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古本夜話1176 松本恵子訳『アベ・ムウレの罪』とパラドウ

 前回の『フロオベエル全集』の『聖者アントワヌの誘惑』ではないけれど、ドーデの『巴里の三十年』に見えるゾラの『ムレー司祭』も、『アベ・ムウレの罪』として、やはり改造社の「ゾラ叢書」で翻訳刊行されていた。それは昭和五年の「同叢書」第二篇としてで、訳者は松本泰だが、拙稿「松本泰と松本恵子」(『古本探究』所収)で既述しているように、彼の夫人の松本恵子によるものである。それに同書は大正十年に天佑社からすでに出されている。

f:id:OdaMitsuo:20210722112638j:plain:h120(改造社版)

 「ゾラ叢書」第一篇は三上於菟吉訳『獣人』で、三上は『近代出版史探索Ⅲ』402や435でふれているように、ゾラの『貴女の楽園』や『歓楽』の翻訳者でもある。第三篇は犬田卯訳『大地』で、この「叢書」のために翻訳されたと思われる。念のため付記しておけば、犬田は住井すゑの夫で、博文館編集者を経て、作家、評論家として農民文学運動に携わっているので、『大地』の最もふさわしい翻訳者といえるだろう。

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 「ゾラ叢書」や犬田の『大地』翻訳は『近代出版史探索』191ですでにふれ、同188でやはり同じ時期に刊行され始めた春秋社の『ゾラ全集』にも言及している。しかし「ゾラ叢書」は三冊、『ゾラ全集』は二冊しか出されず、後が続かなかった。ただ改造社からは昭和九年に高島㐮治訳『ゼルミナール』が出されているので、これも「ゾラ叢書」としての企画だったと推測できよう。ちなみに『大地』、『歓楽』は『生きる歓び』、『ゼルミナール』は『ジェルミナール』として拙訳、『貴女の楽園』は『ボヌール・デ・ダム百貨店』として伊藤桂子訳で、論創社版「ルーゴン=マッカール叢書」に収録されている。

 大地 (ルーゴン=マッカール叢書) 生きる歓び (ルーゴン=マッカール叢書) f:id:OdaMitsuo:20210722203006j:plain:h115 ジェルミナール  ボヌール・デ・ダム百貨店

『アベ・ムウレの罪』のほうは『ムーレ神父の過ち』として清水正和・倉智恒夫訳で藤原書店の「ゾラ・セレクション」で刊行された。七十年ぶりの、それもフランス語からの初めての邦訳であるけれど、ここではあえて松本恵子訳を読んでみよう。それは巻頭に「はしがき」が付され、「土手の上を通る省線電車の車体が庭境のポプラの並木の間に見えるやうになつた。郊外には既う冬が来たのだ。/やうやく校正を終へて、赤いペンを擱いた時、夜風に木の葉がぱらゝゝと墜ちる音を聴いた。私は思出したやうに瓦斯ストーブの火を強めた」とあるのが、とても印象深いからだ。これも松本泰名で記されているが、恵子に他ならず、さらに彼女はゾラの数ある作品の中で、『アベ・ムウレの罪』に最も執着し、その舞台である「パラドウ」に魅せられているのだ。省線電車と郊外、ジャズとトーキーの時代にあって、「パラドウ」は彼女の目に失われた原郷のように映っていたのではないだろうか。

 ムーレ神父のあやまち (ゾラ・セレクション)

 『アベ・ムウレの罪』の「パラドウ」はルイ十五世の頃、都のある侯爵が南仏の岩石と強烈な太陽の地に豪奢な邸宅を建て、小ベルサイユを築いたとされる伝説の地だった。侯爵は絶世の美人を伴い、大邸宅に移り住んだが、まもなく一人で都会へとかえってしまい、彼女だけが残され、そこで亡くなったようなのだ。その後、大邸宅は火事になり、一部を除いて灰燼と化し、荘園の入口の扉は閉ざされ、この荘園へはその遠い時代から誰も足を踏み入れた者はいないとされていた。それでも「パラドウ」の世話をする奇人はいて、それはジョンバルナアとその姪の野生の娘アルビンだった。アルビンの登場とともに「パラドウ」もその姿を現わす。

 その木戸からは降るやうな太陽の光を浴びてゐる処女森の一角が見えた。思い掛けぬ光の中に、遙かな森の奥までハッキリ見渡す事が出来た。緑の芝原の中央に、大きな黄色い花が咲いてゐた。岩の上から水が流れ落ち、高い樹の梢に無数の小鳥が囀つてゐた。花も樹木も、水も悉く緑に浸つてゐる。森の樹々は枝葉を伸して、宛然青空に跳り上つてゐるやうに見えた。

 『アベ・ムウレの罪』は「ルーゴン=マッカール叢書」の第五巻に当たる。主人公のムーレ神父は妹のデジレとともに村の教会に移り住んできたが、叔父のパスカルとともに、「パラドウ」を訪れ、アルビンと恋に陥る。しかし彼女は「パラドウ」に呪縛されたように死んでしまい、その森に葬られる。

 「ルーゴン=マッカール叢書」の最終巻『パスカル博士』において、ゾラ自身によって提出された『アベ・ムウレの罪』のシノプスがあるので、それを拙訳で示してみる。アベ・ムウレはセルジュ・ムーレ、アルビンはアルビーヌ。

 パスカル博士 (ルーゴン=マッカール叢書)

 まだ二人の子供がいる。セルジュ・ムーレとデジレ・ムーレだ。デジレは幼くて幸せな動物のように無垢で健やかであり、セルジュは洗練され、神秘的で、一族の神経の突出的なめぐり合わせで司祭職にはまりこんだ。そして彼は伝説的なパラドゥーでアダムのように冒険を再び試み、生まれ変わってアルビーヌを愛し、荷担する大いなる自然の中で、彼女を我がものとし、それから失い、またしても教会によって生命との永遠なる闘いに引き戻され、自らの性を死に至らしめるために戦い、死んだアルビーヌの肉体の上に儀式としての一握りの土を振りまいた。ちょうどその時デジレは動物たちと親しく戯れ、家畜小屋の盛んな繁殖力の中にあって、喜びの声を上げていた。

 なおこの本邦初訳『パスカル博士』には『アベ・ムウレの罪』だけでなく、他の十八巻すべてのシノプスも示され、「ルーゴン=マッカール家系樹」(伊藤桂子訳)も付されているので、参照して頂ければ、とてもうれしい。それは『近代出版史探索外伝』に『ゾラからハードボイルドへ』も収録に及んでいるからだ。


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