出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1167 三星社『青い鳥』、若月紫蘭、植竹書院「薔薇叢書」

 これも浜松の時代舎で購入してきた一冊だが、マーテルリンク氏作、宮崎最勝解説『青い鳥』で、大正十四年に三星社出版部からの刊行である。

 『近代出版史探索Ⅱ』281と227において、三星社が三陽堂、東光社と並んで、植竹書院の紙型と出版物を引き継いだ特価本出版社であることを既述しておいた。その発行者の近田澄に関しても同250で、彼が甲子出版社の発行者でもあり、その住所も三星社、三陽堂、東光社と同じだということも。ちなみに甲子出版社は『近代出版史探索Ⅲ』526などの洛陽堂の高島平三郎編「精神修養逸話の泉」シリーズの「版権譲渡」出版を手がけている。

 マーテルリンク=マーテルランクについても、『近代出版史探索Ⅴ』802や本探索1005でふれ、後者では大正十三年の金星堂の島田元麿、東草水訳『青い鳥』 に言及し、それが明治四十四年の実業之日本社版の紙型譲受によるものと推測しておいた。児童書に見られる譲受出版は文芸書などよりもはるかに複雑で錯綜していて、三星社版『青い鳥』はその典型のように思われる。

f:id:OdaMitsuo:20200304115330j:plain:h120(『青い鳥』、金星堂)

 まずその判型を示すと、菊半截判、並製一二五ページの一冊だが、表紙は鮮やかなカラー印刷で、下半分が波打つ紺青の海の上をはばたく青い鳥、その上部には陽を意味していよう黄色の空を背景にしてマスト船が描かれ、そこにはエンジェルを表象する裸体の二十人近くの子どもたちが宙に舞っている。その表紙を開くと、本扉にはタイトルの下に栗原古城補、宮崎最勝解説とあり、それに続いて「探春」と題された七言絶句、マーテルリンクのポルトレ、サイレント映画『青い鳥』のチルチルとミチルを始めとする七つのシーンが口絵写真として収録されている。

 そして栗原による「貴方は青い鳥を御覧になりましたか?」と始まる序文というべき「読者諸君へ」が置かれ、それを読むと、次のようなことがわかる。栗原たちは映画『青い鳥』に感激したことで、大正九年に青鳥会を起こし、「『青い鳥』の映画を通じて、既成宗教を離れて而も宗教の精髄を具体化した此教へを宣伝しようと企てた」のである。それから六年にわたって、「北海道から九州迄、日本全国の大抵の都市と云ふ都市では、少なくも必ず一度は此青い鳥の映画が写され、宮崎君の熱誠な、含蓄の多い説明が聞かれないことはありませんでした」。これが表紙に記された解説者の宮崎最勝で、彼こそは「青い鳥の忠実な使途」に他ならなかった。

 そのような全国をめぐる映画上映とプロパガンダ本として、『青い鳥のおしへ』を出版していたが、それをベースに「宮崎君が新らしく本書を執筆し、私が補筆」し、ここに三星社版『青い鳥』が成立したことになる。同書を一読して、いってみれば、宮崎はこの映画の活弁の役割を持ち、それが「解説」という言葉に表象されているのだろう。しかし拙稿「浅野和三郎と大本教の出版」(『古本探究Ⅲ』所収)で、大正期が宗教の時代であることは承知していたけれど、ここで初めて、メーテルリンクの『青い鳥』が宗教運動のようにプロパガンダされていた事実を教えられる。それに栗原は、これも拙稿「鶴田久作と国民文庫刊行会」(『古本探究』所収)で既述しておいたが、ラスキン研究者で、その『胡麻と百合』などの翻訳者だと見なしてきたので、思いがけない側面を知らされたことになる。

f:id:OdaMitsuo:20210701174301j:plain:h120 (『青い鳥のをしへ』)

 それに関連して、この『青い鳥』の奥付裏には若月紫蘭訳『全訳青い鳥』の広告が掲載され、そこには一九一一=明治四十四年にノーベル文学賞を受賞したメーテルリンクの国際的な反響と『青い鳥』受容の位相が表出しているので、それを引いてみる。

 象徴劇「青い鳥」は、象徴派の泰斗といはれて居るメーテルリンク氏の一九〇九年の作にて、氏の傑作中の傑作にして、近代象徴劇中の最傑作と見られて居るものであります。云ふまでもなく、「青い鳥」といふのは人間の求むる幸福を象徴化したものにて、主人公として出て来るチルチルミチルといふ二人の子供は、人間の代表者であります。人間の求むる幸福といふものがどんなものであるか、又その幸福と云ふものが何処にあるか、メーテルリンク氏は之を此作によりて解決して居るのであります。

 この訳者の若月紫蘭は劇作家、演劇研究者で、明治十二年山口県生まれ、三十六年に東京帝大英文科を終え、四十一年万朝報に入社し、大正十一年まで勤務している、『青い鳥』はその万朝報時代の翻訳である。しかもそれは前回の植竹書院の「薔薇叢書」の一冊としてだった。そのリストをこれも前回の徳田秋江『閨怨』から挙げてみる。

f:id:OdaMitsuo:20210629105736j:plain:h118 (『閨怨』)

1 デューマ 福永挽歌訳 『椿姫』
2 メエテルリンク 若月紫蘭訳 『青い鳥』
3 モウパッサン 吉江孤雁訳 『水の上』
4 シルレル 船木葉之助訳 『ウヰルヘルム・テル』
5 デツケンズ 矢口透訳 『クリスマス・カロル』
6 スコツト 馬場芳信訳 『湖上の美人』
7 マキアーヱ゛リー 橋田東声訳 『権謀術教学』
8 ピヨルンソン 矢口透訳 『アルネ』

f:id:OdaMitsuo:20210701223445j:plain:h115(『水の上』) f:id:OdaMitsuo:20210701211752j:plain:h115 (『ウヰルヘルム・テル』|)

 7を除いて、その他はすべて全訳と謳われているので、これらが初出の出版かは確認できていないが、それなりに画期的な翻訳叢書だったのではないだろうか。

 しかし前回の植竹書院の「現代代表作叢書」がそうだったように、「薔薇叢書」も特価本出版社のひとつである三陽堂へと出版譲渡された。その事実はこれも前回の正宗白鳥の『まぼろし』の巻末の三陽堂書店発行図書にも明らかだ。それが大正末になって、同じグループの三星社にも引き継がれ、そのことが機縁となって、「解説宮崎最勝」の『青い鳥』の出版に至ったと思われる。

f:id:OdaMitsuo:20210629104718j:plain:h115(『まぼろし』)

 なお若月訳『青い鳥』は昭和四年に岩波文庫化され、戦後の昭和三十六年には岩波少年文庫にも収録されている。

f:id:OdaMitsuo:20210701222739j:plain:h120 f:id:OdaMitsuo:20210701222550j:plain:h120


odamitsuo.hatenablog.com


[関連リンク]
 過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら