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古本夜話1175 庄司浅水、ブックドム社、フローベル『愛書狂の話』

 前回の改造社版『フロオベエル全集』第四巻には、拙稿「庄司浅水と『愛書狂』」(『古本屋散策』所収)ですでにふれている。だがそれは同巻に「愛書狂」が収録されていたことによるものだ。

f:id:OdaMitsuo:20210719160933j:plain:h80 (改造社版) 

 その後、ブックドム社のフローベル著、庄司浅水訳『愛書狂の話』を入手しているので、それもここで書いておこう。広瀬哲士訳『聖アントワアヌ』ではないけれど、庄司訳も昭和七年刊行で、こちらも英語からの重訳とはいえ、初邦訳に他ならないからだ。

f:id:OdaMitsuo:20210721103437j:plain:h110(『愛書狂の話』)

 このバルセロナの本屋を兼ねる愛書狂に関しては、先の拙稿でストーリーを紹介しているので繰り返さない。今回は庄司とブックドム社から始めたいし、まずは『出版人物事典』から、庄司を引いてみる。

庄司浅水 しょうじ・せんすい、本名喜蔵]一九〇三~一九九一(明治三六~平成三)ブックドム社創業者。仙台市生れ。三田英語学校卒。書物研究家を志し、一九三〇年(昭和五)ブックドム社を創業、『書物の敵』『通俗書物の話』、徳富蘇峰『愛読五十年』の出版や書物誌『書物趣味』を創刊。三五年(昭和一〇)東京印刷工業組合書記となり、のち、徳富蘇峰の秘書をつとめた。三九年(昭和一四)共同印刷株式会社に入社、労務課長となり、さらに凸版印刷株式会社に転じ、本社勤労家長、戦後、板橋工場製本課長をつとめたのち、四八年(昭和二三)退社。芸術教育出版の芸術科学社を主宰するが、文筆生活に入る。『定本庄司浅水著作集書誌篇』全一四巻のほか多くの著作があり、古印刷本のコレクターとして知られた。

 この立項によって、『愛書狂の話』の奥付にある発行者の庄司喜蔵が訳者の浅水と同一人物だとわかる。そして発行所のブックドム社は本郷区駒込坂下町の浅水の自宅で、発売所は神田の東京堂に委ねられていたことも了承される。同書は文庫本をひと回り大きくした判型で、函入フランス装、九五ページの一冊で、「Books about Books Series NoⅢ」とあることからすれば、奥付裏の「刊行図書目録」に見える、いずれも庄司浅水編『書物の敵』『書物の話』に続くシリーズだと考えられる。

f:id:OdaMitsuo:20210721151142j:plain:h120(『書物の話』)

 『愛書狂の話』はまず口絵としてフローベルの同書自筆原稿の第一頁が折り込みで掲載され、本扉を開くと、次のような注記が菱型で置かれている。「本誌ハ一〇〇〇部ノ限定出版ニシテソノウチノ第一号ヨリ第三〇号マデハ訳者自装自作ノ総革特製本、第三一号ヨリ第一〇〇〇号マデハ木炭紙仮製本ナリ、而シテ本書ハソノ第七二二号デアル」と。その次頁には「本書を謹しみて世の愛書家諸賢に捧ぐ」という献辞も付されている。ちなみにこの並製定価は九十銭であり、総革特製本は未見だし、その定価も確かめていない。

 それらに庄司による「序」が続き、「私は近頃、これ位面白い本を読んだことはなかつた」と書き出され、『ボヴァリー夫人』のフローベルに「斯様な作品のあるのをちつとも知らなかつた。しかも、これが彼が未だ満十五歳に満たぬ少年時代の作品であると云ふに至つては、讃辞の言葉すらなき次第である」とのオマージュさえも見える。

 さらに続く「序」によれば、やはり翻訳は一九二九年のセオドル・ウィスレー・コッホ訳。米国イリノイス州エヴァンストンの西北大学図書館刊行の英訳本に基づいている。また四枚の挿絵はエルウィン・リェヂャーの独訳本のために、ドイツの書物芸術家フーゴー・シタイナーが描いたものとされる。

 そしてまた思いがけないエピソードというか、翻訳をめぐる偶然の暗合も記されている。それは庄司の翻訳が完了するとほどなく、本探索1144などの四六書院の『犯罪公論』昭和七年九月号に佐藤春夫訳が掲載されたという。庄司は「偶然にも時を同じうして両者による発表されるに至つたのも何かの因念だらう」と述べてもいる。

 フローベルの『愛書狂の話』という絶好の素材に加え、これらの庄司とブックドム社の出版に見られる愛書趣味、いってみれば愛書狂(ビブリオマニア)は、日本においても、昭和円本時代を閲することによってさらに拍車がかかっていったように思われる。明治二十年代に立ち上がった近代出版業界は近代文学の誕生と軌を一にし、すでに半世紀を経て、近代読者社会は多くの愛書狂たちも生み出すまでに成熟していたのである。昭和六年の斎藤昌三、岩本柯成、庄司浅水、柳田泉、佐々木幸四郎による『書物展望』の創刊は、浅水の『書物趣味』などの書物雑誌を次々と生み出す揺籃でもあった。

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 浅水は「あとがき」にあたる「訳者より」において、日本の近代の愛書狂(ビブリオマニア)の実例を挙げ、彼等の「狂人」ぶりをも描いている。だがそのような時代は昭和までで、平成に入ると、愛書狂の話はほとんど聞かれなくなってしまったのではないだろうか。そのことを考えてみると、東京古書組合の成立が大正時代、ブックオフの始まりが平成に入ってからであることに気づかされる。そして出版業界の成長は二〇世紀末で終わり、今世紀に入っては失墜と衰退の歴史であったことをも実感してしまうのである。


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