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古本夜話1177 ゾラ『実験小説論』、『パスカル博士』、金森修『科学的思考の考古学』

 ゾラが「ルーゴン=マッカール叢書」の第一巻『ルーゴン家の誕生』(伊藤桂子訳、論創社)を刊行するのは一八七一年で、その理論とされる『実験小説論』を上梓するのは八〇年で、拙訳もある「同叢書」の第九巻『ナナ』の出版後だった。日本における『実験小説論』の翻訳は一九三九年=昭和十四年であり、白水社の「仏蘭西文芸思想叢書」4の河内清訳としてだった。その前年にはゾラが依拠したクロード・ベルナール『実験医学序説』(三浦岱栄訳、岩波文庫)も刊行されていた。

 ルーゴン家の誕生 (ルーゴン・マッカール叢書) f:id:OdaMitsuo:20210723101316j:plain:h115(『実験小説論』)ナナ (ルーゴン=マッカール叢書) 実験医学序説 (岩波文庫 青 916-1)

 また当然のことながらそれ以前に、『ルーゴン家の誕生』『血縁』(木蘇穀訳、大鐙閣、大正十二年)や『ルゴン家の人々』(吉江喬松訳、春秋社、昭和五年)として翻訳されていたのである。そのゾラによる「序文」にはルーゴン=マッカール一族の「遺伝」「気質と環境」「神経と血液に由来する疾病」の関係をたどり、それらに起因する「感情や欲望や情熱」の行方を追い、「第二帝政におけるある一家族のありのままの社会史」を描くという意図も提出されていた。

 それに大正十一年の新潮社の『ナナ』(宇高伸一訳、『世界文芸全集』7)の大ベストセラー化は新潮社の新社屋建設をもたらし、ナナ御殿と呼ばれたという。また翌年の『居酒屋』(木村幹訳、同11)の続刊もあって、多くの出版社から「ルーゴン=マッカール叢書」は半分以上が翻訳され、日本におけるゾラの名前も、フランス自然主義と相俟って、フローベールを上回るほど文名は上がっていたはずだ。

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 しかしルーゴン=マッカール一族の「遺伝」「気質と環境」の表象ともいうべき家系図が付された『愛の一ページ』と『パスカル博士』は未邦訳のままで、前者は『禁断の愛』(山口年臣訳、角川文庫、昭和三十四年)として戦後、後者に至っては平成の拙訳を待たなければならなかった。とりわけ『パスカル博士』は「ルーゴン=マッカール叢書」の回顧、総集編といえよう。

f:id:OdaMitsuo:20210723110916j:plain:h115  パスカル博士 (ルーゴン=マッカール叢書) (『パスカル博士』)

 これもまた『パスカル博士』の翻訳者として、偶然のようにも思われなかったのが、その前年の平成十六年に金森修の『科学的思考の考古学』(人文書院)が出されたことだ。その第二部「医学の思想史」に『パスカル博士』論でもある「仮想世界の遺伝学―ゾラの遺伝的世界」が収録されていたのである。金森はそこでゾラが「ルーゴン=マッカール叢書」を構想しつつあった一八六〇年代の知的風土を、『ルーゴン家の誕生』の「序文」や『実験小説論』から類推し、リュカの遺伝学を始めとし、『近代出版史探索Ⅲ』560のルナン『イエスの生涯』、テーヌ『英文学史』、ダーウィン『種の起源』とビュヒナー『力と物質』の翻訳に注目する。そして「これらの事例を通して見えてくるものは、実証主義、唯物論、自然主義、無神論、決定論的な思想動向が、六十年代に怒涛のようにフランス社会を襲いつつあったという事実なのだ」と指摘する。それに対して、第二帝政期はカトリックが権力志向性格を露わにし、伝統的な宗教的世界観と実証主義的で世俗的な世界観との闘争が起きていたのである。

 科学的思考の考古学  ルーゴン家の誕生 (ルーゴン・マッカール叢書)

 このような社会背景の中で、「ゾラが、反教皇的で反宗教的な資質をもって、自分の思想を展開しようとした」のであり、それが『実験小説論』の眼目で、「ルーゴン=マッカール叢書」において、人工的な条件設置をしての遺伝学や人間心理のメカニズムの普遍性を持ちこもうとしていた。そして科学と芸術の違いも否定することで、ゾラの自然主義も成立する。

 それを体現するのは『パスカル博士』の主人公パスカルで、一族の家系の者ではないように見え、母親のフェリシテから「一体お前は誰の子なんだろうね。私たちの子じゃないわ」といわれ、いわば一族の見者のような位置にある。長くなってしまうので、さわりの部分しか引用できないが、一八六〇年代の知的環境とルーゴン=マッカール一族の表象たる家系樹を姪のクロチルドに示す場面がある。

 最初に彼が示したのはルーゴン家とマッカール家の家系樹だった。(中略)二十年以上前から更新し続け、誕生や死、結婚や一族の重大事を書きこみ、彼の遺伝理論に従って、それぞれに簡単な注釈が施されていた。それは黄ばんだ大きな一枚の紙で、折りじわがついてすりきれ、その上にはしっかりとした線で描かれた象徴的な樹形図が立ち上り、枝葉は拡がってさらに枝分かれし、大きな葉が五層に並んでいた。それぞれの葉には名前がつけられ、細かな字でその人生と遺伝的症例が入っていた。 
 この二十年来の作品を前にして、学者の喜びが博士の心を捉えていた。そこには彼の定めた遺伝法則が明確で完璧なまでに当てはまっていた。

 全五世代にわたる家系樹の中での直接遺伝の分岐、混合遺伝の事例、間接遺伝と隔世遺伝、それらは「あたうかぎり科学的だ」し、「詩人の領域」でもあり、「遺伝は何という広大なフレスコ画を描き、何という巨大な人間的喜劇や悲劇を描くことであろうか。まさに家族の、社会の、そして世界の創世記なのだ!」。

 続けてパスカルはこれまでの「ルーゴン=マッカール叢書」の十九巻の物語とそれらの登場人物たちのことを語り始めていくのである。それはパスカル家とマッカール家の架け橋で、クロチルドとの間に生まれてくる子どもへ引き継がれていくことを暗示し、『パスカル博士』は閉じられていくことになる。

 なお金森に『パスカル博士』を献本しておいた。するとその後『ウージェーヌ・ルーゴン閣下』刊行に際し、『みすず』(二〇一〇年一・二月号)の「読書アンケート特集」で、金森が「ルーゴン=マッカール叢書」全巻邦訳を祝し、また精神医学の江口重幸が「記念すべき出来事」と評してくれたことを付記しておく。

 ウージェーヌ・ルーゴン閣下―「ルーゴン=マッカール叢書」〈第6巻〉 (ルーゴン・マッカール叢書 第 6巻)

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