の文系書の装幀美を想起させる。しかも『閨怨』は四冊の中でも完本といえるもので、函もあり、背の上部には「現代代表作叢書第十一篇」との表記もなされている。

f:id:OdaMitsuo:20210629105736j:plain:h118 (『閨怨』)

 それに比べると、『小春傘』や『菖蒲貝』は函もなく、かなり疲れていて、背文字タイトルも不鮮明である。だが考えてみれば、一世紀以上前に出された小説集で、それもよく読まれたと判断できる印象からして、よくぞ私の手元にもたらされたとねぎらうべきかもしれない。おそらくそこには不可視の読者たちの読書史が刻印されているというべきであろう。

f:id:OdaMitsuo:20210629145458j:plain:h115(『菖蒲貝』)

 それは作家にとっても同様で、その多くに付された「序」や「自序」は、自らを省みての近代文学史や小説史の一端を表出させている。その典型が正宗白鳥の「序」で、この十年間に書き続けた短編長編は何百の数に達しているはずで、白鳥は「小説を専門として世に立とうとする執着心はなかつたのであるが」、「自分の作品が不思議に世に迎へられるに甘へて、知らずゝゝゞ小説家と呼ばれ自分もその気になつてしまつた。三十歳前後の十年の間、私は小説といふことを念頭から離し得ないかつた」と述べ、次のように続けている。

 私は書肆の需めに応じて、この文集を出版するに当たつて、過去十年間の重なる作物を読返しながら、自分の青年期の精根を消耗した記念物に対する懐かしさと悲しさを感じた。たどゝゞしい筆の力でよくこれだけに書けたと自分の努力を思ふと共に、ありたけの脳漿を絞つてもこんな貧弱な物しか書けなかつたのかとも思つた。兎に角私はこの文集を以て過去の汚れた記念碑として、再び新しい道に進んで、新しい苦しみを経験するより外に生存の法もないのであらう。

 この白鳥の言に象徴されているように、作家にとっても、「現代代表作叢書」は重要なものだったとわかる。ちなみに『まぼろし』には「二家族」「まぼろし」「挿話」「泥人形」「微光」「毒」の六編が収録され、この作品集が当時の白鳥の傑作集であることも伝わってくる。そして『近代出版史探索Ⅱ』218で既述しておいたが、この「現代代表作叢書」を企画刊行した植竹書院の植竹喜四郎は籾山書店の出身で、大正五年頃に廃業し、その後は歌人岸良雄として活躍し、歌誌を主宰し、後進の指導に当たったとされる。

f:id:OdaMitsuo:20210629104718j:plain:h115(『まぼろし』)

 それもあって、正宗白鳥の『まぼろし』に至っては、さらにある出版史がクロスし、譲受出版と特価本出版社が「現代代表作叢書」を引き継いで刊行していったことを物語っている。実は『まぼろし』の場合、函つき本だが、植竹書院版ではなく、異装本とされる発行者を簗瀬富次郎とする三陽堂出版部版で大正七年五版とある。

 やはり『近代出版史探索Ⅱ』227で、三陽堂と簗瀬にふれ、それに東光社と三星社を加えた三社が簗瀬を中心として、植竹書院の紙型と出版物を引き継いだ特価本グループではないかと述べておいた。『まぼろし』の一冊はその証左となろう。ただ特筆すべきは、奥付には三陽堂著作者検印証が貼られ、そこには「正宗」の判が押されていることで、それは特価本業界に版権が譲渡されたにもかかわらず、白鳥には印税が支払われていたことを示している。その他の三陽堂版「現代代表作叢書」を見ていないので断言はできないけれど、「同叢書」は植竹書院以後もそれなりに知名度が高く、売れるシリーズであったことから、白鳥だけでなく、全員にそのような措置がとられたのかもしれない。


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