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古本夜話1174 フロベエル、広瀬哲士訳『聖アントワアヌ』と双樹社

 フローベールの家での晩餐会の席に供せられていた『聖アントワーヌの誘惑』は一八七四年=明治七年に刊行されている。

 一八四五年にフローベールはイタリア旅行で、ジェノヴァのバルビ宮において、ブリューゲルの「聖アントワーヌの誘惑」を見た。そしてその劇化を着想し、この絵を莫大な金を払ってでも買い求めたいと思った。この「聖アントワーヌの誘惑」はそれを物語るように、戦前の渡辺一夫訳『聖者アントワヌの誘惑』を収録した改造社の『フロオベエル全集』第四巻口絵写真には別の絵が掲載されている。実際にその絵を目にしたのは戦後の筑摩書房の『聖アントワーヌの誘惑』(渡辺一夫、平井照敏訳)を収録の『フローベール全集』第四巻においてだった。
 
f:id:OdaMitsuo:20210719160933j:plain:h90 (改造社版) フローベール全集 全10 別1セット (筑摩書房版)

 重苦しい雲が立ちこめる市街を見下ろすV字型の丘は悪魔が入り乱れているようで、奇怪な鳥に乗った悪魔を始めとして、王冠や僧帽をかぶった悪魔が馬にまたがり、聖アントワーヌの周りには二人の裸女、食物を載せた皿を差し出しているろくろ首などがいて、彼の困惑しきった姿を描いているのである。現在はこの小さなモノクロ写真ではなく、大きなカラーの絵を見ることができるのだろうか。

 フローベールはブリューゲルの代わりに、ジャック・カロの「聖アントワーヌの誘惑」を入手し、書斎の壁にかけ、次々に文献を読み、構想をふくらませていった。カロの作品は『カロとマニエリスムの時代』(「世界版画」5、筑摩書房)に一ページ収録があるので、ブリューゲルと内容はまったく異なるけれど、細部まで見てとれる。フローベールはそれを前にして、かつてルーアンの街の広場にやってきた人形芝居が『聖アントワーヌの誘惑』だったこと、それが脇役として豚を使っていたことなどを思い出した。それらのこともあって、フローベールの『聖アントワーヌの誘惑』は一九四九年、五六年、七四年と三十年間に三回にわたって書かれ、改稿され、初稿も先述の筑摩書房の同巻に収録されている。

 世界版画〈5〉カロとマニエリスムの時代 (1978年) (『カロとマニエリスムの時代』)

 さてその初訳のほうだが、これはフロベエル『聖アントワアヌ』として、大正十三年に双樹社から広瀬哲士訳で翻訳刊行されている。「双樹社芸術叢書」と謳われているにしても、国会図書館編『明治・大正・昭和翻訳文学目録』や紅野敏郎『大正期の文芸叢書』にも取り上げられていないことからすれば、この発行者を安藤良とする芝区三田南寺町の双樹社は短命に終わったかもしれない。しかしこの「芸術叢書」は巻末広告にある、やはり広瀬訳のテエヌ『芸術哲学』上下などもそのシリーズだと推測されるし、一冊だけではないと思われる。訳者の広瀬は『日本近代文学大事典』に立項が見えるので、それを引いてみよう。

 広瀬哲士 ひろせてつし 明治一六・九・九~昭和二七・七・二六(1883~1952)仏文学者。岡山県津山市外生れ。東大仏文科卒業後、明治四三年四月、慶大仏文科教授となり、昭和九年三月に退職、実業畑に転じたが失敗し、晩年は不遇であった。昭和三年一月、雑誌「仏蘭西文学其他」(のち「仏蘭西文学」と改題)を創刊、フランス近代文学の翻訳、紹介に力をつくしたが、これは先駆的試みだったといえる。この雑誌は、当時慶大仏文科の学生だった佐藤朔、田中千禾夫、蘆原英了などが執筆したが、四年一二月発行の第二巻第一〇号で廃刊になった。著書に『新フランス文学』(昭五・九 東京堂)、訳書にテーヌ『芸術哲学』(昭一二・一〇 東京堂)などがあるが、じっさいにおいて、「仏蘭西文学其他」の寄稿者たちとの共同作業によるもので、正確には、編者と呼ばれるべき性質の書物であろう。

 この立項からいくつかを類推してみる。双樹社の住所が三田南寺町であることからすれば、発行者の安藤良は慶大関係者、もしくは仏文科出身で、大正末期に広瀬訳の『聖アントワアヌ』や『芸術哲学』を始めとする出版社を立ち上げた。ただそれらは単独訳というよりも、広瀬の仏文科の学生たちが共訳したものであり、そうしたことから必然的に『仏蘭西文学其他』の版元も双樹社が引き受けることになったのではないだろうか。

 f:id:OdaMitsuo:20210720121016j:plain:h120(『仏蘭西文学其他』)

 立項では『新フランス文学』はともかく、『芸術哲学』の出版は昭和十二年に東京堂からとされているが、すでに大正時代に出ているので、実質的にはその重版と考えられる。それは広瀬が事業に失敗したこともありしかの支援のために教え子たちが画策した出版だったのではないだろうか。そうした事柄がこの立項の背景にあると推測される。

f:id:OdaMitsuo:20210720120657j:plain:h120 f:id:OdaMitsuo:20210720115727j:plain:h120(東京堂版)

 それにしても、この「テバイイドの、ある山の上、幾つかの大きな巖に囲まれて、半月形になつた円い平かな所でのことである」と始まっていく『聖アントワアヌ』が本邦初訳であるのに、立項に挙げられていないのは、こちらも何か事情が秘められているのだろうか。


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