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古本夜話1172 西宮藤朝『近代十八文豪と其の生活』

 前々回の佐藤義亮の発言にみたように、大正時代を迎えると、新潮社は外国文学の翻訳出版が活発になっていく。

 それらをたどる前に、その外国文学の翻訳出版に関連する恰好の一冊を拾っているので、これを紹介しておきたい。そのタイトルは『近代十八文豪と其の生活』で、著者は西宮藤朝である。同書は『ツルゲエネフ全集』などと同じ菊半截判、上製三二四ページとして、新潮社から大正八年に刊行されている。だが管見限り、この一冊への言及は見ていないし、タイトルからわかるように、啓蒙書に分類できるだろう。それなのにここで西宮の著書を取り上げるのは、この一冊に示された「近代十八文豪」のポルトレ、及び巻末の新潮社の外国文学の広告が大正時代の翻訳出版を凝縮するかたちで、表象されているように思われるからだ。

f:id:OdaMitsuo:20210714101729j:plain:h110 f:id:OdaMitsuo:20210714101535j:plain:h110(『ツルゲエネフ全集』、『猟人日記』)

 ただ幸いにしてというべきか、著者の西宮のほうは『日本近代文学大事典』に立項が見出せるので、それをまず引いてみる。

 西宮藤朝 にしのみやとうちょう 明治二四・一二・七~昭和四五・五・一九(1891~1970)評論家、翻訳家。秋田県生れ。一六歳のとき東京に一家転住し、大成中学を経て早大英文科卒業。トルストイとフランスの哲学者ギヨーの芸術功利説の影響をうけたが、大正七年、本間久雄を編集主任とする「早稲田文学」の編集に参加し、その時評欄で詩歌を受持った。『人及び芸術家としての正岡子規』(大七・一〇 新潮社)が最初の著作で、(中略)つづいてその原理論ともいうべき『新詩歌論講話』(大八・七 新潮社)を著した。(後略)

 この立項に従えば、大正八年十一月刊行の『近代十八文豪と其の生活』は西宮の三冊目の著書になるのだが、ここでは挙げられていないし、彼のほぼ同時期の詩歌論やその後の著作から見ても、リンクさせることに違和感を覚える。「本書は欧米に於ける十九世紀の所謂近代文芸作家の中から十八人を選んで其の生活を叙述し、且つその作品乃至思想を鑑賞したものである」と始まる「序」は、確かに西宮名で記されているが、『早稲田文学』関係者の仕事を彼の名前で刊行したのではないだろうか。

 だがそのことはひとまずおき、煩をいとわず、ここに挙げられた「十八文豪」をそのままの表記で示してみる。それらはフロオベヱル、ゾラ、モウパッサン、マアテルリンク、ワイルド、ダンヌンツイオ、ポオ、トリストイ、ドストイェフスキイ、ツルゲーネフ、チヱイホフ、ゴオルキイ、アンドレイエフ、イプセン、ビョルンソン、ストリンドベルク、ハウプトマン、ズウデルマンで、それぞれの各章において、彼らの生活と作品、芸術と思想をコアとし、ラフスケッチながらも、わかりやすく紹介されていることになろう。まだ本格的な外国文学事典類は編まれていなかったはずだし、そのような情報事典代わりに読まれていたとも考えられる。例えば、私も前回指摘しているが、ツルゲーネフのところに彼は「露西亜の田舎と空気と自然とをよく巧みに描き出してゐる。此の手法は彼のフロオベエルの『マダム・ボワリイ』に似ている」との記述も見出せるのである。

 現在からみれば、マアテルリンク、ダンヌンツイオ、ビョルソン、ストリンドベルク、ハウプトマン、ズウデルマンなどは馴染みが薄いと思われる。だが最近の本探索1152でストリンドベルク、同1153でハウプトマン、1167でマアテルリンクを取り上げているように、また新潮社に限っても、彼らの作品はダンヌンツイオ、ビョルソン、ズウデルマンも含め、円本の『世界文学全集』に収録されていることからわかるように、彼らも当時の外国文学のスターだったのである。

 しかし最大のスター集団と見なされていたのはロシアの作家たちで、『近代十八文豪と其の生活』の十八人のうちの六人がそうであり、それはそのまま同書の巻末広告にも投影されている。大正八年十一月時点でのロシア文学の全集とシリーズの刊行状況を挙げてみる。冊数は当時の既刊分である。

 まず『チエホフ全集』三冊、『ツルゲーネフ全集』六冊、「トルストイ叢書」は十二冊、『ドストエーフスキイ全集』は六冊、また「世界短篇傑作叢書」第一編として『露国十六文豪集』はセルチェル編で、「編者は米国に於ける露文学研究の権威也/最も便利なる露文学総覧と云ふ可し」とのキャッチコピーが添えられている。訳者はこれも『近代出版史探索Ⅲ』571の衛藤利夫であり、「忽三版」の表記も見える。

f:id:OdaMitsuo:20210717201638j:plain:h120(「トルストイ叢書」7、『青年』)

 それから「人と芸術叢書」が第一編『トルストイ書簡集』(石田三治訳)、第二編『トルストイ日記』(昇曙夢訳)、第三編『ドストエフスキイ書簡集』(山村暮鳥訳)も挙げられている。『近代十八文豪と其の生活』の巻末広告はロシア文学オンパレードに他ならず、長編、短編に加えて、書簡や日記までも総動員され、昭和円本時代へと向かっていったのである。

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